降谷の指は細かったけれど、意外にも節々はごつごつしていて、マメがつぶれて皮が固くなっているところや、投げ込んで付いた傷跡があった。
昨日はちゃんと見なかったけれど、ああ、痛々しい…スポーツやってるから、当然といえば当然だけれども。
爪が割れたりしたら目も当てられない。
コントロールが命の投手にとって、指先は大事だと、一也から聞かされた事がある。
試合を見ているだけではわからないことも、一也はたくさん教えてくれた。野球の試合を見るのも楽しかったけれど、一也の解説を聞くのも好きだった。
どうしてこんなことを知っているのだろう、と憧れ、一也の探究心と一生懸命さを尊敬した。
グラウンドから聞こえて来る生徒たちのざわざわとした声が近く感じる。
しばしの沈黙を破ったのは、降谷。
「先輩は」
「うん?」
「どうして、僕に優しくしてくれるんですか?」
「どうして、って…」
一旦手を休めて、降谷を見る。
相変わらずの無表情で、何を考えているかは、その表情からは全く読み取れなかった。
「ええと、マネージャーだし…」
「じゃあ、御幸先輩にも、こういうことしてるんですか?」
「え…?」
どうしてここで一也が出て来るのだろうか…。
私はぐっと詰まる。
「…してないよ、一也は捕手だし。あいつはやるとしても自分でやってると思う」
「ふーん…」
「降谷は…期待の一年生だからね、昨日の練習試合の時見て驚いたもの。降谷の投げる球は凄いよ。それに、もう一軍じゃない?」
そう言うと、段々降谷の頬が赤くなっている気がする。
喜んでるのか…照れてるのだろうか。
思ってる事を言っただけなのに、こっちまで恥ずかしくなる。
「え、と。だから、頑張って欲しいという意味も込めて、してあげるの。ていうか、昨日降谷がやってくださいって言ったから…頼られたからには、ね」
マネージャーとして、やってあげないわけにはいかないし。
爪を整える動きは止めずに、最後の方は言ってて照れくさくて、小声になったf?。
降谷は黙って私の言葉を聞いている、それが余計に恥ずかしい。
私はずっと降谷の大きな掌に触れて爪を整えているから、彼がどんな表情をしているのかはわからないけれど。
「それより、降谷こそ、なんで私に?他にもマネージャーは居るじゃない」
「先輩が…一番話しやすそうだったんで」
私が突然振った話題にも関わらず、降谷が即答したので、一瞬手が止まった。
「…御幸先輩と、よく一緒に居るので」
「うん、そっか」
私と降谷は、部活で何度か話した程度。
降谷は、他人とのコミュニケーションを得意としているわけでも、好んでいるようにも見えなかったし、私と一也が一緒に居る機会が多いので、他のマネージャー達よりも降谷と話す機会は多かったからかもしれない。
でも、まさか、こんな風に二人で一緒に、ましてや私が指先のケアをしてあげているという状況は、彼の入部当初は考えられなかった。
難しそうな性格をしてるように見えたけど、話してみると、けっこう素直で、ちょっと偉そうで、超・投手タイプの人間なんだなと感じた。
爪の表面の凹凸も整え、甘皮のオイルを塗り、次はネイルスプリットを塗ろうとしたところ。
降谷の息遣いが、規則的になっている事に気づいた。
ハッとして顔を上げると、思ったよりも近い位置に俯き加減の眉を伏せている降谷。
寝てる…?
「ふ、るや?」
恐る恐る声を掛けるが、反応は無い。
なんとなく、こんな調子で授業中も居眠りしてるのだろう姿が想像できて、笑った。
ああ、眠いよね、昨日だって練習終わった後も、練習をしていたのだから。
それにしても、あどけない寝顔。
昼休みの残り時間が、あと10分程だったので、今のうちにと思い、ネイルを塗った。
あと少しの時間だったけれど起こすのも悪く、立ち去るわけにもいかず、隣に座ったまま、昼休みの喧騒を聞いていた。
私も、このまま日陰で眠れたら、気持ちよいだろうな。
けれど、降谷と一緒に寝たところで、二人して午後の授業に遅れるというのは如何なものか。
降谷の肌は白くて、その白さは雪が降る北海道を連想させる。
北海道から、わざわざここに野球をするため、しかも普通入試で来るなんて。
ついこの間まで中学生だった彼が、決断するのはかなり決心が要っただろう。
野球がやりたい一心で、ここまで来て…一人で心細くないのだろうか。
寮生活だから、寂しくはないだろうけれど。
「ねえ、降谷、もう、起きないと」
声を掛けるだけでは起きないだろうと、肩を叩いた。
「降谷…?」
トントンと叩くだけでは、反応が無く、軽く肩を揺すると、本気で深い眠りについているのか、バランスが崩れて私の方へ凭れ掛かって来た。
「あ、ちょっと、降谷?!」
肩に頭が乗っかって来そうになるのを、思わず避けると、そのまま倒れた降谷の頭が太腿の上に乗っかって、膝枕をしてあげているような体勢になってしまった。
身体が硬直する。
「ちょっ、と、降谷…!起きろ、起きろー!」
ぺしぺし、と寝てるのをいいことに降谷の頭を叩いたけれど、降谷はそんなことおかまいなしに、安らかな寝息をたてている。
この恥ずかしい体勢は…。
誰も見ていないから、いいもの、こんなところ誰かに見られたら…何と思われるか。
もぞ、とまるで枕に顔を擦り付けるみたいに、降谷が私の太腿に顔を擦る。
その行為の恥ずかしさに一気に顔に血が昇り、心臓が早鐘を打っている。
思えば、こんな風に膝枕なんて他人にしたことがない。
けれど、このまま退いてしまうこともできず、どうせあと少しだからチャイムが鳴ったら叩き起こせばいいか、とか思ってしまったのが、悪かったのかもしれない。
「おまえら…」
突然掛けられた声に、心臓が飛び跳ねた。
「な…に、やってんだ?」
「あ、え…一也?」
声の主の方を見やると、呆れたような表情の一也が、呆然と立ち尽くしていた。
つづく 08.03.11