自然、野生生物編 コオロギの唄

春になった。38回めの春だ。
ベランダの桜も、早咲きで満開となった。
葉山は娘に、この花の名前を付けるほど、この花が好きだ。
葉山は毎年冬に苦労する。
というか生き物皆そうであろう。
冬を耐えしのいで、やっとの思いで春は訪れるのだ。
葉山の歌に「LET'S」というのがある。
『君と出会う 春まであと一息さ 冷たい季節に さよなら
消えてゆくもの新しい人々たちと 過去のすべてを 洗い流そう』
この歌詞に、葉山の春に対する格別な思いが集約されている。
その、葉山の心の象徴ともいえる花が桜なのだ。
さて、葉山はじつにたくさんの生き物を飼っていて、一緒に暮らしている。
ネコ カエル ヤモリ クワガタ コオロギ 魚はウグイ モツゴ クチボソ タナ
ゴ・・・
金魚もいる。 植物も数え切れない。
ヒキガエルは、長らくコラムが停滞していたが、1匹だけ健気に生き残っている。
デカである。
2回めの冬も冬眠せず、エサを食べ続けた。
生まれた時から手のひらにのせていたので、人間を怖がらない。
野生のひとかけらもないヒキガエルは、もはや葉山なしには生きられない。
体長も、8センチくらいであろうか、中型のヒキガエルになった。
こいつは、釣りのエサや、カマボコをストローに入れて、それを吹くと、
ぶら〜んと垂れる、そいつをガバッと食べる人間的雑食性である。
身体は丈夫だし、飼育は至って簡単である。
こいつは多分、20年くらい生きるのではないだろうか。
で、ヤモリ。
こいつは曲者である。
それも、南久米島産のミナミヤモリである。
こいつは、インターネットで検索しても、まだわからないことだらけの珍獣である。
エサも食いが悪い。 いや、全然食べないのだ。
詳しい人に聞いてみた所、「小さいコオロギなら食べるのではないか?」とのこと、
極小コオロギを100匹買ってみるが・・・・・・
なんじゃこりゃ〜!!ゴキブリの子供みたいだぞ!!
ヤモリはコオロギだけは食べたが、それも滅多に食べないのだ。
よって、葉山はコオロギも飼育するハメになった。
秋に買った100匹のゴキブリみたいなコオロギは春になり、30匹ほど生き残った。
どういうことかというと、動きが早くヤモリから逃げ切ったツワモノ達である。
成虫になり、もう大きくなったのでヤモリは食べることが出来ない。
そんなある日、コオロギのケージから「リリリリリ・・・」と鳴く声が聞こえた。
羽がはえて、ヘタクソながら美しい鳴き声を奏でるようになった。
特に、ある1匹は、俺の音楽に合わせて唄うのだ。
ギターを弾けばそれに合わせて唄う。
こいつはしこたま鳴き続けた。
エサとして飼っていたのに、こんなに心を癒してくれるなんて、複雑な気持ちでいっ
ぱいになった。
しかしある日、葉山がエサやりを怠ってしまい、このコオロギは他の仲間に襲われて
死んでしまった。
あれだけ、いつもいつも鳴いていて、いい声を聞かせてくれたのに、なんとも悲しい
気持ちでいっぱいだった。
葉山の気持ちはますます複雑である。
エサになるコオロギ。
生き延びて美しい鳴き声で友達になるコオロギ。
それを選ぶ権利など、この俺には無いのだ。
だが、現実の世の中でも、家畜として食肉牛とされる牛。
はたまた、大事に最後まで放牧されて寿命を全うする牛がいる。
馬肉となる馬もいれば、足が速いという理由で競走馬として珍重される馬。
まあ、食われないにしても、人間とて同じようなことはあるが・・・・
こういうことを考えたらキリが無いのである。
とりあえず、葉山はヤモリから逃げ切って大きくなったコオロギを
エサではなく、ケージで余生を送ってもらうことにしようと考えた。
そうするしかないだろう。
というか、自然界の摂理と同じ「強い者が生き残る」なのだから、
生き残った者だけが子孫を残せる。
そういう、生態系の類似型と考えることに決めた。
今日も、コオロギは美しい声で鳴いている。
葉山は、このマンションに引っ越してきて、おおよそ生まれ故郷にあった植物
はだいたい栽培しているし、住環境に大変満足していた。
だが、ひとつだけなし得ないことがあった。
それはここが6階ゆえに、夏〜秋の夜長、虫たちの合唱を聴くことが出来ないことだ
った。
今年から、コオロギの声を聴きながらフトンに入るというのは、非常に嬉しい。
このコオロギはヨーロッパイエコオロギといい、なんでもヨーロッパでは、
チャイコフスキーを唄うと言われているとのこと。
エサとして買うのは複雑だが、逃げきり生き残ったコオロギは丁寧に飼育している。
なんとも不思議な、人間と昆虫との関係である。
さて、このコオロギたちとは晩秋までお付き合いすることになるだろう。
今回はこれまでとします。
2004年3月19日 葉山宏治