札幌日記 2005・5〜2006・2

No81 2月17日(金) びっくり仰天、大雪だあ・・・!
早朝、エリーの散歩(といってもオシッコ、ウンチだけの極小コース。日が昇ってから彼女とゆっくり散歩が最近の決まりごと)で、玄関部屋に入ったら、雪は降ってはいないけど、妙な感じで窓ガラスに雪が付着していた。(なんか変だなあ・・・)と思いつつ、散歩に逸(はや)るエリーとともに玄関から出て驚いた。天気予報では何も言ってなかったのに(多分)、目の前の車が分厚い雪に覆われて真っ白だし、昨日までつるつるだった地面がほかほかの新雪にふっくらしていた。「大雪だあ!」思わず叫んでしまうほど・・・。
一週間以上(いや十日くらいかなあ)雪の降らない日々が続き、というか、降っても気温が高いから(でも五度以下だけど)、すぐ溶ける雪だから、降ったうちに入らない。また除雪の人々の奮闘努力の甲斐あって、街からどんどん雪が消えていくもんだから、雪の季節が終わったような錯覚に陥(おちい)っていたのだろう。まだ二月。雪が降るのは当たり前か・・・。
昼のニュースで、幼稚園児二人が同じ幼稚園の園児の母親に刺し殺されたという無残な事件を報道していた。また狂気の犯行だなあ・・・。昨日は2003年に米軍がイラク人達を虐待している大量の写真がオーストラリアで公開されたというニュースが飛び込んできた。テレビではとても紹介できないような残虐極まりない写真もあるらしい。もう人間というより、鬼か悪魔の犯行と言いたくなる。その前に報道されたイギリス軍兵士の子供達への虐待事件といい、キリスト教国であるイギリス、アメリカがイスラム教徒のイラク国民をいたぶる為だけに占領しているとしか思えなくなる。もう越えてはいけない線を遥かに越えてしまった愚行の数々。やがてその報いがアメリカ、イギリスに降りかかることだろう。しかしアメリカ政府報道官の「被害者の人権を守るために写真の公開に抗議する」という言い草はなんだ!加害者を真っ当に処罰もしないで「被害者の人権」を口にする資格なんかないぞ!狂気が世界を犯し続けている・・・。やれやれ。

No80 2月8日(水) くもり、午後小雪・・・
日曜日には我が家の増築部分の屋根に上って、念願の雪下ろしをした。1メートルくらい積もっていたから気になっていた。やっと屋根も床屋さんに行ったようにスッキリさっぱりしてホッとした。それにしても雪のない地方なら、何もしないで冬が越せることを思うと、冬を切り抜けるのに費(つい)やす北国の人々の苦労を生まれて初めて実感しました。大雪になれば、まだ暗いうちから老人が雪かきをしている。大都会札幌暮らしといえども、自然には鍛えられます・・・。
ところで昨日、久しぶりに「千と千尋の神隠し」をみた。そして思ったこと。(これは消えてしまった過去に焦点をあてたノスタルジー映画、またはジャパネスク映画なんだなあ・・・)と。たしかモデルがあるという和風超豪華絢爛の湯屋(油屋)の建物といい、夜になると黒い影のような魔物たちが徘徊する、不思議な絵や文字で飾られた怪奇の街(なんだか大正時代のちょっと趣味の悪い海辺の観光地のようだけど)といい、昔、中央林間で暮らしていた頃は隣町のように近く感じていた江ノ島、鎌倉の海沿いを走るロマンティック市電、江ノ電のような、または機械仕掛けのミズスマシのような水の上を走る電車といい、そしてハク様こと、埋め立てられてしまった小白川の守り神といい、ヘドロの川に変えられて穢れ神と蔑(さげす)まされている元は清流の神様といい・・・、どれもこれも人間の手によって、滅んでしまったものばかり・・・。これら全てが、田中角栄という大ばか者の唱えた「日本列島改造論」を代表とする、拝金主義者たち(最近では金の妖怪、ホリエモンや東横インの社長)が自然を食い荒らした末に忘却した日本文化の精髄が主人公なんだなあと思ってしまった。
だからこそ外国人たちがアカデミー賞を与えたんだろうとも思う。彼等も、僕も見るところ、日本の真髄は戦後日本の繁栄と、それが生みだした、家電製品や車や高層建築や万博や高速道路にあるのではなく、現代日本人が忌み嫌う、いまだ外国人の日本への固定観念、「富士山、芸者、木と紙の家、相撲・・・」や、そんな過去をたっぷり取り込んだ「千と千尋・・・」にあるのだろう。
要するに、戦後日本は自然と文化を消滅させただけの「屁」のような時代だった・・・。そんな風に感じたのだった。そして相変わらず感動しました。
それにしても預言者、モハメット(ムハマド)をテロリストの姿でデンマークの新聞の風刺画で書かれただけで狂乱状態になるイスラム教徒。彼等の存在そのものが危険な核爆弾のようなものだなあ。未来がそんな無知な連中に握られていると思うとぞっとする。もう人間が高等生物とはいえないね。

No79 1月31日(火) 晴れ・・・
昨日は日中の気温が5度もあって(札幌では久しぶり)、昼頃から降り出した雪が、今までのサラサラ粉雪と大違いで、ぽったり水っぽいボタン雪だった。(まるで東京の春の雪だなあ・・・)と思う。そして地面に落ちた雪は名残りも惜しまず瞬時に溶けてゆく。こんなことは初めてだ。
そして今日。気温が上った日の翌日の怖さを思い知る。今まで固く踏み固められていたとはいえ、まだフンワリ感が残っていた路面が、すっかりテカテカに凍りつき、まるでアイススケート場のよう。(歩くのが怖いよう)とすくんでしまうほど。スパイクを打った靴でようやく恐る恐る歩いた。変幻自在の札幌の冬に翻弄される日々が続いております。
最近途中まで読み進んでいる図書館から借りた本「アメリカ南部の奴隷制」(ケネス・M・スタンプ:彩流社)がまたまた凄い本でした。これもまた図書館に行かねば出逢えない本だろうなあ・・・。皆さんにも図書館通いを勧めます。閑話休題(それはともかく)、ページを開くごとに胸のどこかに焼印を押されるような怒りと悲しみを抱きながら読んでいる。僕が一番心打たれたのは、哀れな運命の黒人奴隷達がただ卑屈に奴隷の生活を耐え忍んでいたのではないということ。有名な「ナット・ターナーの叛乱」を含め、大きな小さな無数の叛乱があったし、黒人達の当然の怒りに怯える白人達のでっち上げの叛乱の噂も無数にあった。16人の叛乱を疑われた黒人達の首が杭にさして晒されたこともあった。奴隷達は過酷な労働から逃げだすことに知恵をめぐらし、偽の病になったり、偽の妊娠を装ったりもした。白人の主人達の財産を盗むことには何の抵抗もなかったが、仲間のものを盗む人間は許されなかった。白人には理解できない奴隷の道徳世界が、彼等の壊れそうな心を支えていた。
逃亡奴隷達が深い森の中で束の間の楽園の暮らしを楽しむうちに、捜索隊の白人達と壮絶な撃ち合いの末に全員死んでいったり、或る奴隷は川を流れる筏(いかだ)の上から、捕まえようとする白人達に棒を振り回しながら水の中に消えていったという。自由を求める人間達の壮絶な生き様が無数に紹介されていた。とても平静な気持ちで読むことはできないものだった。
奴隷制時代の新聞、裁判記録、手記、白人奴隷主達の日記などを綿密に調査した末のアメリカ南部の奴隷制の詳細な研究結果が報告されている。親子、兄弟姉妹が引き裂かれてしまい、肉親逢いたさに逃亡する哀れな奴隷達の話が多数紹介されていた。そのような人間愛に満ちた無数の人間ドラマが紹介されているが、絶対ハリウッド映画で描かれることはないだろうなあ・・・。
つくづくアメリカが恥知らずな歴史を背負っている国だと思う。アメリカの口癖の自由と民主主義なんてお笑い種(ぐさ)だよなあ。今の狂牛病問題にも、白人の馬鹿たれどもの横柄さが鼻につく。まったくファックユーな連中だぜ。

No78 1月25(水) 晴れ・・・
久しぶりに雪がやんだ。風もなく晴れて穏やかな一日となった。昨日、一昨日は雪が降ったり、晴れたり、曇ったり、吹雪いたりと、まるで悪い冗談のように心変わりの激しい天候だったから、太陽と澄んだ青い空が目にしみる。毎日、雪かきに追われていた哀れな我が肉体も「ふぅ」と安堵の溜息をついている。一月に入ってからの札幌は、関東人の僕には、信じられない大雪だけど、それでも例年より雪の量は少ないという。信じられないよなあ・・・。
昨日、聞いた話では、去年はドカッ、ドカッと一気に4、50センチくらい降ったらしい。朝、起きると、膝までくる大雪だなんて怖いよねえ。除雪してなければ、とても車では走れないだろうなあ・・・。だから平気で1メートル、2メートルも降る北陸の雪では、本当に命の危険さえ感じることだろう。「白い悪魔」と吐き捨てるように呟いた彼の地の人の気持ちがわかる。
札幌市市内の除雪する車道、歩道の総延長距離は5100キロだという。これは札幌を出発して鹿児島まで行き、函館まで戻ってくる距離らしい。こんな途方もない距離を一晩で除雪するというんだから、想像を絶する大事業。それを大雪が続けば毎晩のようにやらねばならない。札幌はそんな壮絶な努力をしながら快適な都市生活を維持しようとしているのだ。そして一冬でかかる除雪経費(73億円だったかなあ)で小学校が二つ作れると言っていた。たかが雪のために、そんな大金が消えていく。この人口減少の時代に、これだけ金のかかる都市経営を思うと、この北の都そのものが死に絶えようとしている瀕死の巨獣に見えてくる。
モスクワでは氷点下30度の猛寒波で車のエンジンもかからないほどだというし、酷暑の国インドでさえ寒波の到来で路上生活者が凍死したらしい。誰も大きな声で言わないが、科学者達が危惧するように、この異常現象が地球温暖化によって狂ってしまった気候システムによるものであれば、これからも際限なく、またますます激しく、異常な気象災害が起き続けることだろう。サーバイバルの時代がやってきた。

No77 1月17日(火) 大雪・・・
13日(金)以来の、四日ぶりの大雪。昨日まで暖かかったのに、寒波到来で、ぐっと寒くなったと思ったら激しく雪が降りだした。この気象変化の激しさは北国の冬の特徴なんだろうなあ。でも雪が降ると、後始末が大変なくせに、なんだかホッとする気持ちになるのが不思議。海や川を眺めるのが好きで、和んでしまう僕だけど、雪もやっぱり和ませてくれるんだよなあ・・・。家も潰れるほどの大雪、誰かが「白い悪魔」と呼んでいた、になれば、そんな呑気なことは言えへんけど(何弁だ?)
ところでようやく或る本を読み終えた。近くの山の手図書館から借りた「バルカンの亡霊たち」(ロバート・D・カプラン著:NTT出版)という驚異的内容の長編紀行文だが、これほど恐ろしく、未知の世界で、面白い本は他に思い浮かばないほどで、こんなに衝撃を受けたことは今までなかった。それほど凄い本だった。とても内容の全てを紹介できないが、僅かながらの感想だけでもこの場に書き残しておこうと思う。
まずせめて本の全体像を知るために、目次の一部だけでも、そのまま紹介しよう。
「プロローグー聖人、テロリスト、血、聖水」「第一部 ユーゴスラビアーバルカン史の序曲(1章 クロアティアー「彼らが天国に行けるように」〜4章)」「第二部 ルーマニアーラテン民族の受難劇(5〜11章 7章ー「憎むことしか知らない人々」 「第三部 ブルガリアー共産党とビザンチン帝国の伝統(12〜14章)」
「第四部 ギリシャー西洋の愛人にして東洋の花嫁(15章ーさらばテッサロニキ 16〜17章)」
そう僕たち日本人にとって、遠い遠い世界。空想で描かれた吸血鬼ドラキュラの世界でしか馴染みのない辺境の地。そこはアメリカ大陸に強制連行された黒人達が「400年」間の奴隷時代を耐え忍んだように、狂暴なイスラム帝国、オスマン・トルコの支配の下、奴隷の民として「500年!」間も家畜に等しい扱いに苦しんだ人々が暮らす土地。そして元は同じ民族なのに、或る人々は圧力に耐えかねてイスラム教徒になってアルバニア人と呼ばれ、或る人々はギリシャ正教を護持しセルビア人と呼ばれ、また或る人々はローマ・カソリックを信仰してクロアティア人と呼ばれ、決して交じり合うことがなく敵対し、殺しあっている土地でもある。そう或る意味で、世界中の醜い人種差別の原点であり、最悪の見本市のようなところとも言えるだろう。
このバルカン地方の一番の特徴は、各民族が過去において、一度はこの地方を広範囲に支配した甘い夢のような歴史をもっていて、なんと!今でもその黄金時代の再来を夢見てるということだ。例えば、ありえない話だけど、日本という島国が時代は異なるが、インド人の王国、中国人の王朝、日本人の幕府という三つの民族が過去に支配した歴史があると仮定しよう。その三つの民族が過去の黄金時代を復活させるには、他の民族を抹殺するしかないという恐ろしい状況が生まれる。それがバルカンの現実だというのだ。民族浄化と呼ばれる大虐殺で世界の関心を集め、国連監視団がようやく殺戮を防いでいるサラエボの悲劇の背景でもある。この土地に悪霊が棲みついているとしか思えない狂気が支配する土地、ユーゴスラビア。そして狂信のあげく信じられない残虐な方法でユダヤ人たちを大量虐殺したルーマニア。共産主義という悪魔に魂を吸い取られてしまったブルガリア。そして哀れなギリシャ。平和も和解も友愛も空想すらできない風土。それがバルカン地方で暮らす人々の哀しい現実なのだ。
そしてこの本を読みながら感じたことがある。それは過去に残虐な仕打ちを受けたユダヤ人や中国人たちが、なぜ平気で同じような残酷な行為をパレスティナ人やチベット人に行うのか?と・・・。そしてあれだけ無法で残虐な行為を平然と続けながら、恥知らずにも、今でもなぜ被害者意識を持ち続けるのか?と・・・という僕の疑問が解けたような気がしたのだ。恐らく過去に弾圧された民族は、どんなに他民族を苦しめても、「俺達の辛苦はこんなものじゃない!」という不合理な心情があって、過去の自分達と同じような境遇の人々を思いやることなく、気違いじみた永遠の被害者意識の世界にひたり続けるのだろう。これはもはや民族的心の病ともいえる。そしてこのような狂気の沙汰は一個人にも表れてくる。そうイジメの問題として・・・。
ひどいイジメを受けた子供が無慈悲な大人になり「俺が受けたイジメはこんなもんじゃない」とばかり、凶悪な加害者になっていく。この救いようのない無間地獄の暗黒世界がこの世に存在していることを、この本を読んで、初めて知ったのだった。
数週間後に復讐がなされた。1941年1月22日の夜、「大天使ミハイル軍団」は正教会の賛美歌を歌い、ルーマニアの土を入れた袋を首にかけ、互いの血を飲み、聖水を身体にかけて浄めを受けたのち、子供を含め200人の男女を家から引きずり出した。そして彼らをトラックに詰めこみ、ブカレスト南部にあるドウンボビツア川近くの赤煉瓦の建物、市営の屠畜場に運んでいったのである。犠牲者はすべてユダヤ人で、凍えるような暗闇のなかで裸にされ、ベルトコンベアの上で四つん這いにさせられた。こうして恐怖の叫び声をあげながら、ユダヤ人たちは全自動化された屠殺装置のなかに送りこまれていったのである。頭と手足を切断され、血が噴き出している胴体を軍団員はひとつずつ鉤にかけ、「食用可」というスタンプを押していった。逆さまに吊るされた五歳の少女の胴体は「血まみれで、仔牛肉のようだった」と、翌朝、現場を目撃した人は証言している。
No76 1月10日(火) 7:30pm 晴れのち曇り。明日は大雪の予報・・・
北陸ほどではないけれど、ここ札幌もけっこう大雪が続いています。降っても降ってもまだ降りやまず・・・、と呑気に唄っている場合ではないのですよ。ママダンプを押しまくって雪かきの日々です。でも2メートル、3メートルも積もったら、もうどうしようもないよねえ。雪を捨てる場所がなくなってしまうんだから。北国の暮らしは大変になる一方です。
ところで、見た人もいるだろうけど、一週間ほど前に見たドキュメンタリー映像の話をします。NHKで放映したアフリカはケニヤのサバンナ(乾燥地帯)に生えている樹齢約100年のエジプト・イチジクの観察記録だった。その番組を見たことがない人は、「へえ・エジプト・イチジクねえ・・・。何が面白いのかなあ」と思うだろうけど、ほんとに凄い映像だったんだよう!あんなすごいのは初めて見たってくらいの・・・。何が凄いって、まず今までに100近い賞を取っているというイギリス人の夫婦カメラマンが、或るイチジクの大木に興味を持って、撮ろうと決めてから、なんと二年間!その木のそばで暮らしながら撮ったんだから。それでまず驚くよね。そして勿論映像や、彼等が発見したイチジクの実の交配を助けるイチジク小蜂という虫の生態は素晴らしかったんだけど、僕が驚いたのは、それよりむしろ二人の男の子たちも親と一緒に木のそばで暮らして、近所のマサイ族の子供達と仲良く遊びながら、なんと家庭教師を連れてきていて、勉強(音楽まであり)もちゃんとしているということだった。さすがイギリス人だなあと超感心する。日本人の僕たちの想像を超える人生設計だよなあ・・・。偉いものです。
そしてそのエジプト・イチジクなんだけど、花が咲かずに、年三回無数の実をつける不思議な木で、その秘密はその木と一心同体のような小さな虫の人生にあるのです。その虫にもオス・メスがあって、彼等はイチジクの実の中で生まれる。親が長い管で卵を送り込む。そして彼等に寄生している線虫という、更に小さな虫も一緒に入り込む。彼等が孵化すると、オスはメスが外に出られるよう必死で穴をあけ、そのまま息絶える。(男として身につまされます)そして線虫にとりつかれたメスは実の中に咲く花の花粉をつけたまま、外に出ると、他の未受精の実の中に潜り込んでいく。線虫に身体を食い殺される前に、潜りこんだ実の中で(木との約束を果たすように)受粉させて死んでいく。「人生ってなんだろう?」って思いました。彼等は何が楽しみでこの世に生まれてくるんだろう?とも思った。それを思うと、人間という生き物は贅沢な人生を送っているよねえ・・・。そんなことを考えてしまいました。まだまだ伝えたいことは多いんだけど、今日はこのくらいにしておきます。ただこの世には素晴らしい人たちがいるんだなあと、嬉しくなったのでした。
No75 1月2日(月) 2:45pm 曇りのち雪、これから毎日雪の予報・・・
大晦日から今日まで雪がほとんど降らなかったのが有り難い。大雪になると老人も子供も家庭の主婦も、家にいる生き物の全てが必死で雪かきをする、というのは或る程度嘘だけど、まあそれに近いものがある。だから老人家庭が増える一方の札幌でも悪徳除雪業者が暗躍して、「格安の値段での除雪」をうたい文句に老人から金を巻き上げて、まったく除雪しないという酷い話が聞こえてくる。札幌は年間降雪量6メートル以上の日本唯一の大雪都市と自称しているだけあって、雪にまつわる話には事欠かない。いつもエリーの顔を見ると吠えていた近所の檻の中のゴールデン・リトリバーも、雪が降り出すと、檻には板が打ち付けられて、家の中に引越したようだけど、この真冬日(この言葉も札幌にきて初めて知ったけど、一日中気温が零下の日を差す言葉。寒いと思うでしょう?)の日々には外の生き物達はみな気の毒だなあと思う。昨日は早朝のエリーとの散歩で雪の中にたたずむみゃー子そっくりの黒白猫を見て、なんだか哀れで仕方がなかった。意外に元気そうだったけどなあ・・・。
そうそう昨日の午後の散歩でほんとに久しぶりに発寒川にエリーを連れて二人で散歩に出かけたが、十日ほど前に行った時には半分ほど氷で覆われていた川の水面が、もうほとんど真っ白になっていて、その中のほんの僅かの六畳一間ほどの小さな水面に数十羽の鴨たちがひしめき合っていたのが胸を打った。もうとっくに南の方に行ってしまったと思っていたのになあ、とカメラを撮りに近づいたら、逃げるどころか「何かくれそう」とばかり皆わさわさと狭い水面から歩いてやってきた!いやあ、これには参った参った。「ゴメン、今なんにも持ってないんだよ。今度持ってきてあげるから」と謝ってしまう。あ〜あ、約束したから差し入れしないとなあ。またどっかでパンのみみを入手しなくては。なんだか扶養家族が一気に50羽ほど増えた気分。やれやれ・・・。
年が明けてしまったけど、明けましておめでとう、とは素直に言えない気持ち。これだけ日々異常な事件が起き続けているのにと思ってしまうと、ちっともお目出度い気分になれないのだ。ヨーロッパの異常寒波も怖いけど、中国からロシアを経由して日本海に流れ込んでくるだろう毒液はもっと怖い。そして僕にとってはあの耐震強度偽装マンションの問題が一番身近に感じる怖い問題。というのは、これを読む、恐らく、99,9%の人が知らないと思うけど、僕は元々建築の世界の人間だったのだ。大学で建築を学び、大学院まで行ったのだが、この世界の右翼的体質と金儲け至上主義とに嫌気がさしてドロップアウトした。だから或る程度のインチキ建築はありうると思うけど、人の命を犠牲にするところまで営利を追求しようとする人間がこの世にいようとは思わなかった。これだけ人の心のたがが外れれば、後はなんでもありの地獄が待っているだろう。ちょっと金が必要になれば年寄りの家に押し込んで金を巻き上げて、首でも締めれば、30分やそこらで10万や20万の金が入る訳だし、人通りのない道で待ち構えて、ナイフでぐっさっとやれば簡単に金が手に入ることになる。そうこれは、もう法も道徳も存在しない無政府状態の世界。でも日本の歴史の中では特に不思議でも何でもない。歴史上もっと治安が良かっただろう徳川時代だって、今の日本よりは強盗、追いはぎは多かったと思う。それ以外の時代はもう言うまでもない。だからさほど驚くことではないとも言えるけど、やはり人の心がここまで堕落してしまったのかと胸が痛くなる。
僕自身は「お母さん、何も心配しなくていいよ。僕は加害者になることはあっても、絶対被害者になるようなへまはしないから・・・」と高校時代豪語していた野蛮人だから、また「やられたら100倍にしてお返ししてやる」と、若い頃、心に誓っていた人間だから、面白い時代になったなあと思わないでもないのだが・・・。
鎌倉の由比ガ浜で発見された大量の鎌倉時代の庶民達の骨から、当時の人たちの平均寿命を調べたら、哀れなことに25才だったらしい。平均25ということは長命な人だっているだろうから、二十歳前後で死ぬ人が多かったのだろうなあ。小学校に行くくらいの年齢から必死に生きる格闘をして、恋する相手を必死で探して、必死で子供を養って、大人の姿を見ることなく、病気か事故か戦乱に巻き込まれて死んでいったんだろう・・・。そう今のアフリカの人々も同じような運命を生きている。だからどんなに治安が乱れようと、気違い殺し屋が横行しようと、生きる人は生きてゆく。もうただ運命の示す道に従って生きてゆく。
ほとんどの動物達が死滅した氷河時代でさえ、人類はマンモスを狩りながら洞窟で焚き火をたいて生き延びてきた。だからどんな災害苦難が襲ってこようとも、種としての人間は消えることはないと思う。まあ、死んでいく多くの人々にはどうでもいいことだろうけど・・・。
久しぶりに雪がしんしんと降っている。明日はまた雪かきが待っている。札幌は明日も明後日も明々後日も雪の予報。大通りには除雪された雪山が連なっており、雪を満載したダンプが通りを走ってはいるが、雪山はもう無くなることはないだろう。そういえば今年の五月に引っ越してきた時、中山峠には雪がどっさり残っていたなあ・・・。そして六月にモエレ沼公園に行った時も捨てられた雪の山が黒ずんで残ってた。半年も雪が身近にある生活、これが北国の日々なんだなあと思う。今年はいいことがあるといいなあ・・・。

No74 12月25日(日) 4:00pm 晴れ。夜には雪の予報・・・
札幌は週末ごとに大雪になっている。それでも今年は雪が少ないらしい。千葉で暮らした僕には充分多いと思うけど・・・。大雪になると、そう30センチ近くになると、夜でも昼でも除雪のパワーシャベルカーが街中を走りだす。道路を除雪する大型機械から契約駐車場の除雪をする中型機械まで「大変だ!大変だ!」とうなりをあげて走行するさまは壮観だよ。これも観光客には無縁の北の風物詩です。民間の駐車場などの除雪は一冬幾らで契約するので、雪が多いと赤字になり、少ないと黒字になるという丼勘定なのも、なんだか面白い。去年の冬は大雪続きで除雪業者は大赤字だったらしいけど、さて今年は儲かるのか?なんて心配になってしまう。
北陸、山陰、九州の想像を絶する大雪。これもあまり大声では言われていないのだが、地球温暖化がもたらす災害の一つらしい。えっ何故?って感じだが、オーストラリアと東南アジアの間の海の海水温が高いせいで発達した高気圧がシベリアの寒冷な低気圧を呼び込んでいるというのだ。もしそれがほんとなら、毎年もっとひどくなっていくのだろう。もう平穏な気候とは無縁の時代になってしまったなあと、溜息の一つもつきたくなる。これもあれも全て人間文明が生みだしたものと思うと、ただひたすら耐えるしかないのだろう。膨大な量の二酸化炭素を吐き出し続ける石油社会が消滅する気配はまったくないし、緑を増やす活動さえも更なる二酸化炭素の排出権を得るための擬態でしかないとあれば、もう神頼みするしかないのだろう。
そして中国の工場が吐き出した毒液がロシアに流れ着き、そして最後には日本海に流れ出すという。なんという無造作な環境破壊だろう。そしてこのような大規模災害にはまったく無力なのも悲しい。名古屋の鈴木君から提供された情報を表紙にリンクさせるつもりだけど、そこには原色に染まった川が目に飛び込んでくる。赤や青や黄色のおぞましい光景。そして突然僕は思いだす。僕がほんの子供時代をすごした大阪の下町の工業地帯である西淀川区大和田町の周辺の光景とそっくりだったことを・・・。そう僕の記憶のなかでは川は真っ赤に染まり、沼は青く輝き、子供心には「綺麗だなあ」と感じたものだった。でも臭かったけど。そんな自然のなかで僕はザリガニやトカゲを獲るのに夢中だった。そして空は工場の煤煙でいつも灰色に濁っていた。母親がいつも具合が悪く、当時は誰も健康に害があると思いも言いもしなかったが、歯科医だった父は「ここに暮らしていては死んでしまう」と、東京に無理矢理移住したのだった。そんなことを思い出す。今の中国はとても危険な状態にあると思う。今日のニュースでも水の汚染、そう水俣病を生みだした、カドミウム汚染を紹介していた。健康も環境破壊も人間的モラルの低下も省みることなく突き進む中国式高度経済成長。そのつけを僕たちも払わされるのは勘弁してほしいぞ!海が汚染されてしまえば、もう取り返しがつかない。ほんとに恐ろしい時代になってしまった・・・。
No73 12月20日(火) 6:00pm 曇りときどき粉雪・・・
本州の方が大雪で大変そうだよね。札幌も、僕から見れば、結構降っていると思うけど、(最近は週末になると大雪)白川村のニメートルには負ける。もうこうなると雪地獄だよなあ・・・。家も車も何から何まで、放っておくと潰れてしまう。もう必死で雪下ろしするしかないだろう。七十代、八十代の人が屋根から転落して死んだというニュースは過疎の村の哀れをそのまま訴えてくる。年寄りしかいないんだろうなあ。
まあ、それはともかく随分長くご無沙汰しておりました。実は、というほどのこともないのだけど、山から下りて札幌に移り、歩いてもさほどでない距離に地域図書館があるもんだから、本を借りては夢中で読んでおりました。それが強烈な本ばかりで、いささか人間不信に陥りながらの日々でした。だって最初に借りたのが「150通の最後の手紙(フランス革命の断頭台から)」と「フランス革命下の一市民の日記」だから、無残に抹殺されてゆく人々の断末魔の声が聞こえるような日々だった。そして特に感銘を受けたのは結局相手に届かなかった処刑直前に必死の思いで書いた遺書ともいえる手紙の、ある種崇高な魂の輝きと言いたくなるような、死という無残な運命を受け入れた人々の胸を打つ文章だった。昔やはり太平洋戦争で散った若者達の遺書でも同じような感動があったことも思い出す。真実の心がさらけ出された文字の行進は、何故こんなにも感動させるのだろう?と思う。日本人も死に際に一句残してこの世を去ったものだが、じたばたドタドタ「死にたくない」と醜い一幕を演じて死んでいくような無様な最後にはしたくないなあ。僕もいつ死んでもいいように、最後の手紙を書いておこうかなあ、なんて思っちゃったぞ。
そして次に借りたのが、フランス革命が暴力と狂気の大きな渦となって人々を死に追いやる時代に、地域の住民達がこぞって「ノウ!」と反旗を翻し、結局最後にはそのバンデ地方の住民の大虐殺で終わってしまう、革命の血塗られた裏面史「バンデ戦争」と、ピカソがナチによる大虐殺に抗議して描いた傑作「ゲルニカ」の、実際の事件のドキュメント「ゲルニカ」だった。これも「人間って狂ってる!」としか思えない残忍な一方的殺戮の真相。最近テレビをふとつけたら或る科学者が「人間の脳は肉食を始めるようになって、異常に発達していった。つまりどうやって捉えるかと頭を悩ますうちに・・・」と言っていた。キリスト教での人の原罪とはこのことだなあと感じてしまう。平和や連帯、友愛とは正反対の地平線、つまり殺戮と肉を喰らう地獄から人類が生まれたのだとすれば、殺し合いが或る意味、正常な行為であって、ラスタファリが説き、キリストが説き、仏陀が説く平和は一時の夢でしかないのだろう。
そんな重い日々を過ごした後で、ようやくパソコンに向かう気持ちになった。だからご無沙汰を勘弁してやってください。無残な歴史の物語だったけど、でも読んで良かったと思う。僕たち日本人が戦後60年過ごしてきた平和な日々がどれだけ貴重なものかを再確認したのだから。そして陰惨な事件が頻発する現在、その平和な社会生活が壊れゆく兆しと受け止めて、僕たちが出来ることを精一杯すべきだなと、心から思う。平和を求める人々の存在がますます貴重になっていく。ジャー・ラスタファライ!平和の女神よ、いつまでも僕たちと共に・・・。

No72 12月9日(金) 6:00pm 曇り&晴れ&雪
朝は真っ白だったから、すわ大雪と思ったのに、すぐ止んでしまったい。ちぇつまんねえな、という心境。いつ降る?いつ降る?いつ根雪になる?と毎日空を見上げていると、もう待つのにも飽きて、さっさと降りやがれ!というやけくそな心境。そうそう北海道以外の人は(東北はあるかもなあ)知らないだろうけど、氷結した路面を歩くための小道具を色々売ってるんだよね。今日は僕の靴にスパイクをねじ込んで、いつでもOKという覚悟ができた。近くのホームセンターに行くと、ある、ある、そんな姑息な?(そんなことはないか)小道具がずらっと並んでいた。長靴にかぱっとはめるカンジキのようなベルトや靴底に貼り付ける滑らない(まるで冬タイヤのような)凸凹のゴム板や、登山靴にあるようなスパイク・セット等々、選択に困るほど種類が豊富なのだ。やっぱ北国だなあ、と感心する。明後日の日曜には大雪マークがついていたから、もうすぐ本格的な雪景色になるのだろう。さてさて、どうなることか・・・。
昨日の地元ニュースで魚が獲れない、という話を紹介していた。専門機関の調査によると北海道周辺(特に札幌周辺海域)の海水温が平均水温より2度高いことが魚の近海に現れない原因らしい。地元の知人が釣りに行っても、水温が高くて魚がいないと言っていたが、ほんとにその通りだった。港の名前は忘れたが、いつもの30%の漁獲量しかないと言ってたから、このままでは漁業を廃業する憂き目になるのかなあと気の毒に思う。その知人の話では近くの石狩新港に釣りに行くと、魚の代わりに、まだ小さな越前クラゲがうじゃうじゃ浮かんでいると言っていた。NHKで少し前にどこかの研究室の越前クラゲの研究結果を紹介していたが、中国沿海で発生するこのクラゲの大量発生の原因はやはり海水温が高いことだった。本来ほんの僅かしか孵化できないクラゲが片っ端から誕生しているらしい。そうそう札幌沿海にマグロが回遊してきてるとも言ってたなあ。そして南方が生息地の貝がやはり大量に発生しているとも・・・。
地球温暖化!地球温暖化!地球温暖化!すべてがこの言葉に集約されていく。地球環境の癌細胞、アメリカも中国もインドもそっぽを向く京都議定書の、不完全な実現公約さえ、なし崩しに守られていない。アジアを襲った大津波のような大破局がやってくるまで、どの国も真剣に「損になること」をやろうとはしないのだろう。環境破壊と地球温暖化の問題の深刻さを理解し、訴えていたイギリスのブレア首相が、まるで別人になったように、その問題から目を背けはじめたとイギリスのメディアに書かれていた。彼の中で何が起きたのか?絶望したのか?ただ考えないようにしたのか?次の世代に押し付ければいいと思い始めたのか、彼の真意は分からないが、或る意味、真面目に取り組む政治家が消えたということは不気味な兆候だなあと感じてしまう。
名古屋の鈴木さんから送ってきた不気味な情報も表紙にリンクさせる予定だが、見えないベールの向こうで深刻さを増す環境汚染の実態には言葉を失ってしまう。僕が口をすっぱくして言っているように、誰もがノウ!といい、また止めろ!と行動すべき時なのだろう。今起きているほとんどの愚劣で残酷な事件の数々は金のためには、また性の欲望のためには何でもするという、人間であること、社会の一員として最低限のルールを守る人間であることを止めてしまった連中が起こした事件と言えるだろう。これだけ腐敗してしまった日本社会を、他に例を知らない。戦後60年、金が全ての自民党(保守党)に政治の実権をすべて委ねて、ただ金儲けだけが人生と、あらゆる文化的、伝統的、地縁的、人間的、芸術的価値感を無視して突き進んだ結果が今の日本のそのままの姿なんだろう。自業自得。僕はそう思っている。また日本滅亡の出発点は同じ人間であるアジアの民衆を奴隷のように支配した戦前の軍国主義の時代にあるとも思う。そしてドイツが必死に過去の罪業を清算しようとしたのに、今でも苦しんでいる(アジア諸国の)従軍慰安婦や原爆被害者やハンセン病患者に冷たい仕打ちをしている日本という国の恥知らずなあり方が、この地獄を生み出している、とも思う。まるで海を滅ぼす越前クラゲのように、幼い子供を性的対象として付け狙う破廉恥漢、人でなし、殺すべき奴等は増え続けていくだろう。彼等は日本社会の生みだした悪魔のやからたちなのだ。
No71 12月2日(金) 5:00pm 曇り。身を切るほどの寒さ・・・
だから昼には、思わず近所のパオでスープカレーのランチを食べてきちゃった。がんがん辛くしてね。それでようやく身体があったまる。もう前の雪は全部溶けてしまったけど、昼間でもとにかく寒い。やはり北国の冬は半端じゃないね。でも北海道でも札幌は雪が少ないほう。更に北の方ではもう雪に埋もれているらしい。灯油の値段も上る一方だから、みんな心配している。
まあいやな話は世間に満ちているから、もうやめましょう。そういえば一昨日、ほんとに久しぶりにボブ・マーリイの「TIME WILL TELL」を観た。何故か涙が流れて仕方がなかった。悲しいような感動しているような嬉しいような不思議な涙だった。ボブと同じ年に生まれて生きて、彼は遥か伝説の彼方に行ってしまい、僕はこうして生きている。ボブの死後、彼の遣り残したことを僅かでも引き継げたらと思い、レゲエ・ショップ「トレンチタウン」を原宿で始め、彼が亡くなって十年後の91年に僕なりにラスタの真髄を伝える長編小説「ラスタマン・バイブレーション」をジャプランから出版した。ジャプランの社長の米川さんは、誰よりも早くボブやジャマイカに注目して、「やばいダウンタウン・グッズ」という変な本を出したりした変なおやじだったけど、僕の本を「うちで出しましょう」と言ってくれたのは、彼の人生最大の偉業だったなあと思う。資金繰りに苦悩した挙句に首を吊って果てた米川さん。そしてベンジンを一気飲みして果てたみきちゃん。ボブの人生は、彼に感化されて生き、そして非業の死を迎えた人々とも、僕には寄り添っている。僕も友人に「僕が死んだら、骨をボブのお墓の敷地内に埋めてほしい」と頼んだことがあった。もう彼は忘れてしまったけれど・・・。ナインマイルスのボブのお墓に詣でた若者がトレンチタウンに顔を出して、「レゲエがいつも流れている職場で働きたいんですけど、どこか知りませんか?」と僕に訊いた。その頃繁盛していた六本木のライブハウス「ホットコロッケ」を紹介してやった。ジャマイカからレゲエ・バンドを呼んで、毎晩ライブをさせているかっこいいクラブだった。彼は運良くそこで職にありつき喜んでいた。そのホットコロッケもバブルの崩壊後の景気の氷河時代に消滅してしまった。あそこで働いていた「レゲエ命」「ボブ・マーリイ命」の面々も皆行方知らずになってしまった。ボブ・マーリイ博物館を作りたいと言っていた山田さん。TIME WILL TELL を観ていると、ボブの激しく短い人生、そしてボブを愛した人々の数々の人生が一気に頭に浮かんできて、それでぼろぼろ涙が溢れ出す。流す涙は嬉しく楽しく悲しく偉大な人生の雫(しずく)。そんな気がして、また涙が流れ出してきた。いつのまにか自分の人生とボブの人生がリンクされて一体になっている。そんな奇妙な気持ちにさえなった。
No70 11月27日(日) 7:30pm 曇り。今日は特に寒い・・・
寒々とした鉛色の空の下で冷凍庫のなかのような冷気が北の大地に広がっている。もうストーブなしでは過ごせない。家の中ではエリーが手足を伸ばしてのうのうと昼寝している。窓の外では灰色に染まった雀たちが「寒いなあ」と愚痴をこぼしている。公園の木々も全ての葉を落とし、遠くで待っている春の夢をまどろみながら化石のように固まっている。そんな一日に相応しい文章を紹介しよう。
フランス王妃、マリー・アントワネットの最後の手紙
(1793年)十月十六日、午前四時半(正午に処刑)
「あなたにです。わたくしの妹、わたくしが最後に書き送るのは。わたくしは判決をうけました。恥ずべき死のでなく。それは犯罪人にとってだけです。あなたの兄上(国王ルイ十六世ー1793年1月21日処刑ー:これはその妹ーやはり処刑されたーに宛てた手紙)と一緒になりにいくための。あの方と同じように潔白で、わたくしはあの方と同じ強さをこの最後の時に示せたら、と思います。わたくしは平静です。良心が何ひとつ咎めるものがないのですから。かわいそうな子どもたちを捨ててゆくのはとても悲しい。わたくしはあの子たちのためにだけ生きていたのですから。そしてあなたのためにだけ、よいおひとで優しい妹。あなたは愛情からすべてを犠牲にされて、わたくしたちと一緒になられた。なんという立場に、わたしはあなたをおいているのでしょう!
わたくしは裁判のあの弁論で、娘があなたと離ればなれにさせられたと知りました。ああ!かわいそうな子。わたくしはあの子には書けません。手紙も渡らないでしょう。この手紙もあなたに届くかどうかもわかりません。(届かなかった)あの子たち二人のために、ここにわたくしの祝福を受けてください。いつか、あの子たちがもっと大きくなって、あなたと一緒になれて、あなたのなにくれとない優しい世話が受けられますように。二人とも、わたくしがたえず教えてきたことを忘れないでいてくれますように。ー原則を守ることと、義務を忠実に履行することが、人生の第一の基本なのだということ。仲むつまじく、互いに信頼しあうなら、それが幸福のもとになるだろうということ。娘は、もう大きいのですから、自分がいつも、より一層の経験と愛情から発する助言で、弟を助けてやらなくてはいけないと、感じてほしい。それから息子のほうも、やさしい気持ちで、お姉さんのために何でもしてあげるように。要するに二人とも、これからさきどんな境遇になろうとも、二人がしっかり結び合っていなければ、ほんとうに幸福にはなれないのだということを、感じてほしい。二人が、わたくしたちに見習ってくれますように。不幸のなかで、わたくしたちの親しみあう気持が、どんなにわたくしたちに慰めを与えてくれたか。そして幸福は、分かちあえるひとがいるときに二重にも楽しめるものなのです。そして家族以上に優しく尊い相手がどこにいるでしょうか?
息子が、わたくしがはっきり繰り返し伝えている父親の最後の言葉を、けっして忘れてくれぬように。わたくしたちの死の復讐をしようとは、けっして思わないように。(中略)
さようなら。よいおひとで優しいわたくしの妹。この手紙があなたに届いてくれますように!いつもわたくしのことを忘れないでください。わたくしは心からあなたを抱擁します。わたくしのかわいそうな、いとしい子どもたちともども。ああ!永遠に別れるとは。胸が張り裂けそうです!さようなら、さようなら!もうわたくしはこれからは霊的な義務のことしか考えますまい。わたくしは自由がきかないのですから。おそらく司祭が連れてこられるでしょう。でもわたくしはここに明言します。わたくしはそのひととはいっさい口をききません。断じて無縁のひととしてしか扱いません。
マリー=アントワネット 」
なんという気高く優しく凛々しい精神だろう。二百年以上の時を経ても、処刑寸前の恐怖に堪えながら、子供達のことを気遣い、巻き添えになった義理の妹に謝罪する崇高で神々しいともいえる王妃の心が伝わってくる。愚かしい言動でいわば馬鹿にされている彼女の実像が浮かんでくる。この文章は「150通の最後の手紙:フランス革命の断頭台から(朝日選書385)」から紹介した。他の人々の手紙にも、同じような冷静で崇高な精神が垣間見えてくる。悲しいけど、美しい気持が伝わってくる。僕も見習いたいなあ・・・。
No69 11月23日(水) 10:30am 曇り。凍える寒さ・・・
昨日の昼間からぐっと寒くなり、関東では考えられない寒気が大地も空をも支配する。もう帽子と手袋なしでは外を歩けない。これが北国なんだなあと呆れながらエリーと散歩した。公園のブランコやシーソーがかなり前から、冬対策として縛り付けられ、使えなくなっていたが、昨日は公園内の公衆トイレが閉鎖されていたのに気づく。エリーのウンチを捨てるのに重宝していたのになあ・・・。そうそう公園の周囲にも赤白の高いポールが取り付けられていた。雪に埋もれた際の境界を教えるためだろう。ああ、こんなに埋もれてしまうのかと堆積する雪の凄さを実感した。札幌の街もかなり前からじわじわと雪対策が進んでいた。庭の植木がみな雪吊りで支えられたり、筵(むしろ)やネットでぎゅっと縛りつけられ、枝が雪で折れないように工夫されている。これも関東の人間の僕には珍しい光景。車はみんな冬タイヤと冬用ワイパーに交換された。まだまだ雪も初心者マークだけど、これからすごくなるんだろうなあ・・・。
今世間を騒がせている鉄筋、鉄骨を無造作に省略した、狂気の沙汰としか思えない、ビルの構造計算を偽装した事件。これは洒落で済まない凶悪な犯罪だと思う。もしわいわい言ってるうちにちょっと大きな地震でもあれば、数百人の人々が圧死するのだから。そうなれば大量殺人だぜ。その犯罪を犯した張本人が捕まりもしないでのうのうとテレビのインタビューを受けているのも狂った光景だ。これがバビロンと言わずしていられようか。これだけの凶悪犯罪を犯した人間を罰する法律がない、(少なくとも刑事罰では・・・)のも狂っている。法律がなくったって、インタビューする奴が姉歯だかいう変な名前のサイコ野郎をインタビューの最後にぶん殴るべきだし、警察官だって、とにかくしょっぴいて拷問でもすべきだぜ。みなただ口を開けてポカンと阿呆のように見ているだけなんて最低すぎる。だから、悪党どもに舐められるんだよなあ・・・。まったく情けない。なんて思ってしまいました。悪口雑言ごめんなさい。
No68 11月19日(土) 2:30pm 雪・・・
とはいえ只の雪ではなかった。雷鳴がとどろき大粒の雹(ひょう)がじゃんじゃん降ってきた。あれよあれよというまに道路は真っ白に。雪でもないのに、こんなに積もるなんてと驚いた。午後からは日が差して、道路の雪は溶け始めたが、また同じようなみぞれが降り出した。なんだか訳のわかんない天気。まるで昨日、今日と名古屋を熱く燃え上がらせているONSENSのライブを象徴するような天気。だって、泣いて、笑って、また泣いて、笑う!ってAKIRAさんの得意技じゃん。なんて思ってしまいました。
二瓶君からの、入国管理局に「国外追放」の脅迫を受けているエチオピア青年の救済を求めるメールを、本人の希望により全ての知人、友人に転送したが、かなりの反響があったようで、少しでも力になれたのが嬉しかった。たとえ法律に違反しているといえ、人権を無視した極悪人のような扱い、取調べは、同じ日本人として許すことは出来ない。と僕は思っている。悪名高き入管に圧力を加えることは正義でもあると、僕は信じている。結果がどうなるにせよ、これからも同じような事件が起きる可能性が高いから、やはり皆が彼等のやり方をチェックすることは、結局日本や日本人にとっても大事なこと。
なんだか色々と忙しい日々が続き、日記の更新が遅れてしまった。だいぶ前から書きたいと思っていたことがあったのだけど、もうその時の新鮮な気持ちが薄れてしまい、ちょっと中途半端になったけど、面白い話なので一応紹介します。
毎週、木?か水?ころにNHKの教育(7:00pm〜)でやるドキュメンタリー番組がある。時々偶然気がついたりすると見るのだが、ユニークな視点の印象的な話が多いのだ。ある時には「アレキサンダーは何故死んだのか?」というタイトルで、遥か2000年以上も前の人物の死を、現役の刑事、医者、科学者を総動員して、当時の資料を隅から隅までチェックして、死因を推理するという、通常考えられない視点での取り組みだった。でも綿密に推理を重ねていくうちにちゃんと結論を出すんだよね。アレキサンダーは「毒殺された」という説が有力なんだけど、(宴会の直後に倒れたから)、番組の推理では薬として、当時よく使われていた、ある薬草を、効果を早くあげようと、多く摂取しすぎたのが死因という結論になった。死ぬまでの症状や日数が、その毒草の毒の効き目にぴったり一致するらしい。
前置きが長くなりすぎたけど、その番組である種の超能力者たちの特集をやっていた。通常は自閉症の患者と片づけられる人たちで、ある人は一日中絵を描き続け、素晴らしい作品を生み出している。また映画、レインマンのモデルとなった人は、その頭の中に大きな図書館に収められた膨大な図書類の全てを収容していると言えるほどの膨大な記憶を収めている。とにかく一度読んだものは絶対忘れることもなく、即時に取り出せるというんだから驚くしかないよねえ。そして人が読むのに1ページ3分かかるとすれば、彼は8秒で読んでしまうという。それも左目で左ページを、右目で右ページを同時に読むというんだから、もう信じられない世界です。でもそれだけ膨大な知識を収容する彼の偉大な脳髄は、まったくその知識の意味を理解していないらしい。
とにかくその中で、ある青年が主人公だったのだが、彼は数学の難しい計算の答えを瞬時に出せる人で、なおかつ自分の脳内の活動を言葉で表現できる、とても貴重で珍しい人だった。その彼の話ものけぞった。だいたい1から9までの数字がそれぞれ、まるで人間のように、目で見える形になっているらしいのだ。一は光輝く存在って言ってたかなあ。六は一番大きいだっけ。それを粘土で再現するのだが、二回やってみて、やはり色と形が同じようだった。大学の研究者も彼の言葉を信じるしかなかった。そして、例えば三桁の数字を掛け合わせる場合、彼の答えの出し方はまた驚嘆すべきものだった。だって、435という数字はあるぐにゃぐにゃした形で、895という別のぐにゃぐにゃした形と向き合って、その答えは二つの数字の間の、やはり(掛けるで現れた)三番目のぐにゃぐにゃした形を見れば、それが答えの数字だというんだからなあ・・・。無意識的に、更なる深層心理で計算しているんだろうか?そうそう、素数も形で分かるんだよね。とても美しい形をしているらしい。円周率も、まるで優雅なクラシック音楽のように美しいと言ってたなあ。脳の力の無限の神秘と偉大さを感じてしまう。
その彼がたった一週間で未知の言語だった、異常に難しいと言われる、アイスランド語をマスターしてしまい、テレビでインタビューアーと流暢に喋るのにも仰け反ってしまった。教えた女性が、「彼は教える言葉をまるで掃除機で吸い取るように吸収していった」と驚嘆していたっけ。そして番組の最後に「この能力は誰の脳にも眠った力として存在している筈だ・・・」と言っていた。人間が潜在的に持っているという無限の力。こういう話を聞くと、まだ未来は明るいのかなあと思ってしまう。まだまだ自分を高めることに夢を抱く人がいる限り、未来にチャンスが残っているのかもしれない。

No67 11月10日(木) 6:00pm 曇り時々晴れ
昨日は札幌も初雪だった。雪が降り出すと一気に気温が下がり、夜になると凍る寒さになる。やはり北国の雪は強力だわい。スリップしたタクシーが札幌市内で橋の欄干を突き破って河原に落ちたとニュースで言っていた。運転のプロでもそんな憂き目を見るんだからなあ。気をつけねば・・・。
ところで今日はボブ・マーリイの渋い詩を紹介します。フランスで止むことのないイスラム移民二世、三世の連中の車への焼き討ち事件を思ううちに浮かんだ詩がこれだった。まるで社会全体からのイジメのような偏見と差別がある限り、このような陰惨な、彼等の復讐とも言える事件はなくならないだろう。昔まだボブの詩の内容を殆んどの人が理解できなかった頃に、たった一人でレコードを聴きながら翻訳していった偉人、菅野和彦の「ロバート ネスタ マーレー 詩集」から、一部手直しして、紹介します。ボブのほぼ全曲を訳して自費出版した彼の偉大さを思いだしながら・・・。
「 戦争(WAR)
”人生が教えてくれたことを 学ぶ意志のある者たちに 私は分け与えよう”
ある人種を優秀だと 他の人種を劣悪だとする思想が 究極的に永久に 信用されなくなり 放棄されるまで
到るところで戦争が起き続けることだろう
ファーストクラス、セカンドクラスという階級差別が 全ての国から消えなければ
人の肌の色の違いが 目の色の違いと 同じような意味しかもたなくなるまで
戦争はなくならないだろう
人間の基本的人権が あらゆる人種に すべての人々に 平等に分かち与えられるまで
戦争はなくならないだろう
究極的平和、世界的な(平等の)市民権、国家間の道徳律。 このような理想を束の間の幻想として否定されなくなる日まで
戦争はなくならないだろう
アンゴラで、モザンビークで、南アフリカで、我が兄弟達を 家畜のように奴隷として迫害する
醜悪で下劣な社会体制が打ち倒され 完全に破壊されるまで
あらゆるところで戦争があるだろう
東でも戦争が起きている 西でも戦争が起きている 北でも戦争 南でも戦争
戦争 戦争 戦争の噂が聞こえてくる
(勝利の)その日まで アフリカ大陸に平和はこないだろう
もし戦いが必要であれば 我等アフリカ人は戦い続けるだろう
そして我々は勝利する 勝利を確信している 善が悪に打ち勝つことを 善が悪に打ち勝つことを 確信している
(王の中の王 王の中の王 ユダ族の統治者である獅子 皇帝陛下 ハイレ・セラシエ ・I の演説より) 」
この歌を聞いていると古今東西の無益な戦争のイメージが次々に脳裏に湧き出してきて、とても辛い気持ちになってしまう。そうあらゆる戦争は「差別」から生まれるのだろう。今フランスやドイツやベルギーで夜の闇の中を火炎瓶を握りしめて、ウップン晴らしでしかない車や公共施設への焼き討ちを続ける移民の子供達。まさしくこの歌が示しているようにセカンドクラス(下層階級)として社会から烙印を捺された悲しみと絶望が暗闇を赤く染める炎に透けて見えるような気がする。彼等こそ被害者なんだろう。ヨーロッパの苦悩はまだ始まったばかり・・・。
No66 11月8日(火) 4:00pm 曇り。急に寒い風が吹き出した・・・
三日続きの夜の雨が今夜もありそうだ。昨日はやたら暖かく、今日は急に寒くなり、風が強くておかしな天気。本格的な冬になる前に季節が身もだえしているよう。この辺りの家々も急ピッチで植木の雪囲いを作っている。我が家もお婆ちゃんがせっせと木の柱に竹を何本も縛りつけ、中の樹木を雪から守る作業に忙しい。どこもここも来るべき大雪に備えて大童(おおわらわ)。これも雪国の風物詩だなあと感心する。初めて住民として札幌で暮らし始めたとき、散歩中に見かける家々があまりにも頑丈で堅牢な外観で驚いたことがあった。二重の玄関扉といい、太い柱といい、東京では考えられないほどがっしりした車庫といい、春の麗らかな陽気に浮かれた頭でも、長い冬の厳しい風雪を感じたものだった。そしてようやく冬本番がやってくる。さてどうなることか?まず玄関から出た途端にスッテンコロリンとならねばいいが・・・。
もう一週間以上続いているフランスでの車の焼き討ち騒ぎ。とうとうドイツやベルギーの周辺国まで飛び火したらしい。フランスでは、警察では静めきれず、遂に戒厳令を発動するらしい、とのニュースまであった。ボブ・マーリイも残酷なジャマイカでの戒厳令の日々を歌っているが、アメリカが同時多発テロで一変したように、もしフランスで戒厳令が施行されれば、もう平和と芸術と美のイメージは消え去り、フランスの長く暗い時代の始まりの記念碑となることだろう。
BBCのニュースなどをざっと目を通したが、今回の事件には歴史的必然性とでも言いたいような社会的背景があるようだ。それは合法であろうが、不法であろうが、とにかくフランスに居住するアフリカ系、アラブ系住民のうち、特にイスラム系住民、それも若者達がひどい差別を受けているという現実だ。BBCで色々な人たちに意見を募って、それが無数に紹介されているのだが、僕はある意見が特に気になった。それは親たちが不法移民だとしても、その後フランスで生まれた若者達にとっては、フランスこそが母国であり、むしろ本来の母国は異国でしかない。そしてその母国で信仰、肌の色、等々でひどい差別を受ければ、社会全体への反発が骨の髄まで滲みこんでいくことだろう。そう彼等にとっては「ウオー・イン・バビロン」なのだ。
この全ての発端が大昔の植民地時代のアフリカへの搾取から始まり、そしてヨーロッパと植民地とを結ぶ過去も現在も繋がっている太いパイプにしがみつくようにしてやって来た、アフリカ系、アラブ系住民達。彼等の夢のヨーロッパでの「出口なし」の夢も希望もない状態が「焼き討ち事件」を引き起こしているのだろう。どんな状況でやってこようと、結局誰にでも最低限の自由や平等や豊かさを保証しない限り、もっともっとヨーロッパ文明を焼き尽くす「怒りの炎」が燃え広がることだろう・・・。この事件は未来的とも言えるだろう。そしていつかここ日本でも起きるかもしれない。
No65 11月4日(金) 9:00pm 晴れ。暖かい・・・。
去年の今頃はもう雪が降っていたらしいから、今年は暖冬らしい。今年の冬は札幌一年目だから、その方がありがたい。そうそうさっきの地元テレビでやってたけど、貝殻を混ぜ込んだ特製靴底の冬用靴の紹介をしていた。いかにも滑らなさそうだけど、値段を聞いてずっこけた。なんと一万六千円だって。それならその分飲んで、外で滑って転んだ方がいいやあ・・・。
ところで我が家の癒し犬、エリーのことを紹介しよう。何故癒し犬というかと言うと、まずエリーほど、誰にでもフレンドリーで、撫ぜて貰うのが好きな犬はいないだろうからだ。今まで飼った、五匹の犬達の中で、人懐っこかった犬はジョーだったけど、犬同士ではよく喧嘩した。だから100%ピースフルとは言えない所があったけど、エリーに関していえば、まず一度も犬にも人間にも怒ったことがなく、見るからに平和で柔和な顔をしているもんだから、通りがかりの人たちがひょいと手を出して撫ぜて行く。世の中に絶望しきっているような渋い顔したお婆さんが、エリーの柔和な顔を見て、思わず手を差し出して撫ぜた途端、別人のように優しい笑顔に変わった瞬間も忘れられない。とにかくエリーは、誰が見ても安心するような雰囲気を持っているらしい。
昨日の午後の散歩では、(後で聞いたのだが)、小学校二年生という七歳、八歳のミホちゃん、サキちゃんが家の前の公園で「撫ぜていいですかあ?」と駆け寄ってきた。僕は当然のように「この子も女の子で、大人しいから大丈夫だよお」と、撫ぜさしてやった。エリーはといえば、もうお座りまでして、機嫌よく撫ぜられていた。その子たちは随分犬好きのようで、ドッグフードが入った透明なビニール袋を持っていて、「あげてもいいですかあ?」」「いいよお」となった。でもただあげるだけでは面白くないと、僕は「エリーにお手をさせてごらん」と言った。女の子たちは喜んで「お手」(右手)「お代わり」(左手)をさせていた。お座りしたエリーと同じ位の身長の小さな子たちにちゃんとお手とお代わりをするエリーが可笑しくて可笑しくて、笑ってしまった。
近所のいつも一人ぼっちで外を眺めているお婆ちゃんともエリーを餌にすっかり顔なじみになった。今まで全く表情がなかったお婆さんが見違えるように生き生きとしていった。癒し犬、エリーの力は偉大です。
もう散歩中でも赤ちゃんのように小さな子供がいると、近づいて挨拶するエリー。お母さんに撫ぜられて「可愛いわんちゃんねえ」と言われたい彼女は素晴らしい。エリー最高!
No64 11月2日(水) 7:30pm 晴れ。常識破りな暖かさ・・・
今日はTシャツ一枚でもいいような暖かい天気だった。あまりの快適さに思わず札幌市内をサイクリング散歩した。殆んど平坦な地形だから快適、快適。なんだか自転車にはまりそうだ。なるべく車は使わない方がいいと思っているから、これからは自転車に凝ろうかなあ・・・。
友人のジャーPさんの紹介でインターネットの友達サイト、mixiに参加した。どうもレゲエ関係者、ジャパニーズ・ラスタ関係者がうようよいる世界のようで、少しずつだけど新しい出会いが始まり、これからの展開を楽しみにしている。今まで二度、知人が招待してくれたけど、結局時間切れで入会できなかったりで、三度目の正直だった。するとあのスーパーマンのAKIRAさんを初め、電脳風月堂のJUNさんやYONABEのIKKOさんなど知人が一杯活動していた。どうも随分出遅れていたんだなあと思ってしまう。もしあなたも友人からのmixiへの招待があった時には、是非ためらわずに参加した方がいいでっせ。結構はまります。
少し前にBBCのインターネット版に出ていた記事を紹介します。それは「何故私はアフリカが好きか」というアンケートへの視聴者からの或る返答です。
「私にアフリカへの愛を一番感じさせるのはアフリカ訛(なまり)です。アフリカ訛は我々の先祖からの繋がりを意識させます。
或る人がシャーツ(shirt)をシャチ(shati)と発音したり、ワーク(work:働く)をワキ(waki)と発音したとすると、私には彼か彼女が東アフリカ(East Africa)出身だと分かります。
或る人がサン(son:息子)をスニ(sooni)と発音したり、マネイ(money)をムーヌ(moone)と発音すれば、私には彼か彼女が、西アフリカ(West Africa)出身だと分かります。
或る人がバンク(bank:銀行)をベンキ(benki)と、プレッシャー(pressure:圧力)をプレジュア(prezure)と発音すれば、私には彼か彼女が南方アフリカからの出身だと分かります。
このようなアフリカ訛は私のアフリカへの愛を強めてくれます。そしてBBCワールドサービスのNetwork AfricaやFocus on Africaなどの魅力となっています。
これらの番組で様々な国の訛に出合ったことによって、今では私は誰かが口を開けば、その人がリベリア人か、マラウイ人か、ケニヤ人か、ソマリア人か、ジンバブエ人かが分かるようになりました。」(Sampo K Chiombe。Lesotho)
僕たちはついアフリカを一色で考えてしまいそうになるけど、言葉だけでもこんなに多様性があることを知ると、どれだけ多様な世界かということを感じられるだろう。アフリカは巨大な大陸であり、一つの宇宙であるとも言えるのです。そして地球上で、遥か昔から、最も搾取された大陸でもあるのです。その結果、もはや自立できない人々が豊かなヨーロッパになだれ込み、また大きな社会問題となっています。今日のCNNではフランスはパリ郊外で、黒人の若者達の暴動が五日間も続いていると報道していました。職もなく未来もない彼等は自暴自棄になって暴れているようです。悲しいことに、これが今の現実です。

No63 10月29日(土) 8:30pm 雨のち曇り。そして晴れ・・・
久しぶりの雨が降り、緑が生き生きとしている。そして今日は暖かかったけど、明日の最高気温は10度だという。寒そう・・・。今日、地元の人から、去年の風台風の話を聞いた。家の前の北風公園のポプラの大木が地響きをたてて倒れたらしい。今では哀れにも大きな切り株から一杯枝を出して、葉っぱを茂らせている樹のことだろう。そのおじさんに言わせれば、札幌の歴史始まって以来の大風だったらしい。大袈裟に言えば、「札幌には台風はこない」という通説が打ち破られた瞬間だった。でも戦後間もない頃には、北海道にも台風が襲来したらしく、洞爺丸というフェリーが突風と高波で沈没した。アメリカの立て続けのハリケーンを地球温暖化とどう関連づけるかというBBCのレポートでは、まだまだデータ不足で、簡単には結論が出ないらしい。実際過去にはもっと凄いハリケーンがきているというし、結局いつまで経っても、地球温暖化が原因と信じる人たちと信じない人たちの溝は埋まらないような気がする。果たしてどうなるんだろうなあ・・・。
そうそう、もう一つ気になる話を聞いた。その人は海釣りをするらしく、釣り仲間の海の情報にも詳しいのだが、特に今年の海は水温が高くて、いつもはいるはずの魚たちが全然いないらしい。これも地球温暖化と関連づけたくなる不気味な話だと思う。もっともっと身近にそういう情報が溢れているような気がする。数日前にエリーとの散歩でよく行く発寒川に、以前より多くの渡り鳥たちが集まっているのに驚いたが、何故驚いたかというと、もう冬も近い今の季節にはもっと南の方に行くべきだと思うのに、何故北国の札幌に来ているんだろう?というどこか平衡感覚を失ったような不気味さを感じたのだった。僕がHPの表紙で紹介した「地球温暖化で苦しむ動物達」にあるような渡りの変化が日本でも起きているような気がしたのだった。
まあ、そういう話は置いといて、或る話を思い出した。それはハリケーンで壊滅したニューオーリンズで、主人とはぐれたペットたちを保護して、元の飼い主に返すというヒューマン(人道的な)活動を続けているボランティアーの人々のことだった。300人もの人々が苦しむペットたちと喪失感に打ちひしがれている住民達に、僅かでも、生きる喜びと希望を与えようと、例えば或る女性は他州での警察官の仕事を休職して頑張っているという。こういう善意100%の人々の活動もまた「アメリカだなあ・・・」と思ってしまう。もう二十年以上も犬達と暮らしてきた僕の目には、彼等の活動は神々しいとさえ映る。ひたすらイラクからの米軍の撤退を訴え続けるシンディ・シーハンさん同様、彼等アメリカ人の底抜けの善意や信仰にも近い信念には、ただただ尊敬の念を抱くしかないのだ。
やはり世界は、ボブ・マーリイも最後まで訴え続けたように、善と悪が喰らいあう飽くなき戦いなのだろうか・・・。そんなことを思ってしまう。

No62 10月24日(月) 2:30pm 晴れ。朝は寒かったけど、午後はぽかぽか陽気・・・
久しぶりにボブ・マーリイのことを考えた。彼が1981年5月11日に亡くなってから早(はや)24年が過ぎた。彼の死後起きた重要な事件といえば、ソビエト共産圏の崩壊や世界同時多発テロやアメリカ軍のアフガンやイラクなどのイスラム教国家への侵攻があるだことろう。しかしレゲエやラスタファリを深く愛する僕たちにとっては、27年間獄中にいた伝説的人物、ネルソン・マンデラの釈放と残虐な人種隔離政策、アパルトヘイトの廃止、それに南アフリカ初の黒人大統領にマンデラがなったことや、狂信的共産国家だったエチオピアのメンギスツ政権が崩壊して、自由に誰でも入国できる新しいエチオピア政権の誕生が挙げられるだろう。そしてその結果分かったセラシエの処刑もショッキングなニュースだった。36歳という若さでこの世を去ったボブがもし生きていれば、どんな歌を創ったことだろう?そんなことを思う。至高の存在である神と精神を共有するような純粋で過激な彼の「生まれなかった歌」を想像してしまう。そんな思いで、僕の大好きな彼の歌の一部を紹介しよう。
「POSITIVE VIBRATION」(ポジティブとは、生きている限り遭遇する様々の気分を悪くするような出来事、または障害に雄々しく立ち向かって、倒れても倒れても何度でも立ち向かい、遂には打ち勝っていくような強い意志を持って生きる情熱や、その情熱を抱く人の感じさせる熱気のようなもの)
もし本気で生きたいのなら、死に物狂いで生きろ ラスタマン・バイブレーション それはポジティブ
I&I バイブレーション それはポジティブ(I&Iとはラスタが自分を指す言葉。神(セラシエ・アイ)と自分(アイ)を一体化させている。ラスタファリの真髄)
俺は物事を創造していく。至高の神の高みににまで昇って 揺るぎないバイブレーション それはポシティブ
お前が毎日争ってばかりいるのは 悪魔に祈りを捧げているようなもの 何故みんなで助け合おうとしないんだ ずっと楽になるだろ
そんなネガティブ(否定的:ポジティブと正反対。全てを悲観的、消極的に考えること)な生き方では、真に生きているとは言えないぞ
俺の言葉が理解できるなら ポシティブな明日を目指して前進するんだ
それは新しい日(の誕生)
新しい時代 新しい感覚 新しい奇跡
おお なんて素晴らしい日々だろう
今を今を 今から変えていけ おおジャー(神)の大いなる愛よ ジャー ラブ よ 我等を守り導きたまえ
80年代後半、僕はこの歌に鼓舞されながら、原宿トレンチタウンのカウンターで、溝の口の二階家の押入れの中で、ひたすらおぼろげなビジョンを追い求めながら長編小説「ラスタマン・バイブレーション」を書き続けた。1991年にジャプランから出版されるまで、この新しい時代、新しい感覚、新しい奇跡というフレーズに痺れながら、ひたすらボブのビジョンを日本語世界に鋳込む作業を、まるで高い山を這いずりながら登るような、気の遠くなる思いで続けていた。そしてこの本の誕生と共に、日本人にラスタの道が開かれたのだった。多くの若者達が旅立っていった。
No61 10月23日(日) 3:00pm 曇り。当然寒い・・・
今日はお日様がまったく顔を出さないから、秋めきすぎて、関東の人間の感覚だと冬と言いたくなるような寒々とした一日になった。先ほどインターネットで海外のニュースを見ていたら、現在メキシコのユカタン半島に上陸したハリケーン、ウイルマは進行速度がたった五、六キロなので丸二日間も街を「袋叩き」(SLAM)しているという。堪らないよねえ。そしてWで始まるウイルマで今年用意した21個のハリケーンの名前は全部使い切ってしまい、後はギリシャ文字のアルファベットを使うことになる、と二、三日前に出ていたが、もうハリケーン「アルファ」が誕生したらしい。地球温暖化で海水温が上昇した海から限なく湧き出してくるハリケーン。恐ろしいことですねえ。ジャマイカにもかなり被害が出たらしいけど、アメリカの陰に隠れてニュースにもならない。
地中海のシチリア島の近くのマルタ島ではアフリカからボロ舟で脱出した難民が溢れて、島の住民達も流れ着いた移民達も悲鳴を上げているらしい。ヨーロッパ各地を目指す不法移民を阻止するために、アフリカから最初に辿り着いた国から出さないという国連だか、EUだかの規則があって、彼等は別にマルタ島を目指した訳でないのに劣悪な環境で足止めされているらしい。
1980年頃にイギリス、フランスに行った時、特にパリの路上で物売りをしているアフリカ人の多さに驚いたことを思い出す。そうそう、イギリスからフランスへは列車の乗り継ぎで、ドーバー海峡を船で渡った時、入国書類の書き方を教えてくれと言ってきた、アフリカ人の青年が税関で捕まっていたなあ。その時も国境が、気楽な旅人には、ただ面倒なだけの存在だけど、生存を賭けて国境を越えようとする人々には厳しく残酷な貧しい世界と豊かな世界との境だと、しみじみ感じたことも思い出した。アフリカから洪水のように流れ出る不法移民の波は、ますます大きくなっているようだ。それだけ彼等の故郷が生き辛くなってきているのだろうなあ。この背後にも、僕は地球温暖化の影を感じてしまう。気候の変動は作物にも被害を与えるだろうし、地球上で多くなった集中豪雨に比例するように乾燥化も進んでいる。貧しく社会基盤が脆弱なアフリカの人々が、地球上でまず最初に温暖化の生け贄(にえ)になっているのは間違いない。その結果が不法移民の大量流出になっている。この流れを誰も止めることは出来ない。
No60 10月21日(金) 晴れ。
今朝は面白いことがあった。いつも近くで見える三角山に初登頂したのだ。標高311mの可愛い山だけど、結構急坂もあって、山登りらしい気分も味わえた。僕たちは8時頃に家を出たので、まだあまり人のいない時間に登れたから良かったけど、帰りには続々人が押しかけてきていた。この分では狭い山頂はすし詰め状態になるなあと驚いた。それにしても家から車で僅か10分で山登りが出来るんだから札幌は不思議な街だなあと思う。日の差した山頂からは綺麗な碁盤の目状の道路で区画された札幌のビル街が目の前に広がっていた。山頂から直ぐ下に東屋(あずまや)があり、そこに登った人々の感想文が書かれたノートがあったから、僕も初登頂の感想を書いてきた。都会生活とは思えない、優雅な朝だった。
(10月22日・土 10:30am)と書いたところで邪魔が入り、もう今は翌日。ついでに続きを書きます。昨日の夕方の散歩では、どこに行くかを決めるのが面倒になって、家の前の公園でオシッコとウンチをしたエリーに「好きなところに行ってもいいよ」と言ったら、ちょっと困ったような顔をして、どっちにしようかなあと周囲を見回し、それから公園のフェンス沿いに歩きだした。(どこに行くつもりかなあ)と、何となくわくわくしていたら、やはり僕がリードするのとは別のルートを選んでいたので、可笑しかった。結局少し遠くのホーマックというホームセンターの近くまできて、広い道路を横断しようとしたから、「青になるまで駄目だよ」と待ってたら、せっかく青のなったのに、気が変わって元きた道に戻ってしまった。そしてまた随分長く匂いを嗅いでいた草むらに戻って、またしげしげと嗅いでいた。そうして結局分かったことは、僕は「発寒川に行こう」とか、「三角山の方に行こう」とかするのに、エリーはどこに行きたいという考えはなくて、ただ当座の匂いに惹かれて、うろうろするのが彼女の理想的な散歩だということだった。
景色なんかには全く興味がなくて、食べ物と男の匂いに惹かれて、街をほっつき歩く。何だか、人間の女の子も似たようなもんだろうなあと思ってしまった。失礼な言い方かなあ・・・。
今日は、少し早いけど、我が家の車に冬タイヤを付ける予定。11月になると路面が凍るようになるというので、北海道初心者としては早目に冬対策する方がいいだろうと行動した。こちらに来て、ウインドウウオッシャー液も冬用があるのを初めて知ったし、窓の氷を削り、屋根の雪を払う車用ホーキの存在にも、想像を絶する大雪の日々を感じてしまう。除雪機のセールもやってるしなあ・・・。札幌の冬は凄そうです。

三角山の頂上から札幌市街を見下ろす。右手の小山は麓に野球場や動物園がある円山。絶景でした・・・。
No59 10月20日(木) 5:30pm 晴れ。暖かい一日だった・・・
今日の夕方の散歩では雪虫が大量発生していた。ちらほら飛んでいるのなら風情があるが、わんさかわんさか群れになっていると、どうも有り難くなくなってしまう。いくら珍しい虫と言ってもねえ・・・。
また凄いハリケーンがカリブ海で発生したらしい。昨日のCNNではジャマイカが洪水状態になった写真が載っていたけど、とにかく昔ジャマイカに壊滅的被害を与えたギルバート並みの強烈ハリケーンらしい。昨日はカテゴリー5(最強クラス)だったのが、4になったらしいけど、それでも風速は約70Mもあるらしい。(時速250Kmを換算して)。ウイルマというのが今度のハリケーンの名前だけど、びっくりしたのが、これで今年用意した21個の名前を全部使い切ってしまい、もしこれからもハリケーンが現れれば、もうギリシャ文字のアルファ、ベータと付けるしかないというんだから。それほど多かったらしい。1953年に今の観測態勢が出来て以来初めてというから、いかに異常かが分かるだろう。今度のウイルマでも完全避難しなければ、ニューオーリンズ並みの死者が出るだろうと専門家が警告している。日本の台風がこんな化け物でなくて、本当によかった。広いアメリカだから、避難も可能だけど、日本で避難しろと言われても、行き場がないからなあ・・・。怖い時代になったもんだ。
そんなアメリカも、ハリケーンの原因が地球温暖化だとは公式には言わないけど、省エネルギーにようやく本気で取り組み始めたらしい。自由奔放を国是とするような国だから、まず実現不可能なことが多いらしいが、そうは言ってられない時代がすぐやってくるだろう。
前から観たかった「モーターサイクル・ダイアリーズ」をやっと、ビデオで、観た。まだ23,4歳のチェ・ゲバラが年上の友人と二人で一台の年代ものバイクに乗って、南米大陸の道(川もいれて)10000キロ以上を旅をする実話で、キューバ革命の指導者としてのイメージとまるで正反対の優しくナイーブで真面目な若者だったのが意外だったけど、最後にはそういう人だったからこそ革命に命を投げ出したんだなあとも感じた。金持ちの家に生まれた医学生の彼が、旅先で底辺に生きる、社会から弾圧、搾取される哀れな人々に同情と共感を感じていくのが良く分かった。彼自身もこの旅で生まれ変わったと言っているらしいけど、旅すること、人と出逢うことの大切さをも教えてくれる映画だった。それにしてもアマゾンの奥地に、文明社会からまったく隔離されて生きるハンセン氏病の人々の暮らしはあまりにも可哀想なものだった。その中でも人生に楽しみを見つけようと必死に生きている人々に、ゲバラは何かふっきれた想いを抱いたような気がした。青春ドラマでもあり、重い現実を描いた社会派ドラマでもある不思議な味の傑作だった。みんな見るべきです。
No58 10月18日(火) 11:30am 晴れ。空気が冷たい・・・
一昨日は雪虫に感激したが、昨日はあまりに大量発生して目や口に入りそうになるほどで、ただの迷惑な虫に堕ちてしまった。やっぱり一匹、二匹が優雅に舞っているのがいいんだよねえ。もう当たり前の光景になってしまったぞ、雪虫!
最近読んだノンフィクションで「ララミーへの道」(世界ノンフィクション全集20:筑摩書房刊)という西部開拓時代の記録があった。フランシス・パークマンという人が1846年にセントルイスを出発して、西部の土地を手にいれようと無数の幌馬車隊がのろのろと進んでいる光景を横目に見ながら、酔狂にもインディアン達同士の大戦争があるという噂を聞きつけて、戦争の主役であるダコタ族の部落に、知人のつてで入り込み、草原で生きるインディアン達の日々の生活をつぶさに見ながら生活したのだった。インディアンといっても色々らしいけど、それでも当時の彼等の暮らしが匂いたつように鮮やかに描かれていて、僕は150年前の西部に思いを馳せたのだった。
この時代、まだ白人達の侵略が始まったばかりで、表題にあるララミーも、まだ軍隊の砦(とりで)ではなく、インディアンから毛皮を買い取る会社の砦だった。アメリカ政府の残虐な騎兵隊もまだ姿を見せない頃だった。この著者が言うには、この後あっと言う間に彼が体験した世界が消滅してしまったらしいから、自由なインディアン達の世界の残照というべき光景だったのだろう。時には大平原を真っ黒に染めるほどの野牛、バッファローの大群。それを狩猟することで、食料、衣料からテント(ティピ)のシートまでの全てを賄(まかな)っていたという。これが僅か150年前の出来事なんだからなあ・・・。徳川時代の150年前なら、僅かに町が大きくなって、田圃(たんぼ)が僅かに増えたくらいだろうが、自然破壊という尺度で眺めてみると、近代現代は物凄いスピードで破壊を進めていることがよく分かる。今となってみれば、あのアメリカ本土の広大な緑の資源と数えきれないバッファローに始まる生き物たちの殆んど全てが殺され尽くされているのだから。人間の文明の発展そのものが自然破壊そのものであるとしか思えないのだ。
数ヶ月前にラベンダー畑で有名な富良野に行った時も、富良野や美瑛の、人の手によって生まれた美術工芸品のような景色に感動したのだが、またそれと同時に(たった百年で元の自然が殆んど消滅したと言えるくらい変わってしまうんだなあ・・・)と感じたのだった。滅びたインディアンの人々と同じく、現在では僅かに二万数千人しかいないアイヌの人々が自由に暮らしていた頃を思うと、あまりにも早く変化してしまったと思わずにはいられない。鉄道ができ、車が走り、飛行機が空を飛び、人間である限り誰もが「文明の進歩」に100%の期待を持っていた時代はもう終わりつつあるのだろう。アジアの大津波やニューオーリンズの洪水やパキスタンの大地震を見れば分かるように、どんなに科学が進歩しようと、大規模な災害にはまったく無力だし、その災害の原因を「文明の象徴」である自動車や工場や家庭が生み出していることは、まったく笑いたくなるほど馬鹿げている。昔より移動手段が早くなり、部屋が暖かくなり、世界中に旅行ができ、世界中の食べ物を味わうことが出来るのは結構だけど、それが人類や他の生命体全ての生存を危機に追い込むほどの値打ちがあるものなんだろうか?と思わずにはいられない。
No57 10月17日(月) 10:30am 晴れ。朝は寒かった・・・
昨日、生まれて初めて雪虫を見た。ボタン雪位の白いふわふわしたものが風に漂うように飛んでいた。思わず「あれは生き物ですか?」と訊いて、彼女のお母さんに笑われてしまう。雪虫が現れると雪が近いのだという。一年間で僅かな時期しか見ることのできない不思議な生き物。これを見るのも北国の住人となった証なんだろう。そうかあ雪が近いのかあ・・・。
数日前に二瓶君という元気のよい若者から「ヒロさんに共感しました」とメールがきた。彼は画家で、エチオピアに滞在したことがあり、その時出逢って仲良くなったエチオピアの青年を日本に呼んだのだが、最近彼が入国管理局に捕まってしまったらしい。二瓶君は、ラスタファリアンが「ジャーの聖地」と夢見るエチオピアが、実際には平和なデモ隊に銃を浴びせかけ、何人殺しても平気な残酷そのものの軍事独裁政権が支配する地獄のような国だし、そこに無償援助と称して金を出す日本も、援助金の全てが日本企業に流れる仕組みで、エチオピアは維持管理に自国の税金を投入しなければならないという、大袈裟にいえば、迷惑をかけるだけの援助だとも言っている。アフリカで必死に生き延びようとしている若者達に比べれば、ただ遊び呆けているとしか感じられない日本の若者達こそが現実をきちんと知って、がんじがらめの大人社会の資源浪費世界を変えていかねば、もう未来はないだろう。
彼の怒りにいたく感銘を受けた僕は、彼の許しを得て、ただちに彼のコーナーを作ってしまった。これからも彼の力強いメッセージが電脳空間に流れていくことを期待している。僕には信じ難いことなんだが、小泉首相率いる自民党政権に心も肉体も投げ出してしまった大多数の日本人は、彼等が行う全てのことに共同責任があると思う。日本社会がちびちびと改革されていったところで、僕が最も心配している、地球温暖化や石油に代わる代替燃料の開発と、全ての無駄との戦いには、全く無力だし、関心もないだろう。あの何とかいう若造が、棚からボタモチで、衆議院議員になって、あまりの好待遇に有頂天になって叱られた事件が象徴するように、税金を湯水のように消費する議員という存在そのものが反社会的、反エコ社会的なのだ。平均的(正確な言い方ではないが)の何倍いや何十倍の収入を得ている人間が、現実や未来の問題を真剣に考えられる訳がない。人も歳費も削って削って、村会議員並みの人数と収入で国会をやりくりするのが、今の出口なしの社会状況に相応しいのではないのか?とさえ思ってしまうのだ。
これからも現実に対する怒りに満ちた声には大いに門戸を開いて紹介し続けたいと思っている。僕の予想では、もう地獄の門が口を開いて待っているような気がしてならない。恐らく来年は今年以上に自然災害が更に深刻に、更に広範囲になっていくことだろう。そんな現実を前に、相変わらず貧しい政治が続けられていくのは、もう悲劇を通り越して喜劇としかいえないだろう。もう何が起きても笑うしかないのかなあ・・・。
No56 10月13日(木) 8:00pm 晴れ。空気は冷たいが爽やかな一日・・・
さっきAKIRAさんのサイトを覗いたら、ONSENSの高知ライブの感想集が完成と出ていた。(ふーん、どんなもんかい)と開いてみたら、いの一番に、だいぶ前にAKIRAさんに送ったメールがそのまま載っていたので驚いた。だってライブに行ってないんだからなあ。ただ色々の高知の情報に触れて感じたことを書いてあったのが、まあAKIRAさんが気に入ってくれたんだから「いいか」と納得した。でも一番目立つ所にあるからちょっと気恥ずかしいんだけど・・・。AKIRAさんの活動を見て、最近頭に浮かんだ言葉がある。全然ミスマッチだとは思うけど、でも何故か僕にはぴったり彼と一致する部分があるんだよなあ。そして昨夜のNHKで坂本竜馬の裏工作によって、当時敵として一番憎みあっていた長州藩と薩摩藩を「薩長連合」という形で同盟させ、この日本最強の二藩が結びついたことによって、いわば自動的に革命が成功したという番組を見ていたら、ますます思いを強くしたのだった。
と長々と喋ったけど、その頭に浮かんだ言葉とは「奔走家」という実際に倒幕運動が始まる以前に諸国を走り回って「革命を起こそう」「尊皇攘夷しかない」と、日本中に革命の炎をつけて回った人たちのことだった。今現在AKIRAさんと彼のファミリーが札幌で、高知で、次々に出会って、いわば深い縁を結んでいくのを見ると、この動きが何を生み出し、何に向かっているのか、とんと見当がつかないけれど、新しい生き方や社会のあり方を目指す大きな運動体となっていくような気もするのだ。だからそんな言葉が頭に浮かんだのだろう。彼の歌も彼が皆に与える感動も、今までなかったものだから、近い未来か遠い未来に彼の活動の全貌や意味が明らかになるまで、どこか霧の中のようなおぼろげな感じがつきまとう。だからこそ面白いし、だからこそ最高なんだけど・・・。
そして僕が思うに、新しい社会のあり方とは、まったく見えてはこないのだけど、とにかく急速に破局に向かっている地球環境を前提に置いた社会変革そのものだと思う。その究極の目的地はまったく新しい社会構造と哲学(本当のユートピアが生まれるかもしれない)の誕生なんだろう。地球上の全ての生き物が生き延びていくためには、もう国家も宗教も、勿論人種も超えた(ボブ・マーリイのいうワンラブの精神のような)連帯精神のみが、最後のチャンスとして、地球の再生を可能としていくのだろう。大袈裟にいえば、AKIRAさんの活動はその第一歩を作り出しているような気がしてならない。ある種の革命が始まるのかもしれない。でも買いかぶりすぎかなあ・・・。彼を支える人々や感化される人々の熱い熱情を思うと、今の閉塞的な日本で、唯一の希望となるような、新しい若者達の社会活動にまで繋がっていくような気がしてならない。楽しみだなあ。
さきほどポーランドの名監督、アンジェイ・ワイダの「コルチャック先生」を観た。ナチスドイツのヨーロッパ侵略の時代、ポーランドで孤児院の院長だったコルチャック先生は、有名な医者でもあり、子供の人権を擁護しようとする活動家だった。つまり当時のポーランドの良識を代表する有名人だった。その彼はユダヤ人でもあったから、彼は同じくユダヤ人の子供達が強制収容所に送られるという残酷な運命に遭遇してしまう。その彼をなんとかして救いたいと努力する人々がいたにのに、「200人の子供達を残して、自分だけ生きることはできない」と、頑なに救出の手を拒み、結局子供達と貨車に乗り、愛する子供達と共に強制収容所のガス釜で死んでいった・・・。こういう人を見ると、涙が自然に浮かんでくるのだが、まるでキリストが人類の罪をあがなう為に十字架で処刑されたように、彼も同じように死んでいったような気がしてならなかった。そしてそばで「撫ぜろ」としつこくせがむエリーの愛らしい顔を眺めながら、なんとなく「僕の人生で、お前が最後の犬なんだなあ・・・」と思ってしまった。コルチャック先生は偉大です。久しぶりに心が洗われました。

No55 10月10日(月) 5:30pm 曇りのち雨で、晴れのち曇り。なんという天気・・・
日が差さないと札幌は一気に寒くなる。今日は灯油ストーブを出して直ぐ使えるように準備した。エリーの昼間の寝床も周りをダンボールで囲い、タオルケットを二枚重ねて、一部冬支度に進行している。そんな冬への対策も、暖かいと気が緩み、寒くなると追われるような気持ちになる。千葉では二月を除いてはたいした寒さでなかったが、ここでは12月から2月までが厳寒らしい。少し恐怖を感じながらの冬支度。
前に紹介した「チベット旅行記」の話をまたします。僕が惚れこんだ至高のお坊さん、川口慧海がチベットに潜入したのが明治32年(1899年)のことで、二年間滞在したのだが、そこで逢ったダライラマは13世。そして今のダライラマは14世。百年以上の歳月が経っているのに、まだ次のダライラマの時代というのも、不思議な気持ちになった。13世は、彼を謁見した時には26歳の若さだったらしいから、長命な現ダライラマが先代の生まれ変わりとして、先代の永眠と同時に生まれた赤ん坊だったのだから、どちらも長命であればこそ在りえることなんだろうなあ・・・。でもやはり不思議。片方は遥か昔の歴史の彼方の人なのに、もう一方の14世は現代の人なんだからなあ。まあ、それはともかく、川口師の旅行記には驚くべきことが記載されていた。全てを仏に捧げた純粋そのものの人だから、僕は信じるしかないのだが、或るとんでもない秘薬の話が載っていた。それを紹介します。
「薬といえば、チベットには奇妙な薬がある。その正体を知った者はおそらくチベット人をのぞいてだれも飲むことができぬだろうと思います。それは法王とか第二の法王とかの大便を乾かして、いろいろな薬の粉を混ぜ、それを法王あるいは高等ラーマの小便でこねて丸薬にこしらえ、その上を金箔で包むとか赤く塗るとかして、それにツア・チェン・ノルブー(宝玉)という奇態な名をつけ、薬に用いております。これもけっして売りに出すのではなく、よい伝手(つて)があれば、お金をたくさんあげてようやくもらうことができるといったもので、非常な大病になったとか、臨終の場合とかにそれを一つ飲むのです。それでよくなれば薬が利いたといい、たとえそれで死んでも、「まことにありがたいことだ、ともかく宝玉を飲んで死んだのだから、あの人もさだめて極楽に行かれるだろう」と言って、誉(ほまれ)のように思っております。(中略)それを知っているのは、宮殿に出入りする官吏官僚その他事情に通じている人だけです。」
そしてもう一つ。
「その人たちは強盗の本場カムの近所のダム・ギャ・ショの人であると聞きましたから少し疑念が起こりました。なぜならそのへんに、
人殺さねば食を得ず、寺回らねば罪消えず、人殺しつつ寺回りつつ、人殺しつつ寺回りつつ、進め進め。
ということわざがあるからです。そういう国の人で、女でも人を殺すぐらい平気にしている気風でありますから、油断はできないわけです。」
そして聖なる山に礼拝しながら・・・
しかるに、その人はこう言っているのです。
「ああ、カン・リンポ・チェよ、釈迦牟尼仏よ、三世十方の諸仏諸菩薩よ、私がこれまで幾人かの人を殺し、あまたの物品を奪い、人の女房を盗み、人と喧嘩口論をし、人をぶんなぐったいろいろの大罪悪を、ここで確かに懺悔(ざんげ)しました。だからこれで罪はすっかりなくなったと私は信じます。これから後、私が人を殺し、人の物を奪い、人の女房を取り、人をぶんなぐる罪も、ここで確かに懺悔いたしておきます。
その後ある人に聞きますと、カム人はみなそういう懺悔をやっているということで、実に驚かざるをえんではありませんか。」
もう時代がすっかり変わってしまい、もうこのような人たちはいないのかもしれないが、どうなんだろう・・・。土地の伝統としてしぶとく息づいているような気もするが・・・。人間の文化の奥行きの深さを感じてしまう。
No54 10月9日(日) 1:00pm 晴れ。久しぶりに暖かい一日・・・
今日は久しぶりにTシャツ一枚でパソコンに向かっている。暖かいのは有り難いなあと感じる。今朝も彼女のお母さんと植木の冬囲いと、千葉から持ってきたバイクや自転車の、冬の間の、片付け方について話しあった。とにかく12月から2月までは、道路までの僅かな通路にもうず高い雪の壁ができるというのがピンとこない。でも四十年以上暮らしている人が言うんだから、そうなんだろうなあと必死に頭をめぐらせた。バイク等は家側に寄せて、隣家の壁際に雪をはねるよう予定しておこう、という結論になった。去年は雪がすごかったらしいから、こちらの人たちも雪対策に真剣そのものなのだ。ストーブも煙突に接続するタイプになりそうだし、完全に冬支度が終わるにはまだまだ大仕事が色々あって、頭が痛いです・・・。
AKIRAさんの日記にも出ていて、高知のイベントでも活躍していた札幌の規加ちゃんが「戻ってきたよ」とメールをくれた。あちらの話を楽しみしている。彼の日記を読んで、特に不思議に思うのは、参加したみんながよく泣くこと。ずいぶん昔から、「日本人が泣かなくなった」という話をよく聞いたけど、AKIRAさんのフアンの人たちは純情者ぞろいだからか、感動の涙をよく流す人たちだなあと、僕は感心している。でもいいことだとも思っているよ。昔読んだ「平家物語」では、何か起きるごとに都の人たちが「袖を濡らして」泣いたという記述が、繰り返し繰り返し出てきて、「昔の人たちはずいぶん泣き虫なんだなあ」と不思議にさえ感じた。何だか、アキラマニアの人たちは平安時代の人々のように泣いているような気がした。それだけ純粋な魂の持ち主達だからこそAKIRAさんのメッセージに惹かれるんだろう。AKIRAさんが札幌で、高知で、次は横浜らしいけど、ライブをやるたびに、彼の土俗的メッセージに共感する人々のウネリが大きくなっていく。彼等がこれからどこに行こうとしているのかと期待しているが、有名になった後の反作用、例えば週刊誌やテレビでの意地悪なレッテルを貼られるのが心配でもある。彼の真髄が素直に世間に受け入れられることを祈っている。それでも彼が大きくなっていけばいくほど、色々のことが起きていくんだろうなあ。未来は神のみぞ知る、としか言えないが・・・。さて一年後の今頃、AKIRAさんはどうなっているのだろう?
掲示板を始めました!みなさんの書き込みを楽しみにしております。
No53 10月7日(金) 10:00pm 曇り時々晴れ・・・
昨晩はぐっと寒くなったけど、今夜は暖かい。北国の冬も一直線には寒くならないんだなあ・・・。まあ有り難いけど。でも冬の寒気と大雪に備えて、色々準備が始まった。今朝は冬タイヤのセールのチラシを見て、車でタイヤの見積もりに行ってきた。タイヤは結構するんだよね。頭が痛い。
それはともかく、ようやく或るノンフィクションを読み終えた。明治時代に厳しく鎖国していたチベットに、仏典の研究の為に密入国して遂には願いを果たした川口慧海(えかい)というお坊さんの旅の記録(チベット旅行記:世界ノンフィクション全集6:筑摩書房)で、それが面白くて、飛ぶように読んでしまった。彼のヒマラヤの山々を単独で越える時の惨憺辛苦の様は、(よく生き延びられたなあ・・・)と何度も感嘆するほどの苦しく危険で絶望的な状況を繰り返しながら、じわじわと目指すチベットの首都、ラサに着いてしまうのが、何か人智を超える力が彼に味方するような不思議さを感じて、まず普通の旅人にはない、とても崇高な精神性とも言うべきものを感じてしまった。そうそう、まず驚いたのが、日本でも信者の多いお坊さんだったから、皆に「死ぬから、およしなさい」と言われても、「仏道修行の末に死ぬのは本望です」と強引に旅立つ彼に、「何か餞別を贈りたい」という知人に、大酒呑みの人には「禁酒を餞別に」と言い、煙草を吸う人には「禁煙を餞別に」そして狩猟する人には「殺生を止めることを餞別に」と迫り、何人も生涯、その時の誓いを守ったというのには驚いた。そう彼は餞別を贈ろうとする相手に、健康と崇高な人生を贈り返したのだ。これほど高い精神性の持ち主だから、彼が辛苦を味わいながらの旅の日々にも、出逢った人たちに敬愛され、崇拝され、皆から守られながら、夢を果たしていったのが素晴らしい。「チベット旅行記」は昔から気になっていたが、これほど素晴らしい人が明治時代に活躍していたことが、同じ日本人として、とても幸せな気持ちになった。そして明治時代の仏教が、今の「葬式仏教」と揶揄される感動の薄いものとは、全く別物のある種革命的な精神運動だったことが理解できたのだ。素晴らしい人物だ。ある人は「日本最高の探検家」と呼んでいたが、僕は「日本最高の仏教徒」と呼びたくなった。彼の気高い精神性は読んでみないと分からないだろうから、興味がある人は図書館に行って、是非読んでみてください。
No52 10月5日(水) 晴れ
とうとう二、三日前から地元テレビでは「除雪機」のコマーシャルをばんばんやりだした。また一段と冬に近づいた、嫌な感じ。昨日あたりから、特に早朝はぐんと寒くなって、前に暮らした千葉の感覚では「冬の寒さ」になってしまった。Tシャツにトレーナーだけでは、まだ寒く、更にダウン・ベストを着てちょうどいい。やはり北国の冬は駆け足でやってくるんだなあと実感している。まあ、生来無謀な性格の僕だから、耳にたこが出来るほど脅かされた、冬の苦労を楽しみにしているけどね・・・。
今晩高知ではAKIRAさんのソロ・ライブがあるらしい。まだ現地の情報が殆んどきていないが、彼のファミリーが携帯から更新しているブログによると、金、土、日の「ヘンプ・ギャザリング」は凄い盛り上がりだったらしい。イベントの主催者でもある友人から、開催地の四万十川流域がとても神秘的な土地柄ということは、そのブログを読んでも伝わってきた。さてAKIRAさんが帰ってきてからの、彼の報告が楽しみ、楽しみ・・・。
去年、「自然の終焉」という衝撃的な本と出会って以降、「地球白書」の今年度版と十年前のものを入手して、地球環境の荒廃化のスピードの速さに、(もう人類に未来はないんじゃないだろうか?)という暗い予感にたじろいだ。そして今年の立て続けのアメリカのハリケーンや、やはり国土を荒廃させる一方の破壊的台風の来襲や、世界各地の異常気象や空前の山火事(ポルトガルで特にひどかった)に、ますます地球温暖化の危機を感じるようになった。そうして時々もう一つの未来、もし変更可能であれば、今の地球の生き物が生存可能な未来の夢を儚い幻のように想像することがある。
もう空には大量のガソリンで無理矢理飛んでいく旧来の飛行機は姿を消し、もしどうしても必要であれば、僅かな燃料で空中を移動する大型飛行船がたまに空を行き交うだけの静かな空の下では、もう内燃機関によって空気を汚しながら走る、凶悪な「車」と呼ばれる乗り物は完全に姿を消して、陸上の輸送手段といえば、乗馬や乗り合い馬車で学校や職場に通う人々と、無数の馬や牛たちに引かれた大量の荷物が、市内の道や高速道路を静かに歩いていく光景が世界中で見受けられることだろう。そして、もうここまで追い詰められれば、最小限のエネルギー源として原子力発電所や風力、水力発電に頼ることになろう。そうそう地熱を利用したり、その他の発電方法も開発されているかもしれない。
そうなれば当然、海の交通手段は帆船ということになるだろう。あの忌まわしい奴隷貿易を生んだ帆船の黄金時代には、数十、数百の大船団が白波をたてて大海原を行き来した光景が蘇えるのだろう。そして最新鋭の科学技術を加えれば、太陽電池や水素エンジンの力も使い、ハイブリッドな高速帆船が海を往来していることだろう。そういう景色を僕たちが目にすることはないだろうが、もしそうなる糸口だけでも、生きているうちに感じてみたい。
その全ての土台になるのが平和で争いのない社会なのだ。そうボブ・マーリイのいう「ワンラブ」の精神こそが、この実現し難い夢を実現する唯一の道。
この平和への道を目指そうとする仲間がもっともっと増えていくことを願っている。

No51 10月2日(日) 曇りのち晴れ。秋晴れの気持ちよい一日だった・・・
今日は生まれて初めての体験をした。なんてオーバーだけど、実は町内会の「温泉と宴会」の半日旅行に参加したのだ。昔で言えば、体制の一番身近な見張り番だった時代もあって、戦争中は「隣組」として、全国民を戦時体制に組み込んだ張本人達なんだけどなあ、とちょっと意味不明なぼやきを心で呟きながら参加した。そうそう、終わったばっかりの「国勢調査」に来たお爺さんが町内会の人だったから、今でも政府の出先機関としての機能もあるんだなあと、改めて確認した。まあ、いいんだけどね。
でも町内会のお金も流用した贅沢な旅だったのには驚いた。彼女のお母さんが全部出してくれたから、幾らかかったのかは知らないけど、果樹園でのブドウやプラム狩りでの沢山のりんごのお土産から、呑み放題のビールとお土産に貰ったビールと酒まであって、「今日は大収穫だねえ」とほくほくして帰途についた。いや大盤振る舞いだった。なんか裏金大放出のような気もするが、まあいいやと楽しんできた。あちこちのオジサン、お爺さん、お婆さんとも顔馴染みになったし、山の中の気持ちのいい温泉だったし、それが僅か一時間弱で行けたし、言うことなしの秋の行楽でした。いや札幌はいいところだなあと再認識。美味しい一日でした。
札幌の秋の代名詞のようなナナカマドもすっかり赤くなり、もうすぐまた一段と寒くなることでしょう。酒の旨い季節がやってくる。誰か呑みに札幌までこないかなあ・・・。本州(または内地の?)友人達よ。首を長くして、待ってるよ。
そうそういい忘れたけど、宴会をした小金湯温泉には「サッポロピリカコタン(札幌市アイヌ文化交流センター)」があって、アイヌの住居や小熊小屋などの復元施設があり、200円払うとセンターの中の展示室に入室できるようになっていた。みんなお金を払うのが嫌で見なかったようだったけど、僕はアイヌの人々に敬意を表して、払ったよ。展示物の数はたいしたことはなかったけれど、大型テレビで見たアイヌ語でのアイヌ民話が面白かった。神様のフクロウが鮭に尾ひれで海水をひっかけられて、腹が立ったので、持っていた銀の柄杓(ひしゃく)ですくうと、海の水が半分になり、金の柄杓ですくうと海が干上がってしまい、鮭たちも驚き苦しんだので、哀れに思ったフクロウの(姿をした)神様は、柄杓から海の水を戻してやったとさ・・・。これがアイヌ語で語られるといいんだよなあ。字幕つきの絵物語を見るのも新鮮な体験だった。アイヌの人々の平和に暮らしただろう長い歳月が目に浮かぶようだった。
No50 9月30日(金) 5:00pm 曇りで薄ら寒い天気・・・
そんな天気にふさわしいショッキングなニュース。
「気候の温暖化がアラスカの大地を変えていく : アラスカ、アンカレッジ(ロイター) : CNN 2005・9・29
融けだした永久凍土の上に建つ村々が沈んでゆき、樹皮を餌食にする昆虫達が爆発的に増え、空前の森林火災が続発し、海に浮かぶ氷の平原が急激に縮小している。これらの全てが、地球環境の変化によるアラスカの温暖化の不気味な兆候だと、科学者達は断言する。
「不幸にも、私達は鉱山のトンネルの中のカナリアのような存在なんです。(ガスの探知にカナリアが使われる。人より早くぐったりするから・・・)地球上の他の地域に訪れる事の前兆を味わっているのです」とアラスカ科学評議会(アンカレッジ本部)の代表パトリシア・マクランは言う。
周辺地域の大気の温度は、ここ50年間で、華氏3,6度から5,4度に(摂氏では2度から3度に)上昇した。(八カ国の科学者達による包括的研究報告書で、最近出版された「北極地方の気候の環境アセスメント」による。)
特に冬と春に顕著な気温上昇は、(100年間で華氏では1度、摂氏では0,6度という)他地域より遥かに急激な変化だ。
多くの研究者達は、空気中の太陽熱を封じこめる、二酸化炭素のような温室効果ガスの放出によって、地球温暖化が進んでいると考える。
水曜日に発表された衛星写真によると、北極地方の氷の平原は、過去4年間で、北シベリアとアラスカにおいて、特に異常に早い春の到来により、急速に消滅し続けている。(コロラド大学、NASA、ワシントン大学の共同研究による)
氷の平原の縮小は、海との境界付近で暮らす白熊達を含め、海に生きる動物達にも苦難を強いることになる。また水路の温度上昇は太古から続けられている鮭達の川への遡上に悪影響を与える可能性が指摘されている。或る科学者によれば、高い水温を好み、鮭達に致命的な被害を負わせる寄生虫がユーコン川で成長するだろうという。
地球温暖化は、アラスカのような高緯度の地域で加速化される。その理由としては、北極地方の希薄な大気と温室効果ガスの集中と海流の影響がある。その結果、春と夏の期間の融解時期が17日早くなってしまった。
過去10年間、大量発生した甲虫たちが南中央アラスカの数百万エイカーという広大な土地を荒し回っている。科学者達によれば、それも温暖化が原因というのだ。通常は冬季に死滅する筈の虫達が生き残ってしまうのだ。そして(アラスカの主要な樹木である)トウヒの樹皮への貪欲な攻撃によって、樹皮を喰い荒された木々は乾燥して、燃えやすくなってしまう。その為、ちょっとした自然の発火要因によって大火災を発生することになる。落雷などで危機的大火災が起こるのだ。
ここ二年間の夏の季節に、史上最悪と三番目の森林火災が起きている。専門家は、「温暖化が進むほど、森林火災はひどくなる一方でしょう」と言う。
沈みゆく町。より寒冷な内陸地方でさえ、建物は沈下していき、道路は歪んでいく。それらを支える永久凍土が溶けだして、スポンジのように柔らかくなっているからだ。アラスカのイヌピアット村では、建物の沈下がひどくて、移転の準備を始めている。
「私達のように日々状況が変わっていく土地に住む者たちにとって、(地球温暖化は)疑問の余地がありません。毎日毎日、(温暖化がもたらすものを)心で感じ、目で見ているのですから」とコクラン氏は言う。
氷と雪が無くなってしまえば、剥き出しになった海と大地は、太陽熱を直接吸収するようになり、今まで以上に気温上昇を促進することだろう、と永久凍土の研究者、ウラジミール・ロマノフスキーは警告する。」
日々の暮らしに追われる一般市民達。目先の利益と数年先の未来に忙殺される政治家達。恐ろしい現実が、もう目に見える形で進行しているというのに、誰も「今一番の脅威」として、あらゆる問題の先頭に「地球温暖化」を挙げることはしない。イギリスの科学者が「アメリカの壊滅的ハリケーン、カトリーナとリタは地球温暖化が原因。だから更に更に破壊的なハリケーンに襲われることだろう」と言ったように、もう生命の存在をすら脅かすほどに、地球温暖化は巨大な脅威となっている。この問題を解決(まあ、無理だろうが・・・)するには、僕が口をすっぱくして主張するように、温暖化の主因である「石油」との決別をしなければ、解決の一歩さえ踏み出せないだろう。もう目の前に果てしない苦難が口を開けて待っている・・・。

雪が溶け、大地が暖められる・・・
No49 9月27日(火) 7:30pm 晴れ。朝は今年一番の寒さ・・・
今朝の散歩では初めてパーカーの上に薄いジャンパーを着て、発寒川まで行った。ぐんと寒くなったなあ。知人が「11月になれば道が凍るから・・・」と言った言葉を思い出す。来月は車に冬タイヤを履かせねばならないだろう。もう直ぐ近くまで冬がきている。
ところで「ダビンチ・コード」って知ってるかなあ。その本の資料となった各種の書物の著者達がキリストの秘密について語る「ダビンチ・コード・デコーディッド」というDVDを少し前に観たんだけど、今日はその中のショッキングな話をしてみたくなった。これが凄いんだよねえ・・・。詳しいことを言い出すときりが無いので、ダビンチが言いたかった(だろう)ことを要約すると、キリストの処刑の際に彼のお母さんと一緒に立会い、また復活の際にも居合わせたマグダラのマリア(聖書では穢れた売春婦とされている)が、実は彼の妻だったということ。これは今のローマ・カソリックが絶対認められない異端の思想だけど、そのDVDに出演した数人の専門家達に言わせると、それを示す数々の証拠が、遥か昔に隠ぺい工作によって、巧妙に消去させられたというのだ。
僕は(なるほどなあ・・・)と感心した。とにかく30過ぎに聖書の世界で、数々の奇跡を起こすまでの経歴や、人としての人生が皆無なのも信じ難いし、ただ厩(うまや)で誕生した時の奇跡的、感動的なエピソードと、処刑前の数々の奇跡だけというのは、一個の人間の人生としては、あまりにも都合が良すぎる、と感じる。それが何故そんな形でしか、キリストの人生の記録が残っていないかと言えば、ローマ時代、特にキリスト教を国教と、歴史上初めて定めた、コンスタンチヌス帝が、キリスト教徒が多くなってしまった兵士達と広大な領土を、宗教の力で掌握するために、限りなく自分をキリストに近づけて、似せて、国民達に崇めさせようと仕組んだことから、真実のキリストを隠蔽する、神を冒涜する犯罪行為が始まったらしい。特に12月24日のキリスト誕生が、以前はまったく別の日だったのに、当時の土着的宗教の重要な記念日である、その日に勝手に変更したと聞いて、僕は開いた口が塞(ふさ)がらない思いをした。
そして現在世界中でも数人しか読むことが出来ないという、古代コブト語の、地中に隠されていた、文献を調査、研究した人物によると、「キリストがマグダラのマリアによく接吻して、まわりの弟子が嫉妬していた」という記述があったという。そして弟子達が「何故彼女ばかり大事にするのか?」と文句を言った記述もあるという。まあ、夫婦だったら当然のことかも知れないが、こういう数多い歴史的真実を消去した末に完成したのが、現在の聖書であり、その専門家に言わせると「聖書がフィクション(作り話)だということがよく判った」と嘆いていたように、時代時代の権力者達によって、作りかえられ、歪められた末に現在のキリスト教があることは確かだと思う。今ではもう、現実のキリストが説き、伝えようとした事が朝日に消える霧のように着せ失せてしまったと思うと、なんという愚かしい歴史を辿って、我々人類は生きてきたのだろうとすら思ってしまった。
しかしこのような真実の改竄(かいざん)は、仏陀が創始した小乗仏教が、体制に受け入れられてゆく過程で、国家、国民を救う大乗仏教に変更されていく歴史的事実と共通項があるような気がする。信じるということは一体何なんだろう?
No48 9月24日(土) 11:00am 晴れ。朝は寒くて昼は暑い・・・
今日も札幌は平和な秋の日和。雀たちは隣家の畑で楽しそうに囀(さえず)り、家の前の北風公園では子供達が賑やかに野球に興じている。そんな気配を感じながら、パソコンを開き、インターネットに接続する。するとまたいつものように地球上の喜怒哀楽が飛び込んでくる。
今日の夕方頃(日本時間)にテキサスに上陸するという巨大ハリケーン、リタ。少々威力が衰えてきたらしいが、果たしてどうなることだろう?最近の僕はハリケーンの情報をCDRに焼いて、いつか資料として使おうと思っているから、日本のニュースではなくアメリカのCNNやイギリスのBBCをいつもチェックしている。そして今朝は、(とうとうきたか)と僕が感じた、地球の未来を左右するようなニュースが目に触れた。それはBBCのハリケーン、リタ関連のニュースにあったもので、イギリスの高名な(気象:多分)学者が「最近の異常な破壊力を持つハリケーンの立て続けのアメリカへの襲来は地球温暖化によるものだ」と公表したのだ。そして「京都議定書から脱退したブッシュ政権が災いの原因ともなっている」とも「アメリカ以外の国の政治指導者達が温暖化をもたらさないクリーン・エネルギーの開発に力を入れているのに、ただ石油の大量消費国であるアメリカだけが無神経に浪費している」とも非難されていた。そうだよなあ。これは前から僕が言ってたこと。そのアメリカが立て続けに巨大ハリケーンに襲われるなんて、話の辻褄が合いすぎて気持ち悪いくらいだ。因果応報なのかなあ。でもアメリカ人も正気に戻る良いキッカケになれば嬉しいのだが、馬鹿なブッシュがいる限り無理なんだろうなあ。困った困った。
またBBCのアフリカのニュースでも胸が痛むような話題があった。とある地域のエチオピアの村々に三、四頭のライオンの群れが徘徊して、既に数百頭の家畜と数十人の人間が犠牲になっているというのだ。何故そんなことになったといえば、自然への人間の侵食により棲家を奪われたライオン達がやむなく人間社会に紛れ込み、野生の動物を狩る代わりに、人間や家畜を狩り始めたのだろう。僕はそんなライオンたちも哀れで仕方がない。かといって人間を餌にするのにも賛成できないから、やがて退治されるのもやむえないと思う。でもこの事件も自然の全てを喰らい尽くそうとする人間文明への警鐘なんだろう。僕はこんな事件にも地球の、いや人間文明の破滅への足音と聞こえてしまう。ジャー・ラスタファライ!もう謙虚に自然に帰っていくことしか救いはない。そんな風にも思う。
No47 9月23日(金) 1:00pm 雨のち晴れ。
札幌は数日間曇りや雨が続き、すっかり肌寒くなってしまった。本州では未だに30度を越える地があるということが信じられないほど秋めいてきた。街のあちこちで見かける「ナナカマド」の実も黄色く色づいているし、一昨日前を通ったタイヤ屋でも冬タイヤをずらりと並べて、気合いの入ったセールをしていた。どんどん暖かい地方から季節が離れていく。なんとなく心細いこの頃・・・。
一昨日の夜、彼の有名なススキノで「ONSENS札幌ライブ」のスタッフの打ち上げの飲み会があった。「困る、困る」と言いながら、意地汚い僕は飲み放題のビールを、案の定、飲みすぎて、昨日は一日半病人だったし、今日も今一調子が出ない。が、打ち上げは面白かった。イベント・スタッフの中心が北大などの学生さんたちで、今の人達の声を久しぶりに身近に聞けたのが良かった。そして何人もの人達が「旅」を、いわば人生の目標にしていることにも驚いた。さすがAKIRAさんに惚れ込んだだけのことはあると感心もした。そして北海道が他の土地とはかなり異なっていることも身に滲みて感じた。北海道以外を知らない人が多いようなのだ。だからこそ他の土地や異国への憧れが他県人より強いのかも知れない。僕は父親が山口県の出身で、母親が福島県だから、自然に関西と関東に縁があり、あちこちに親戚がいて、色々な土地で暮らした。それを「羨ましい」と言われて驚いた。何故かというと、しっかり者のみかちゃんも「他の土地で暮らしたことがない」と言っていたように北海道以外には縁が薄いのだ。だからこそ、大人しい学生さんと思っていたひろあき君も「まず働いて金を溜め、それから海外に出かけます」と言って、僕を驚かせた。イベントの中心的存在であるトモエさんは遠くアマゾンまで行って、「アヤワスカ」を体験したつわものだし、エリさんも海外に行っている。僕が東京近辺で出逢ったことのない逞しい若者達だった。まあ、酔っ払った僕は、相変わらず、有ること無いこと言いまくり、皆に迷惑かけたような気もしたけど、楽しかったからまあいいかとよろめきながら帰宅した。考えてみると、あんな繁華街で呑んだのは何年ぶりだろう?キャッチのお姉さんに捉まって、「待ち合わせなんだ」と言い訳したのも超久しぶり。ススキノは妙に華麗で不思議な街だった。そして僕たちが集まった巨大飲み屋「北海道時代」(名前が気合い入ってるよね)もかっこいい店だった。店を探している間に有名なラーメン横丁の前も通ったし、美味しそうなスープ・カレーの店も何軒もあったし、グルメと呑んべいには堪らない街。
ハリケーン「リタ」がテキサスに迫っている。誰も陰でしか言わないが、「地球温暖化」の魔物がハリケーンとなってアメリカを襲っている。そんな風に思うのは異常だろうか?毎年毎年こんな大災害が続くのなら、人間社会が築きあげた輝かしき現代文明も襤褸(ぼろぼろ)になってしまうことだろう。世界の指導者達の中で、いつ誰が現実を素直に認めるのだろう?地球温暖化の一番の原因である石油の廃棄を誰が言い出すことだろう。そんなことを思ってしまう。もう危機は始まっている・・・。

近所の琴似神社の秋祭り。いいでしょ!
No46 9月18日(日) 11:30am 雨。エリーが溜息をついている・・・
今日は一日雨らしい。外の公園でウンチとオシッコをしただけで帰ってきたエリーにとっては久しぶりの厄日。じっと我慢するしかないねえ。千葉に比べると札幌は雨が少ないから、こんな日は珍しいのだが・・・。考えてみると、五月までいた鹿野山とここ札幌はいろんな意味で対照的な場所だよね。六年前に山に越して、まずその年に台風が館山方面に上陸して、南斜面に建つ我が家を直撃した。雨戸は暴風の直撃で壊れそうなほど膨らんだし、居間の壁からは横殴りの豪雨に水がじゃーじゃー滲み出してきた。ビックリ仰天した。ここ札幌では、台風が直撃するという情報があっても、彼女の母親は「札幌には台風はこないの」と泰然自若としていて、一人で気をもんだけど、ただ勢力の衰えた爺さん台風がやってきただけだった。これも大違いだ。
山にきて、一番まいったのは、大量のビデオ・コレクションの一部がカビで駄目になってしまったことだった。昔は夜くると霧が出ていることの多かった鹿野山の、あまりの湿気にカビが大発生したのだ。被害はビデオにとどまらず、亡くなった父親から譲り受けた高級カメラのレンズにまでカビが生えてしまい大損害。これには参った。気が付いた時には手遅れだったから、もう諦めるしかなかった。ボブ・マーリイの貴重なビデオも泣く泣く廃棄したなあ。それに反して、ここ札幌は「梅雨がない」と言われるように、関東に比べると、雨が極端に少なくて、いつも湿度が低く、カラッとしている。夏も決してじめじめしていない。だからとても過ごしやすいのだ。札幌の快適な夏を過ごして、身体がすっかり関東の不愉快な夏を忘れてしまった、ような気さえする。これは有り難いことだ。
鹿野山があった君津市は、どこに行っても人気がない所で、特に君津駅前の閑散とした様子は印象的だった。友人に「コンビニに行くのに10キロも車で走る」と言ったら、驚いていたが、ここでは大きな繁華街が直ぐ近くにあるから、コンビニもスーパーも美味しいラーメン屋もパン屋も選り取り見取り。これも全く正反対だなあ。考えてみると、君津では美味しいものが僅かしかなかったような気がする。ここでは競争が激しいし、また観光都市、札幌の特徴でもあるのだが、食べ物屋も一般市民を対象としている店と、観光客を対象としている店との二種類あるから、一般都市以上に店が多いと感じた。
ただ鹿野山で満喫した人間の手が殆んど入っていない溢れる自然だけは近所にはない。全てが人の手で管理され、美化され、清掃された、言わば人工的な自然しかないのが、やはり淋しい。しかし、これは贅沢というものだろう。まだ登ってはいないが、直ぐ目の前にある三角山だって、立派な山だから、都市としては、札幌は抜群に自然環境に恵まれている。そして同時にその保護に金もかけている。
家の前の北風公園も、少し前には、子供達に人気があるブランコの金具と座り台を新品に交換して、落書きで見苦しかった東屋(あずまや)も、木の表面をサンダーで削り落とし、ニスを塗ってリフォームしていた。そして昨日は公園の樹木をクレーン車で剪定していた。トイレも二日に一回くらいは清掃にきているし、公園に散乱するゴミはボランティアの人たちが毎日清掃している。だからこそ、いつも気持ちの良い環境が保たれている。これは他の都市、特に東京は学ぶべきことだと思う。このようなきめ細かい管理こそが快適な社会環境を作り出していくのだろう。
No45 9月16日(金) 9:30am 晴れ。こんな日は昼は夏のように暑く、夜はまるで初冬のように冷える。やれやれ・・・
今日のニュースで(アメリカの)強力なハリケーンの数が70年代と比べると二倍になったという科学者の報告があった。海水温が0,5度上ったことが(恐らく)原因だろうという。たった0,5度でこんな大災害になるのなら、将来の世界は地獄の様相になるのだろう。全て人類文明が引き起こした事といえ、あの不気味な「黙示録」の世界が現実味を帯びてくるほど、恐ろしいことだ。果たして全人類がその現実を知るのはいつのことだろう?そして温暖化の主因である石油の使用を停止するのはいつのことだろう?アメリカのハリケーン同様、日本の台風も確実に破壊力を増している。その現実を誰が最初に言い出すのだろう?
ところで昨日、或る映画を見た。「ウオーリアー・クイーン」という、いわばB級映画だが、僕は深く感動してしまう。ローマ帝国の残酷な支配を拒んで、叛乱を起こし、最後には民族根絶やしの大虐殺にあったケルト民族の物語だった。ブリテン(イングランド)の先住民族であるケルト民族は、まるでスペイン人達による虐待で死に絶えたジャマイカのアラワク・インディアンの如く、まったく跡形もなく消え去った哀れな民族。だからローマ側の史料と想像に基づいた物語に過ぎないかも知れないが、僕にはとてもリアルに感じられた。そして僕たちが習う公(おおやけ)の歴史の陰で、どれだけの哀れで、語られるべき、人間的で、正しい人々の物語が眠っていることだろうと思った。
そして僕が今年の五月まで暮らしていた千葉の鹿野山にも、そんな人々の痕跡があったことを思い出す。鹿野山から、近くのJRの佐貫駅方向に下りる途中の山道に土地の豪族で、大和朝廷に抵抗して彼のヤマトタケルに殺された、アテルナイの墳墓があったのだ。その辺りはまた「鬼涙山(きなだやま)」と名付けられていた。鬼が泣いた。悔しくて泣いた。そんな涙を日本中に流させながら、日本が統一されていったのだろう。ここ北海道もまた、語られるべき歴史を権力によって封印された土地なのだ。まだ世界が存在しているうちに、いつか封印が解けて、涙の川のように物語が流れ出せばいいなあ・・・
ところで数週間前に近所で老舗のラーメン屋「三八(さんぱち)」が開店し、なんとラーメン100円で食べさせた!二日間、昼前後の三時間半の間のサービスで、つい並んじゃいました。美味しかったです。観光都市札幌はこんなイベントが多い街。いいところです。

No44 9月14日(水) 2:00pm 雨時々曇り。寒々しい一日・・・
そんな陰気な日に相応しいニュースを一つ。あえて僕は何も言いません。ただいつまで経っても人種差別がなくならないアメリカという国に嫌悪感を抱くだけです・・・。
「HAYWARD、Wisconsin(ロイター)
或るラオス移民が(白人達に)包囲され、「この(特に東洋人を指す)くそ野郎(Gook)」と罵詈雑言を浴びせかけられて銃撃されたのに対する正当防衛として、去年の11月、六名のウイスコンシン州民のディア・ハンター(鹿狩りの男達)を射殺したとして起訴されたと、彼の弁護士が土曜日((9月10日)の(法廷での)冒頭陳述で述べた。
36歳のトラック運転手、チャイ・スー・ヴァン(Chai Sous Vang)は、ソウヤー郡巡回法廷に、カーキ色のワイシャツとスラックスにネクタイという姿で現れた。彼は六名の第一級殺人と二名の殺人未遂で起訴された。女性10名、男性四名の陪審員達が有罪と宣告すれば、彼には無期懲役が待っている。
ヴァンは北ウインスコンシンの人口も疎らなライス湖(Rice Lake)地域で、6人のハンターを殺害し、2人を負傷させた。犠牲者達は白人だったが、ヴァンは(山岳民族の)モン族なのだ。
ヴァンの弁護士、スティーブン・コーンによれば、彼の依頼人(ヴァン)は道に迷い、方角を確かめるために、私有地の立ち木に登っているところを、白人のハンター達に包囲され、口汚く罵倒され、銃撃されたのだった。
「私は、たった一人であり、平和に立ち去ろうとしていると、三度も彼等に伝えようとしました」とのヴァンの言葉を、(弁護士の)コーンは20分の冒頭陳述で紹介した。「彼は(戦場でのように)包囲攻撃されていると感じたのです」
しかしウイスコンシン州次席検事、ロイ・コートは90分の冒頭陳述でまったく異なる光景を描いて見せたのだった。ヴァンは4人の犠牲者達に対しては(卑怯にも)背後から射殺したし、二人の犠牲者達には待ち伏せして殺害したというのだ。
「ボブ・コットーは(彼の)息子が、彼のすぐ後に殺されることも知らずに死んだのです」と、コートは42歳の犠牲者と20歳の息子、ジョーの死を描写した。
(彼によれば)最初に発砲したのはヴァンの方で、その時銃を手にしていたのは、土地の共同所有者で生存者のテリー・ウイラーだけだが、最初に撃たれてしまったので、発砲できなかった。
そして、少なくとも一人の犠牲者が罰当たりな言葉を発したのは事実だが、それでも(人種的偏見による)罵倒はなかったと、コートは付け加えた。彼によれば、犠牲者達はヴァンの私有地への不法侵入を単に脅して伝えようとしただけらしい。
モン族はベトナム戦争当時、アメリカ側について(共産勢力と)戦ったので、(戦後)迫害された民族なのだ。ヴァンの家族は、彼が11歳だった、1980年にタイの難民キャンプからアメリカに移住したのだった。約46000人のモン族がウイスコンシン州に居住しており、ミネソタ州のセントポールから約100マイルの地にモン族の最大の町がある。そこでヴァンも暮らしていた。
多くのモン族の人々が、故郷の山々での(伝統的)暮らし方のように、周辺で狩りを行い、白人のハンター達と衝突することが多い。モン族の連中が日常的に私有地に不法侵入して、(法律で許可された以上の)獲物を獲ることへの苦情が絶えることがない。ヴァン自身も、一度は(狩猟)許可証を入手したこともあったが、(実際には)(許可の頭数より)遥かに多い鹿を獲っていた。」
No43 9月13日(火) 7:30pm 曇りで寒い?涼しい?
曇りになると札幌は夏の気配が消えてしまい、なんだか寒くて淋しい気分になってしまう。昨日行った近所のホームセンターでは、まだ東京では残暑厳しいというのに、ストーブ・コーナーが出現していた。こちらのストーブの主流は外の煙突につなげる大型ストーブで、十万円以上するから、なんと「灯油100リットルおまけ付き」で売っていた。これも珍しい光景だなあと感心する。地元テレビのCMにも「冬タイヤの広告」が現れたし、見れば見るほど寒々した気分になってしまう。もう直ぐ近くまで、向こうの通りの角まで冬野郎がやってきたような嫌な感じの今日この頃です。
家の前の、いつも学校帰りの子供達や大きな砂場で小さな子供達を遊ばせる若いお母さんたちや、まるで犬達の品評会のように色とりどりの犬が集まる北風公園も、冬の最盛期、一月?二月?になると、近隣の家庭や道路からの巨大な雪捨て場と化してしまい、周辺は高い雪の壁に覆われ、入ることさえ出来なくなると、我が家のお婆さんから聞いた。でもなあ、想像もつかないんだよなあ。周りじゅう雪だらけの生活なんてしたことがないからなあ・・・。恐ろしいというか、楽しみというか、複雑な気分です。
今回の衆議院選挙の自民党大勝は、僕に言わせれば、日本人が日本を救う可能性を持てる最後の機会を捨て去ったことでしかない。彼等が政治を司る限り、今の日本が抱える根本的問題、つまり日本人としての誇りとか連帯感とか健全な社会とか真っ当な教育環境が、悪くはなるだろうが、良くなることは絶対ありえないと思うからだ。何故かといえば、彼等自身がそういう状況を作り、それで良しとしている張本人だからだ。どんなに劣悪な社会であろうと、そこで権力を握っている、一握りの奴等にとっては、こんなに居心地の良い社会はない。だから、根本的変革は、口だけで、彼等の手ではありえないのだ。自民党以外なら、どの政党でもいい。変えようという意思を日本人そのものが失ったことの証明で、もう日本に未来はない、そんな風に感じた結末だった。もし歴史的意味があるとすれば、落ちるところまで落ちるという意味しかないのだろう。これからの地球環境で、いつも不気味な通奏低音として鳴り続けている「地球温暖化」、アメリカのハリケーン「カトリーナ」も日本の雨台風も、これが序章に過ぎないという恐ろしさを忘れてはいけないと思う。毎年こんな目に遭い続けながら、まだ石油文明に固執するあらゆる国家のあらゆる政府が幕を閉じる日も近いような気がする。たんなる悪夢であればいいが・・・。

No42 9月10日(土) 11:00am 晴れ時々曇り。 行ってきました!旭山動物園
昨日、旭川までドライブして今人気絶頂で、売り上げ日本一の動物園「旭山動物園」に行ってきました。早朝六時過ぎに家を出て、エリーを高速パーキングで散歩させながら、九時半には動物園に着く。まだ一番乗りに近くて園外の無料駐車場には車は殆んどいなかったが、それでも切符売り場は列ができていた。そして三時間後に車に戻ると、もう駐車場は満杯で、観光バスは続々押しかけてきていた。さすがすごい人気だと感心。
さてその実態はというと、三時間では全部を見終えるのは不可能で、「今度は一日いるつもりでこよう」と決意したほど魅力的だった。隅から隅まで斬新で心温まるアイデアに溢れていて、素晴らしい。特に白熊やアザラシ、ペンギンの展示場は上から下から横から斜めからと自在にガラス一枚向こうの遊び戯れる姿を見ることが出来るのだから、一日同じ所に張り付いていても飽きないほどの絶景だった。その反面、交通事故で片方の羽を失ったカラスも仲間として説明書つきで養っていたのも感心する。
まあ人がくるくる、幼稚園児たちの集団がぞろぞろ歩いているし、老人達も多いし、大阪弁で話すカップルもいたし、日本全国から押し寄せてくるような勢いを感じた。動物をどうやって楽しく見せるか?ということを徹底的に研究した末の究極の動物園とも言えるかも知れない。只の日常業務の一つに過ぎない「餌やり」の時間を「もぐもぐタイム」として午前は11時半に、動物達が実は一番楽しみにしている食事の様子を最大のショータイムと定義して、色々な仕掛けを作っているのも素晴らしい発想だと感心した。その代表がオランウータンの施設で、棲家から天高く張った縄を伝って鉄の巨大樹木で食事を与えられる様子が刺激的でユーモラスで斬新だった。逞しい父と優しい母と可愛い子供の一家がそこで暮らしている。これも口をぼんやり開けて、近くのベンチに座り、一日中眺めていても飽きない光景だった。こんな動物園は見たことないぞ!旭山動物園。また行くからな、待ってろよ。
いやとにかく楽しかった。でも駐車場の車の中で待っていたエリーは何のことか分からずじまいで気の毒したけどね。家で留守番していた猫のみゃー子も夕方帰ってきたら、ちょっと不貞腐れていた。ゴメンごめんと謝った。

No41 9月8日(木) 7:30pm 曇り時々雨。昨夜台風が通り過ぎた・・・
鹿野山で台風直撃に仰天した僕には、弱々しく落ちぶれた台風の名残りが通り過ぎても怖くもなにもなかった。「台風は札幌にはこない」と彼女のお母さんが断言したように、全然大丈夫だった。それでも折れた枝や倒れた木もあったし、浸水した地域もあったようだが・・・。とにかく近くの三角山の林檎畑も被害が殆んどなかったようで目出度し目出度し。それでも来る前は結構緊張したけどね・・・。
札幌にきてから、僕は知人がいないこともあり、成るべく機会があれば、出逢った人達と話をするようにしている。ということは朝夕の散歩で話す機会が多いということになる。僕が「癒し犬」と名付けたエリーも、彼女の柔和で、いつも笑っているような極楽の顔を見ると、誰もがつい撫でたくなるようで、通りすがりのお婆ちゃんが「よしよし」と撫でた途端に無表情な顔に笑顔が浮かんだりする。一昨日はエリーより一つ上の七歳だという少女三人がエリーを囲んで撫で回した。そういう子達が全然不安を感じないエリーの柔和なオーラは不思議にさえ感じてしまう。家の前の北風公園に集う犬達の全てとも直ぐ仲良くなってしまうエリー。僕の方が見習わねば・・・。数日前に話しかけたお婆さん。いつも玄関の外で無表情に通りを眺めている。いつも、その不幸そうな雰囲気が気になっていた僕は、思い切って、行きに「こんにちは」と声をかけ、帰りに「いい天気ですね」とまた声をかけ、そばのエリーに「ほら、挨拶するんだよ」と言ったら、初めてにこっとしてくれた。そんなエリーは素晴らしいなあ。エリーのお蔭で家の周辺で知り合いが無数に増えていく。
猫のみゃー子といえば、今現在は外に遊びに出掛けているのだが、彼女も彼女なりに満たされた幸福な生活を求めて頑張っている。今は僕が殆んど家にいるもんだから、彼女に召使のようにかしずいている。それが結構大変なのだ。まず犬が朝夕二度の食事なのに、なんとみゃー子は、多くやりすぎると直ぐ吐くもんだから、小分けに何度もやるようになった。それが大変で、朝の五時か六時に、まずキャットフード小さじ二杯、それから一時間後にやはり小さじ二杯、そして九時頃にカツオ節一つまみ、十時頃にキャットフード小さじ二杯と缶詰小さじ一杯。それで午前の部がようやく終わり、午後は四時頃にまたキャットフード小さじ二杯。これで食べ物関係は終わるのだが、それ以外に夕方六時頃には紐で遊んでやらねばならないし、夜の七時にはお出かけの為に、雪国のため二重扉になっている、玄関の外の扉を少し開け、中の扉を閉めておき、聞き耳立てて、「にゃー(帰ったよ)」という声を聞き次第、扉を開けて、中に入れてやらねばならない。猫って、こんなに手がかかるなんて知らなかった。どうも過保護の挙句にこうなったような気もするのだが・・・。ま、平和でいいか。
No40 9月6日(火) 8:30pm 晴れ。もう札幌は秋の様相です・・・
早朝にはセーターを着たくなるほど冷えるから、もう夏とは呼べなくなった。なんだか八百屋に並ぶスイカが哀れな感じ。やっぱスイカは暑くなきゃね。まあ、それはともかく、ちょっとご無沙汰している内に話が溜まってしまったのでオムニバス風に最近出遭ったことを書いてみます。ここにも札幌らしさがあると思う。
1)数日前に、夕方だったなあ、エリーを連れて近所を散歩していると、自転車で後ろから近づいて通り過ぎようとした、もう髪も白くなりはじめた、おばさんが目の前で停まって、振り返り「五十嵐さんのお爺ちゃんどうなったんでしょうねえ?」と僕に尋ねた。(五十嵐のお爺ちゃん?)瞬間、僕の頭はパニクった。仕方なく「三ヶ月前にこの辺に越してきたばかりなんで、分かりませんね」と言った。おばさんはちょっとがっかりしたような顔で、通り過ぎた住宅を指して、「あの車庫のところで自転車屋をしていたんですよ。その前は大通りの方でやっていたんですけどね・・・」僕もようやく事情が分かる。でもまだ異邦人のような僕には手に負えない話だった。まあ、それで終わりだろうと、また歩きだす。おばさんも同じ方角なもんだから自転車で走り出した。と、すぐ先の家で庭木の手入れをしている年配の女性に、また「あそこの五十嵐のお爺さんはどうなったんでしょうねえ?」と聞いたではないか!(いやあ、しぶとい人だなあ・・・)と呆れて、僕も足を止め、様子を窺った。まず東京近辺なら、無視、虫、無視されることだろう。他人には冷たい土地柄だから。でも偉いことに、庭の女性がちゃんと聞いてあげるではないか。自転車のおばさんは「うちの旦那が何度行っても店が閉まっていると言っているんです。どうしたんでしょうねえ」と言うと、「あのお爺ちゃんはもう85歳になったから、仕事は止めたらしいですよ。でも元気にお孫さんの相手をしています。」なんだか僕もホッとする。「良かったですねえ。お爺ちゃんが元気で・・・」なんて言ってしまった。自転車の女性も納得して笑顔で去っていった。僕は見知らぬ人にも人への礼儀を忘れない土地柄に感心してしまった。
2)昨日用事で街に出掛けた帰りに変なことがあった。地下鉄の大通り駅のプラットホームで、真っ赤なスーツを着た派手なお婆ちゃんに「これは琴似に行くの?」と聞かれた。僕も琴似に帰る途中だったので、「僕も琴似に行くんですよ。一緒に連れていってあげます」と言うと、そばの若い女の子も「会社のお使いで途中まで行くのだけど、ここが琴似行きですよ」と話しかけていた。まあ二人も付き添いができたんだから、目出度し目出度しの筈だけど、人生はそんなに甘くなかった。電車がくる前に変な、意味不明の言葉を喋っていたから、(ちょっとおかしいなあ・・・)とは感じていたんだけど、乗って二つ目の駅でもう降りようとした。近くの座席に座っていた僕は慌てて立ち上がり、「ちょっと、ちょっと琴似はまだ先ですよ」と言ったら、「あんた誰?」と言いやがる。(ダメだ、呆けてる!)まいったねえ。まだらボケってやつかなあ。時々正気な感じに戻るんだけど、正体は呆け老人だった。なんだか近くの年寄り達がにやにやこちらを見ているし、(もしかしたら地下鉄の有名人なのかなあ・・・)とも思ってしまう。僕は馬鹿正直に「さっき琴似に行きたいと言ったから、教えてあげてるんですよ」と言っても、もうお婆さんの心はあの世の方に逝ってしまったのか、馬の耳に念仏。次の丸山公園で「家に帰る」と言って、さっさと降りてしまった。(あ〜あ、疲れるなあ)僕は腰を下ろして、深い溜息をつくのだった。でも札幌は元気な年寄りが多いんだよね。
台風がこちらに向かっている。我が家のお婆さんは「台風が札幌にくるなんて私達は思わないの」と呑気にしているが、果たしてそうなのか?心配だなあ。
No39 8月30(火) 8:30pm 晴れ。暑さがぶり返している・・・
今日は28度。涼しさに慣れた札幌暮らしの身には辛い。いつもは夜には涼しくなるのに、今晩はまだ短パンとタンクトップでパソコンに向かっている。
それはさておき、今日は、どうしたことか、家の前の北風公園が一日中賑やかだった。特に真昼の熱気が一段落した五時頃からは幼稚園児と小学生と中学生でわんわんしていた。公園の一部の野球グラウンドでは中学生の女の子たちが賑やかにサッカーをやっていたり、十人、十五人ほどの集団縄跳びに挑戦したりしていた。何か公園中がわんわんしている感じで、とても不思議な光景だった。国中の「少子化」が別世界の出来事のように思える。
そして、そうそう「犬友」って知ってるかなあ?知らないだろうなあ。今日初めて知った言葉だけど、犬の散歩を通じて仲良くなった関係を、ここ札幌では、言うらしい。その犬友から「エリーの顔を見たい」という要望があったので、今日は二度目の散歩に出かけた。僕たちの散歩時間は公園で集う犬友達より朝夕共に早いので、普段は会えないからだ。そして皆ちょっとした「オヤツ」を持っていて、初対面の犬を手なずけようとするもんだから、初めは警戒していたエリーも、根が食いしん坊だからすっかり気に入ってしまい、お別れの時には「いやだ」とばかり地面にぺたりと這いつくばって抵抗した。これには僕も恥ずかしくなる。でもまあ、それはさておき、同じ公園で、ちょっと不良っぽい、中学生の男の子たちの一人に、そばを通りかかった時、「可愛い〜!」と叫ばれた途端、その子に一目散に駆け寄っていったのには魂消(たまげ)た、(なんだなんだ)と内心泡食ったけど、ただ撫でてもらいたかったらしい。なんでお前はそうするの?というくらい、車座になった中学男子六名の全員に挨拶に回り、皆に撫でてもらって満足して引き上げた。「可愛い」とは私のことよって思ってんだなあ・・・。呆れた。
そうそうあまり使われないゲートボール場では元気のいい女子中学生たち、十人くらいかなあ、がサッカーに興じていた。「おら今日はとことんやるぜ」って可愛い顔で叫んでた子がいたなあ。これは関東では見かけない光景と、そばのベンチでエリーと仲良く座って見学してしまった。まだガキンチョの中学生もいいもんだなあとエリーと話す。今日は色んな人に元気を貰った一日だった。
というのは日本の端っこの北海道は札幌に住む僕の一日で、海の向こうのアメリカでは前回紹介したシンディ・シーハンさんを巡る反戦運動と、それに反対するブッシュ支持の運動とが一触即発の危機まで感じさせる程の緊迫した状況になってきた。そしてようやくNHKが紹介し始めた。そして今日の様子をインターネットのニュース(アメリカのYAHOOを開いて、「CINDY」または「CINDY SHEEHAN」で検索すれば、直ぐ見れる。毎日詳しく報道している)で見たら、日本にも来たことのあるアメリカインディアンの代表的活動家デニス・バンクスが、インディアンの戦士に捧げる伝統的な贈り物をシンディに捧げる為に約2200キロも車で走って、やってきたというニュースが写真入で掲載されていた。シンディは感激して泣いていた。たった一人でブッシュ大統領の牧場に通じる道端でテントを張って、「イラク戦争」への反対を意思表示した彼女が、今や息も絶え絶えだったアメリカの反戦運動のムーブメントを大きなうねりとなって蘇えらせた。これは一種の奇跡です。もう無関心を装うブッシュが圧力を感じるほどの存在、運動になってしまった。僕は進行中の歴史的出来事を見る思いで、毎日のようにチェックしている。こういうアメリカは大好きだよなあ。只の人が声をあげることに皆が共感や支持の声をちゃんと返してあげる。これが民主主義の真髄だと思う。全米1500の都市でシンデイ支持のイベントが開催され、彼女に会おうとしないブッシュを非難している。僕にとっては、日本の選挙よりも重大な出来事なのだ。だって日本はアメリカの属国のようなもんだからなあ・・・。アメリカが方向転換しない限り、自衛隊はイラクから帰ってこれないのだろう。

伝説的インディアン戦士と涙ぐむ反戦運動の勇士、シンディ・シーハン
No38 8月28日(日) 10:00am 晴れ。爽やかだけど暑い。夏は終わったようだけど秋はまだ・・・
一昨日の26日午後、ようやく念願の「札幌ONSENSライブ・レポート」を完成してHIMALAYA BOOKS(目次にリンクがあります)の担当者とAKIRAさん、そして原稿を頼んできた友人ジャーPさんにメールで送った。丁度インターネット・サイト「akiramania」でAKIRAさんが当日唄った全曲を順番通りに歌詞を紹介していたので、簡潔ながらイベントの様子を最初から最後まで、ほぼ完璧に再現することが出来て、更に瞬間、瞬間の僕の想いも、かなり忠実に描くことが出来たと自負している。(AKIRAさんが何と言ってくるかなあ・・・)と気にかかる。まあ懸命に書いた文章だから、当日の記録としてだけでも意味があるし、それなりに労(ねぎら)いの言葉位はかけてくれるだろう、とは思っていたが、想像以上に熱い返事が返ってきた。
「ヒロさんの文章を読んで、泣きました。何度も何度も嗚咽しました。オレたちの歌をこんなにも深く理解してくれ、こんなにも愛情のこもった言葉で表現された人は空前絶後です。
ありがとう、ありがとう、はらわたの底からありがとう。ヒロさんと出会えて本当によかった。こんなにも巨大な包容力を持ったヒロさんの友人であることを誇りに思います。」
(おいおいAKIRAさんを泣かせてしまったよ・・・)正直あまりの熱い言葉に驚いてしまった。喜んでくれるとは思っていたけど・・・。でも最高に嬉しい。そして文章がHIMALAYA BOOKSに載ってからの反響を空恐ろしくさえ思い、この夜は興奮してなかなか眠れなかった。そして翌日またまた凄い文章が送られてきた。僕のライブ・レポートに感激、興奮したAKIRAさんがスタッフやイベント関係者に手当たり次第に送った返事の一つだった。恐らく次のONSENS・LIVEの開催地である高知のジュンイチさんのメールをAKIRAさんが転送してくれた。
「これが単なる感想、飛んで飛んで過ぎて、乾燥しないすんげぇ感想小説じゃないすか!!
クールな印象を与えるジャーヒロさんなのに、文が進むごとに、むきだしの感情が煮えくり返ってきて、情景浮かびまくりの眼にうつらない何かまで表現されてて、わからないなにかなのにグッと伝わってくる、文字に獣がいる、獣が住んでいる
そしてすごく見えてる、必要なものだけ選びとってる、ほんと獣!かつやさしい、ジャーヒロさん自身も住んでるし、って書いてる自分がむなしくなってきた、、、
すんごい、いい感想だと思う。自分がアーティストでこうゆう感想もらったら最高にうれしいだろうな、感想もらえるだけでもうれしいのに、
やっぱりすんごいLIVEをしちゃったんですよね、まさか自分が踊るとは思いませんでしたが。。」
これだけ絶賛されたら僕には言う言葉もありません。まず「HIMALAYA BOOKS」のサイトに行って、札幌レポートを読んでください。AKIRAさんが主宰する巨大サイト「akiramania」(目次にリンクあり)でもAKIRAさん自身の札幌ライブとアイヌモシリ・ライブ報告もあるし、イベントに参加した多くの人達の感想も、次第に数を増やしながら、そのまま載っています。何か大きな動きが始まっているような予感を感じさせる十日間でした。いやすごかった・・・
No37 8月25日(木) 10:00am 晴れ。今日も暑くなるのだろう・・・
でも夕方からは決まって涼しくなるので余裕、余裕。まだ暑いのかと嬉しくなるほどだ。長い長い冬が来る前に太陽の恵みをまだまだ味わいたいのだ。札幌雪祭りにきたことはあるけど、まだ生活者としては未知の冬。札幌市内の道路はスタッドレスを履いた車によってピカピカに磨かれ、車は簡単に滑りだし、歩行者はすてんすてんと転げまくる、らしい・・・。札幌育ちの人でさえ冬には車に乗らない人が多いという。片道一車線の道は路肩に積み上げられた雪で、往復一車線の道に変わり、車のすれ違いは至難の業となる。しんしんと降り続ける雪に対抗して、腰が抜けようが、気持ちが萎えようが、毎日手足を動かして雪かきに追われる日々が続く。終日人々が集い、子供達が戯(たわむ)れる公園も近隣の雪捨て場に変貌して白い大きな壁で囲まれてしまう。そんな毎日が延々と続くと思うと、やはり気が重い。逃げ出したくなるのかなあ・・・。涼しくなってくると、ついそんなことを思ってしまう。まあ屋根の雪降ろしがないだけ助かるが。札幌にきて知ったのだが、屋根の雪が建物から発散する熱気で自然に溶けてしまう構造の家が多いのだ。僕たちが住む家も、有難いことに、そういう造りになっている。だから玄関から目の前の通りまでの十メートルほどの僅かな道のりの除雪をするだけなのだ。それでも先住者の知人に言わせると、冬も後半に入ると、左右に積み上げた
雪の山が、もうスコップで撥ね上げられないほど高くなり、泣きたくなるほど大変になっていくそうだ。そして風が通り抜けやすい位置に玄関があるので、雪の吹き溜まりになるらしく、夕方除雪したのに、朝になると玄関の扉が開かないこともあったという。想像したくない話だよなあ・・・。冬には泣いているかも。
夏の高校野球で奇跡の二連覇を果たした駒沢苫小牧、想像もつかない展開になってきている。一週間近く毎日のように駒苫の奮戦ぶりをテレビで放映していた地元テレビは、ころっと変わって、暴力事件を放映する。それも学校側がひた隠しにしてきた暴力の実態と隠ぺい工作が次第に暴かれてゆくという最悪の事態になってきている。下手をすると「優勝旗返還」まで行くのかなあ。奇跡の連続優勝を勝ち取った生徒達が気の毒で仕方がない。こんなことってないよなあ・・・。悪夢のような成り行きです。北海道全体が嘆いている。
No36 8月23日(火) 9:00am 曇り・・・
昨日、一昨日、一昨昨日と雨が続き、昨日の午後は晴れたけど、また今日は曇って涼しい。数日前に彼女のお母さんが「もう夏は終わり」と予言したのが当たった気がする。日差しは強くても風は冷たく、気候の変わり目にあるように天候不順が続いているからだ。「北海道の夏は短い」とは聞いていたけど、その通りなんだなあ。短い夏の後に、更に短い秋が続き、あっと言う間に長〜い冬になだれ込んでいく。さあ、毎日の雪かきに備えて、もっと身体を鍛えておかなくては。そういえば、地元の人に聞いた話だけど、山の方に住む、彼女の知人は大雪の日には車が走る国道までの雪かきが終わると、日が暮れると言っていた。信じられないよなあ・・・。

最近チェックしているニュースがある。それはシンディ・シーハンという50歳近い女性、いわば小母さんにまつわる話で、アメリカでは彼女の周囲の動向を時間、分単位で報道しているし、ハワイでもロスでも、その他数多い地域で彼女の行動を支持するイベントが行われているというのに、日本のマスメディアは全くと言っていいほど紹介していないことに憤慨している。(ただ僕自身は読売新聞の国際面で知ったのだが。テレビでは紹介している気配がない)彼女は新しい反戦運動の象徴として、現在の侵略的、暴力的アメリカに胸を痛めている、人間としての良心の持ち主たちに勇気と力を与えつつあるのだ。現在彼女、シンディは長い夏休み中のブッシュ大統領が滞在している、彼の牧場がある、テキサス州のクロフォードという小さな町で、道端の車で野宿しながら「何故息子はイラクで死なねばならなかったのか?息子、ケイシーの死に値する、何か崇高な役割があったのか?ただサダム・フセインを追放し、イラクの人々を解放するためだけの戦争であれば、即刻撤退すべきではないのか?」と大統領に問いただそうと面会を求めたのだった。そしてその地を「ケイシー・キャンプ」と名付けて居座った。その彼女の無謀とも勇気あるとも言える行動に共感した人々が支援の為にクロフォードの町に全米から集まり始め、特に子供をイラクで亡くした母親達が同じ思いを抱いて多数やってきた。そして反戦運動の中心的人物まで姿を現すようになる。昨日のニュースでは、あのジョーン・バエズがトレードマークだった長い髪を切った姿で現れていた。そう「ただの小母さんだったシンディ・シーハン」は今や、反戦運動の力強い旗手として、新しい反戦運動の潮流を生み出しつつあるのだ。僕はこういうアメリカは大好きだなあ。アメリカ中の小さな庶民たちが一つに集まって、次第に大きな声になっていく。そして八月の初めに始まったばかりのことなのに、15万ドルの募金が集まったらしい。或る人は支持を行動で表し、他の人は献金で表す。これもアメリカらしいなあ。そして牧場に閉じこもるブッシュは外の動きを完全に黙殺している。これからどうなることだろう?なり行きが気になって仕方がない。そのうち詳しい報告をする機会があるでしょう。シンディさんは凄い!偉い!母親は偉大なり。

No35 8月19日(金) 4:15pm 曇り。のち雨の予報・・・
さっきパラパラと雨が降る。いつ以来の雨か思い出せないほど久しぶりの雨。どうせ降るなら、ちゃんと降ってほしいなあ。畑のトウモロコシも北風公園の聳え立つポプラの木々も雨を恋しがっているよ。その北風公園で三匹の犬たちを散歩させてる小母さんと立ち話をした。僕たちが鹿野山で共に暮らしていたように、三匹とも捨てられた犬たちと聞いてびっくりした。その内の一匹は、和犬の雑種のようだけど、僕がよく行く、発寒川でまだへその緒が付いたままで、兄弟、姉妹と一緒に捨てられていたらしい。息子さんが発見した時には、他の仔犬たちは既に死んでいたけど、彼だけは尻尾がかすかに動いていたので、保護して獣医に見せたら、「多分駄目でしょう・・・」とむごい宣告をされたという。「そして今、十七歳です」と彼女が言った。心優しい人々は到る所にいるんだなあとしみじみ思う。いつも元気で幸せ一杯の我が家のエリーは別として、捨てられた犬たちは皆どこか影が薄いところがあり、幸せの有難さを他の犬たち以上に知っている。
ところで一昨日の「ONSENS LIVE」、本当熱くて長い一日でした。まず朝の九時にあけぼの開明舎(といっても去年まで小学校だったから、なんだか不思議な空間だった)に集合から始まり、本当に熱い(締め切りの音楽室で、或る人は室温43度!って言ってた)ライブが終わったのが夜の九時だから・・・。僕は「写真を撮ってくれ」と頼まれたので、荷物運びも手伝いながら、デジカメをぱちぱち撮っていた。ただし画質を良くしてあるのでHPでは、残念ながら紹介できませんが。とにかく廃校になった元小学校の音楽室というのがライブ会場で、まるでさっきまで生徒達がいたような生々しさがあって、「学校の怪談」の舞台のような気味の悪さもあった。あちこちに卒業生達の記念パネルが飾ってあり、学校消滅への無念がみなぎっていた。それもAKIRA率いるONSENSの演奏会場としては相応しいとも言えるのかもしれない。僕はほんとに久しぶりにライブ会場の設営から開演まで手伝って、どれだけの皆の努力が支えているのかを思い知った。ボブ・マーリイも「気違いじみた練習振り」で有名なのだが、ONSENSの場合も呆れるほど丁寧かつ執念深いものだった。機材のセッティングから、各パートの音出しと調整から、曲のパート毎の練習から通しのゲネプロまで、ほんとに舐めるように音を仕上げていた。本当にご苦労様です、と思う。それも音を出した途端に管理人から、音楽室の窓も廊下側の扉も「開けるな!」と横暴な言い方で指示されたもんだから、灼熱の太陽が照りつける中、締め切った部屋の中で汗をだらだら掻きながらの作業だから、可哀想だった。特にパーカッションのYAOさんとRIEさんはサウナの中の肉体労働を一生忘れることはないだろう。
そして遠く福岡から飛行機で、ONSENSを聴きにきた男の子や、東京からバイクできた女性と話をする。彼が言うには「熊本」からきた人もいたらしいのだが、仙台の女の子もいたし、どれだけAKIRAさんが皆を惹き付けているのかを知った。そして社会問題にまでなっている「引きこもりの人々」との接点をも知る。今回特に思ったのは、AKIRAさんが「引きこもり」の人々にどれだけ慕われたいるのかということだった。彼の歌「リストカッター」で自殺を思いとどまったり、皆が熱狂した「旅立ちの歌」で(一度は諦めた)人生の再挑戦を決意したり、彼の「ハッピー・バースディ」で人生を、おそらく生まれて初めて、いとおしく感じたりしているようだ。僕はそういう光景を目の当たりにして、彼が新しい潮流を生み出していることを実感した。詳しくは友人の「HIMALAYA BOOKS」(このHPでリンクしている)でのライブレポートを読んでください。
ボブ・マーリイは世界中で公演することで「ラスタファリ」の種を蒔いていったし、弘法大師も同じく日本中を旅して仏教の種を遥か昔に蒔いていった。時々そういう人が現われるのだ。そしてAKIRAさんはONSENSという楽団と旅をしながら、閉塞状態にある日本人の病んだ心を癒す旅を続けていくのだろう。
そんなことを実感する一日でした。彼が札幌に残したものは、これから開花していくことだろう。幸せな一日でした。
火のように熱いライブを終えて、皆より先に家路を辿った僕の頭上に少し欠けた黄色の月が輝いていた。僕は最寄の駅の琴似を降りると、最近気に入っている居酒屋「故郷」で、ライブの成功を祝って、一人で乾杯したのだった。おめでとうAKIRAさん。素晴らしい音と言葉の世界をありがとう。
No34 8月16日(火) 5:00pm 晴れ。でも暑さの流れが変わってきた・・・
今朝起きると、ぎょっとするほど涼しい、というより、寒かった。五時過ぎのエリーとの散歩では、「何か着てくればよかったなあ」と後悔したように、Tシャツ一枚では堪えられないほど冷えていた。その後、日が差して「暑くなるかなあ」と思ったが、冷たい風が一日中吹いていて、そこはかと夏の終わりを感じさせるような一日だった。札幌の人達に聞いた「暑さもお盆まで」という言葉の通りで、何か不思議な気持ちにさえなった。温暖な千葉の山で長い残暑に慣れた身には、夏があっさり終わってしまうのも淋しいような気にさえなる。これが北国なんだろうなあ。
とうとう明日、AKIRAさんの「ONSENS LIVE」がある。YAOさんも含む、スーパーパーカッションが凄いらしいから、楽しみで仕方がない。AKIRAさんのホームページ、AKIRAMANIA(リンクしています)の日記を読むと、なんと東京方面から、明日のライブを見るためだけに、札幌にくる女性が何人もいるらしい!それを聞くだけで、彼のライブがどんなに人の心を引きつけるのかが判るだろう。特に心淋しい人、孤独に苦しむ人、人生に自信をなくした人、未来が見えない人の心に明かりを灯す、AKIRAさんの壮絶な詩の数々。それを聴ける人は幸せなのだ。まだチケットは完売していないようだから、特に北海道の人は絶対にくるべきだと思う。AKIRAさんも言うように、来た人には絶対見せるそうですよ。人生が変わります。人生をポジティブに生きたい人は見逃すな!
一昨日に衝撃的な言葉を聞いた。それは、恐らく北海道限定のテレビ放映だと思うが(そういう番組が多いのも、初めは戸惑った)、太平洋戦争の末期に、日本の植民地だった、満州とソビエトとの国境、ノモンハンからソビエト軍が大進軍した結果、数十万人が捕虜としてシベリア開発を強制させられた、当の犠牲者の証言だった。その人は確か、小樽の人だった。零下二十度、三十度の極寒のシベリアで、森林伐採などの野外作業を強制させられた捕虜達が与えられる食料は一日に、大人一食分にも足りないパンと白湯のようなスープ。だから皆が餓鬼地獄に落ちて苦しんだ。と、そこまでは以前に何かを読んで知っていたのだが、その小樽(多分)の人が言った言葉は、更に衝撃的だった。彼等の作業を監督にくるソビエト人が「旨そうに見えた」と言ったのだ。骨と皮のようになった日本人捕虜の間にいれば、食料を充分摂取した彼等は、餓鬼となった日本人には「ヨダレが出そうな霜降り牛」のように、目に映ったのだろう。背筋が寒くなるほど恐ろしい話だ。同じ人間を旨そうと感じるほどの飢え。それが現在のアフリカで日常的に起こっている。そして現実に「人の肉を食う」話も珍しくはない。「人間ってなんだろう?」と思ってしまう。
では明日の、札幌あけぼの開明舎での「ONSENS LIVE」をよろしく!目次に主催者側とのリンクがあります。さあ、明日は頑張らねば。僕は写真撮影とライブ・レポートを頼まれているんだよね。さてどうなることか。知人のカメラマンが、昔、大事な仕事の写真を、緊張しすぎたせいで、結局一枚も写っていなかった、という悪夢のような話もあるからなあ・・・。まあ、せめてちゃんと写っているよう頑張ります。さあ、楽しみ、楽しみ・・・
No33 8月15日(月) 2:00pm 晴れ。もう十日ほど暑さが続いている・・・
まあ夜には少しは涼しくなるといっても、こう暑さが続くと、誰もが調子を崩してしまう。一昨日の朝にはエリーが朝ご飯を食べた直後に「ゲー」と全部吐いてしまったから、無理な散歩をしないように気をつけている。そして猫のみゃー子もどうも体調を崩しているようだ。というのは、僕が彼女の(排泄用)砂場の清掃係なので、分かったのだが、今まで一日にオシッコは三回、ウンチは二日に一回という生理的リズムをきちんと守っていたみゃー子が、約一週間前から固くて丸いウンチが柔らかく平らになり、オシッコの回数も増えている。やはりおかしい。札幌の夏を馬鹿にしていたが、ここ暫らくは気をつけねば。とにかく夕立というものがないのが不思議な気もする。
ところで十七日のあけぼの開明舎での「ONSENS LIVE」の写真係とライブ・レポートの作成を頼まれた。それで撮ったまま放置していたメモリーをCDRに焼き付けて、メモリーを消去したりして、本番の撮影の準備をしている。そのついでに、過去の写真を全てCDに移動させたのだが、次々に現れてくる懐かしい鹿野山での生活の断片の数々を眺めていると、山から下りて、失ってしまったものの大きさをつくづく感じてしまう。あの輝かしい山の日々は、もう永遠に戻ってはこないのだ。勿論また行く機会はあるのだろうが、もう住むことは出来ないだろう。野生の世界は通り過ぎるだけでは、殆んど何も見えてはこない。住むことによってこそ、その奥深い神秘的な相貌を垣間見ることが出来るのだ。そんな思いを抱きながら、鹿野山での日々を偲ばせる数々の写真を、ホームページにリンクされているYAHOO・PHOTOSにアップロードした。皆さんも是非見て下さい。自然の中での暮らしは最高でした。
昨日、一昨日の晩は北風公園で盆踊りがあった。集まった人々は多かったけど、音頭をとる小母さんやお婆さんの存在がなく、ただ思い思いに手を振り踊る、なんだか締まりのない盆踊りだった。古い伝統がもう風前の灯火のような切ない思いに囚われる。伝統が衰微していく姿を見るのは嫌なものだ。むしろ人も少ない鹿野山の方が上等の盆踊りだったなあ・・・。
今日は終戦記念日。前日の14日に秋田で大空襲があって沢山の市民達が死んだらしい。なんという残酷なことをするのだろう・・・
No32 8月13日(土) 9:30am 晴れ。今日は30度の予報・・・いやはや
昨夜は九時過ぎまで、家の前の公園で爆竹をバンバン鳴らしていた若い連中がいて、文句言おうかしらと胸中のエヘン虫がむずむずしたが、ぐっとこらえて黙っていた。そして早朝の五時過ぎにエリーの散歩に出かけたら、花火をやっていたブランコの周辺に花火の残骸や空き缶、食べかすが、目を覆いたくなるほど、散乱していた。あんなにひどいゴミは、ここ北風公園では初めてだった。そして早番の彼女を職場に送るために六時に外に出たら、もうゴミは跡形もなく綺麗に片づけてあった。その変貌ぶりには、ちょっとした奇跡を見るような気さえした。この公園では散歩しながらゴミを拾っていく人達が片手の指くらいはいる。そんな人たちが結構大量のゴミを大車輪で片付けたのだろう。偉いなあとちょっと感激してしまった。僕が長く暮らしていた神奈川や千葉でなら、風に吹き飛ばされるか、豪雨に流されて消えていくまで、長い間醜く放置されることだろう。やはり札幌は素敵な街だなあと改めて惚れ直した。
ところで昨日目にしたBBCのアフリカ関連サイトで「大量虐殺に関係した元政府高官に死刑の判決が下りた」というニュースが載っていた。ざっと目を通すと、警察長官と内務大臣が即刻処刑されたらしい。この元政府とは、ラスタファリアンがジャーとして崇敬する、ハイレセラシエ皇帝政府をクーデターで倒し、皇帝を幽閉、処刑(真正ラスタファリアンは認めていないが)した悪辣な極左軍事政権で、150000人を拷問、処刑し、全ての村の名前を消して、ただの番号で国民を統治しようとした狂気の政権、そうまるで大量虐殺で名高いカンボジアのポルポト政権の極悪兄弟のような集団だった。しかし政権の頂点で全てを支配していたメンギスツという悪魔は今でもジンバブエでのうのうと暮らしているという。そんな話を聞くと、世の中に正義はない、というネガティブな気持ちになってしまう。「一人を殺せば犯罪者だが、大量殺人を犯せば英雄になる」という忌々しい諺を思い出す。まったく腹が立つよなあ・・・
No31 8月12日(金) 2:00pm 晴れ。昨日は暑かった。今日も暑い。明日も暑いだろう。
今朝は彼女が休みの日だったので、久しぶりにエリーを車に載せて、大倉山ジャンプ場まで散歩をさせに行った。札幌は市街地に接するように幾つもの山が聳えている街で、藻岩山(冬はスキー場)、円山(公園と動物園がある)、三角山(いつも我が家を見下ろしている)その他の山々が札幌を幼子を見守る母親のように優しく見守っている。だから、僅か片道15分ほどで山の上まで行けてしまう。関東地方の人々には想像もつかない立地条件だよね。そして広い駐車場で放して遊ばせ、壮大なジャンプ場を見学して帰ってきた。それで往復一時間なんだから、不思議な気持ちにさえなる。札幌はなんと自然が身近にあるんだろう・・・。
ところで毎年夏になると、広島と長崎に落ちた原爆の犠牲者を追悼する行事が国家的規模で盛大に行われている。僕はその頃になると、数年前に亡くなった父親から聴いた話をいつも思い出す。山口県の山奥の村で生まれ育った父親は、家が貧乏だけど、勉強家で頭も良かったから(国家が全ての面倒を見てくれる)師範学校(先生の養成学校)に行き、その後小学校の先生をしながら、夜間の歯科学校に通い、(恐らく)寝る間を惜しんで勉強して歯科医になった尊敬すべき人だった。(僕は口答えばっかりしていたけど)その父親が戦前、蓄膿症の手術で広島市内の病院に入院していた時のことを聴いたのだ。「(手術が終わってベッドで養生していた頃の話で)身動きできなくて、目に入るのは天井ばかりだったけど、近くでお喋りする若い看護婦さんの話し声や先生の声、そして窓の外の道路を通り過ぎる人の口笛の音が聞こえた。それをいつまで経っても忘れられない。その病院は広島市街の中心部、つまり爆心地のそばにあったから、全てが跡形もなく消えてしまった。」そう、この父親の話を通して、僕は無数の生身の人間達が原爆という悪魔の兵器によって焼き殺された無残さを実感する。そして人々が密集して生きる大都会に平然と原爆を落とし、今でも謝罪さえしようとしないアメリカの傲慢に憤りを感じる。
世界のあちこちを旅行した両親だったが、アジアと中国には行くことがなかった。何故かと訊くと、「日本人が現地の人々を苦しめた国に物見遊山で行く気がしない」と言っていた。僕はそんな父親を尊敬し、誇りに思っている。そして僕自身はといえば、或る時「もう絶対アメリカの地を踏まない」との誓いをした。それは自分達の先祖伝来の大地であるアメリカの豊かな土地から無残に追い払われ、騙され、虐殺され、小さな居留地に押し込められ、今でも差別、迫害されているインディアンの人々の存在を思うと、「他民族国家」というのは建前だけで、どうしても「白人国家アメリカ」としか思えず、父親が言ったように、「物見遊山で彼の国に行く気にならない」そして更に笑顔を絶やさないアメリカ人の薄っぺらな笑顔の裏顔のえげつない独善的行為の数々を思うと、あの国の存在すら許す気にならない。そんな訳で僕はアメリカには一生行かない。
No30 8月11日(木) 7:30pm 晴れ。札幌も暑いぞー・・・
晴天が続き、日中は外出を怖気づくほど陽光が刺すように厳しく暑い。さすが人気の北風公演もハイ・ヌーンの頃は人影もなくなった。ただその分、夜集まって花火をパンパンやられて、ちょっと動物達が気の毒だ。それでも街暮らしにすっかり同化したエリーやみゃー子は多少外がうるさくとも泰然自若と聞き流している。かえって僕たちの方がいらいらしてしまうのだが、ここで怒っては周囲の住民に嫌われてしまうと、大人しくしている。周りに人家が殆んどなかった山暮らしが懐かしい。あの頃は家の前の道路を一日に数台車が通れば賑やかなくらいで、人にも会わずに何日も過ごすことも珍しくなかった。夜になると心に染み渡るような静けさで、空を見上げれば満天に数えきれない星々が輝いていた。そろそろ近いお盆の頃には遠く館山の方向の山々の向こうに小さな打ち上げ花火が上がっていた。その音のない一円玉くらいの花火をベランダでビールを飲みながら鑑賞したこともあった。朝から夕方まで油蝉がうるさいほど鳴き、夜になると小さな虫たちが太古の昔からの合唱会を楽しんでいた。山は澄んだ空気と豊かな大地と力強い太陽の恵みによって、まるでボブ・マーリイのアップライジングのアルバムの絵のように、勢いよく大地から天空に向かって無数の緑の種族たちが伸びに伸び、育ちに育って、辺りを覆う草いきれで息詰まるようだった。木々の梢では可憐なリスたちが木の実をもぎ取り、人気のない雑草に縁取られた道々では兎が放恣に散策する。その山、鹿野山の麓では小さな猿の群れが道端で遊び、子供を抱いた母猿が横断する。鶯は飽きる事無く命の歌を唄い、不如帰は血を吐くように甲高い声で囀る。捨てられた哀れな犬たちが乾きと飢えでよろめきながら陽炎の揺らぐ道を彷徨い、野良猫たちは生きる為に必死で狩りに熱中する。そんな野生の世界から遠く離れて、僕たちは文明世界の只中に住んでいる。そして住み続けるのだろう。もう台風に怯えることもなく、集中豪雨を恐れることもなく、山火事に胸を痛めることもなく、孤独に泣くこともなく、のうのうと文明の果実を享受して生きてゆく。それでも心の中に、いつまでも生き続けるのは、あの野生の中での胸躍る日々のこと。離れれば離れるほど、山への思いは深くなる・・・
No29 8月9日(火) 10:00am 晴れ。今日も暑そう・・・
外はすかっと晴れ渡っている。まだ熱帯夜にはなっていないが、それでも外は炎暑だろう。そして今日はもっとホットなニュースを紹介する。最近探し出したアメリカのラスタファリ関係のサイト(近々リンクする予定)の記事で、今や完全にラスタファリアンの世界もインターネットを取り込んでいるのがよく判る。
「2005年8月4日:ガイアナ:ラスタファリアン達が奴隷制について討議した。」
数十人のラスタファリアン達がカリブ諸国や北アメリカからガイアナに集まり、ガイアナ政府に対してマリファナの合法化、過去の奴隷制度の賠償、アフリカへの帰還えの援助を要求した。
「アメリカ、カナダ、カリブ諸国の約60人のラスタファリアン達が、カリブ・ラスタファリ協会の五日間の会議に参加した」と議長のラス・フランク・Iが語った。
フランクの言葉によれば、今でもラスタファリアン達は、信仰上の聖なる存在である、マリファナを少量吸引しただけで、逮捕、投獄、時には国外追放されている。「このカリブ諸国政府の蛮行を止めさせねばならない」と彼は言う。会議は首都、ジョージタウン東方の海辺の町、ゴールデン・グローブ・ビレッジで開催された。
フランクはまた獄中で髪を切られてしまうことも非難した。多くのラスタファリ信仰者達は髪の毛をもつれさせたまま、長く伸ばし、自然との一体感を体現している。フランクの言葉によれば「30年以上も伸ばしている仲間さえいるのだ」
会議はまた国際援助団体による農業支援によるラスタファリアン達の生活向上計画についても話し合った。既にガイアナ政府は有機農法を条件として、202ヘクタールの海岸沿いの土地を寄贈している。
この(二年毎の)会議では、奴隷貿易で富を得たヨーロッパ諸国からの賠償金を獲得するため、政府や15の自治体に協力の嘆願書を提出する予定。またアフリカ連合に対しても、ラスタファリ信仰の中心的教義である「アフリカ帰還」への協力要請も計画している。
ラスタファリ信仰は1930年代に、弾圧される黒人達の怒りから生み出され、周辺地域へと広がっていった。そして1970年代になると、最も有名なラスタファリ信奉者である、レゲエ界の伝説的人物、ボブ・マーリイによって大衆に広められた。
ラスタファリ信奉者達は先のエチオピア皇帝、ハイレ・セラシエを神と崇め、(民族の)ルーツの地であるアフリカへの帰還を説法する
いつまでも熱く熱く語られるラスタファリの「アフリカ帰還の夢」。またその反面、現実的な生活改善の試みをも進めるラスタファリアン社会。ボブ・マーリイの出現以来、ラスタファリズムは世に広まったけれど、その結果何が変わっていったのだろうか?まだまだ未来の夢の中を彷徨うようなラスタファリアン達。僕は彼等の純粋さを愛している。

No28 8月8日(月) 2:00pm 晴れ。耐え難い日差しが照りつけ、人気の公園にも人影がまばら・・・
炎暑という言葉が似合う暑さになってきた。それでも札幌は30度以下なのだから、「気が狂いそうに暑い」と土地の住人が言ってた大阪や名古屋はさぞ暑いことだろう。我が家の犬も猫もただただ昼寝を決め込んでいる。暑さをやり過ごすにはそれしかないか。北の都と、涼しさを堪能してきた札幌の街もどっぷり夏に浸かっている。昨日、一昨日の週末は近くの発寒川でも、実は禁じられている、バーベキュー・パーテイが盛大に行われていた。そして大人も子供も川にじゃぶじゃぶ浸かって涼をとっている。これも清冽な水が流れる北海道の川ならではの光景だろう。地元の人に言わせると、汚くなったらしいが、僕の目には綺麗にしか映らない。
昨日は夕方の散歩を、いつもより遅く、四時半頃に出かけた。まず近くで老犬で臆病なアフガンのクリちゃんのお母さんと立ち話をして、「家に帰ったら、玄関に猫がいて、逃げ出してきた」というクリちゃんの気の弱さに呆れてしまった。でも我が家のエリーとは気が合うようで、遠慮がちに尻尾を振っていたのが可笑しい。そして発寒川まで行き、北見の公園で捨てられていたという小型犬のお母さんと、エリーも捨てられた犬だから、捨てられ同士で話が合ってしまう。哀れな彼等の運命に涙し、傲慢な人間どもに怒り、長話に興じてしまう。そして帰り道、発寒川に珍しく川鵜(かわう)が一羽来ていたので、彼が水に潜って魚を獲る光景に見とれてしまった。そして隣で眺めるおっさんと川鵜話でまた盛り上がる。なんだか散歩に行ったのか、お喋りに行ったのか分からん散歩だった。東京、神奈川、千葉と移り住んだ僕だけど、札幌の人の人懐っこさは初体験の新鮮さがある。犬を飼っている人同士の交際はとても親密で、我が家の前の北風公園でも二十人位の人たちが大中小、老若男女の犬たちを各々連れて、一同に会して談笑している様子は壮観です。僕も時々エリーを連れて顔を出すが、さすが都会の犬たちは社交的で、喧嘩するような犬は皆無。和気あいあいの人間達同様、楽しそうにじゃれあっている。これも札幌の人々の暖かい人柄を象徴する情景なのだろう。世の中には殺伐としたニュースが溢れているが、我が家の周囲には心和ませる光景が多いのだ。
そうそう、心和ませるといえば、ずいぶん前に発寒川で大きな白い鶏を散歩させている男性に出会ったことがあった。とても不思議な気持ちになったが、それが実は我が家の近くの住人で、昨日金網で囲った檻にいるその鶏を見たのだった。近くの神社の縁日で買ってきたヒヨコがそのまま大きくなってしまい、愛犬ではなく愛鶏として可愛がっているらしい。これも微笑ましい話だと思う。そしてまた、我が家の前の北風公園はラジオ体操の場でもあって、この前は夏休みの子供達が何十人も押しかけてきて、一斉に体操する姿は壮観だった。こういう札幌の、古いとも言えるかもしれないが、健全な日常の光景は素晴らしい。そういえば、このような「住人達が住むことを誇りにしている」札幌のような街に住むのは初めてなのだ。街を「バビロン」と毛嫌いしていた僕だけど、少し考え方が変わったかもしれない。

No27 8月6日(土) 9:30am 晴れ。昨日は今年一番の暑さだったけど、今日も暑くなりそう・・・
といってもたかが33度だから、38・5度の所に比べると屁のようなものだけど、それでも熱さに弱い札幌の人達には耐え難い暑さなんだろう。ポルトガルでは40度の暑さが続き、熱風のなか乾燥しきった木々があちこちで燃えだして、消防隊を総動員しても消せない勢いだという。これも地球温暖化による災害の一つなんだろうなあ。毎年確実に天候が悪化している。どこで歯止めが掛かるんだろう?
昨夜は久しぶりに芝居を観に行った。札幌市内の憩いの地、丸山公園内でのテント掛け興行で、段々になった客席と小さな舞台で六人の役者達が熱演した劇団どくんご(どくんご、で検索すると活動が分かる)!。最初は退屈で、(早く終わらないかなあ・・・)と時計ばかり気にしていたけど、或る役者がテントの外で酸素吸入をしていたほどの狂喜乱舞のクレイジーな舞台に次第に引き込まれていき、(ストーリーはよく判らなかったけど)観終わった後には、ちょっとしたフアンになっていた。でもなあ、二時間半は長すぎるよなあ。七時半に始まって、終わったのが十時!終了後のテントでの飲み会に参加する元気もなく、また自転車でしゃかしゃかと家に帰った。でも自転車でどこでも行けてしまうんだから有難いけどね。札幌は不思議な大都会。
数日前にちょっと感動したことがあった。それはNHK教育テレビの番組で脳性等の麻痺で言葉が喋れない人々の為にある人が開発した一種の通信機器の開発のエピソードと利用者の反応を紹介していた中での話だった。今までは目で追った文字を一字、一字、お母さんが読んでいたのが、少年が自分でボタンを押して文章を作ると、音声が、まるで彼が喋っているように、流れる。初めて自由に自分の気持ちを表現できるようになった少年は大喜びだった。そして彼はお母さんが「まさかそんな言葉を聞けるとは思ってもいなかった」と漏らした、ある感動的な言葉を機械的音声で言ったのだった。それは「僕を産んでくれてありがとう」・・・・。外見上は生きる苦しみしか与えられていないようにも見える彼が人生を感謝の気持ちで生きていることに感動してしまった。そしてまったく正反対の魂が腐った連中の聞くに堪えない悪行の数々を見聞する日々をも想った。どんなに苦境にあっても清らかな思いを持ち続ける人もいるというのに、社会に憎悪と反感を抱いている人間の如何に多いことか・・・。昨日のニュースで「苦しむ顔が見たくて殺した」という殺人鬼のニュースが流れていた。こういう連中にさえ人権を過剰に盛り込んだ現法律で守るように、裁くことに憤りさえ感じてしまう。彼のような男はリンチにかけて、即刻処刑すべきだと思う。自民党の金と権力と利権の獲得だけを政治目標にした戦後の民主主義体制の到達点が、現在の社会の姿そのものなのだ。馬鹿だよなあ、日本人は。今にして思うと、戦争で失ったものより、戦後のアメリカ隷属で失ったものの方が大きいような気がする。日本人のモラル喪失の背景には日本という国家の主体性の欠如があるとしか、僕には、思えない。ルーツに帰れ!日本人!
No26 8月4日(木) 8:30am 雨。札幌はしばらく雨が続いている・・・
夏の暑さはしばらくおあずけだ。もう充分堪能したから、もう暑くなくてもいいが、でも今から厳冬に繋がる寒さが始まるのはちょっと辛いものがある。でもお盆を過ぎるとぐっと冷えるらしいからなあ・・・。冬が怖いよお、というのは冗談ですが、でも毎日の雪かきというのが頭の芯に残って、気になる、気になる。
昨日のテレビでイランの大統領の就任式を紹介していたが、こちこちの原理主義者の新大統領の×××さんというから、流石(さすが)に凄い式典だった。全員で「アメリカに死を!」「アメリカに死を!」って叫ぶんだからなあ・・・。これではキリスト教原理主義国アメリカに喧嘩を売っているようなもんだから、そのうちまた戦争が始まるのは間違いないだろうな。ここまでいくと、宗教が心の病だとしか思えなくなる。もしかすると神秘のシステム、DNAに、人類滅亡のプロセスとしてイスラム教とキリスト教を組み込んでいたんじゃないだろうなあ?とさえ思いたくなる。どんどん後戻りが出来ない道を辿る人類の行く末を思うと慄然とするものがある。哀れなアフリカはいつまで経っても浮かび上がることはないのだろう。傲慢なアメリカは地球の終わりまで傲慢なままなのだろうか?アフリカで始まっている終末的な飢餓がアジアに飛び火する時、何が起こるのか?何も出来ない僕はひたすら注視して嘆くことしか出来ないのだろうか?今の時代こそボブ・マーリイの神秘の言葉「ワンラブ」が必要とされる時代はないと思う。自分が信仰や主義や信条で熱く燃えれば燃えるほど、同じような熱情を抱く、まったく正反対の人々がいることを想うべきだ。かってのベトナム戦争で、首を斬りおとし、耳をそぎ、虐殺したアメリカとベトナムが今では友好国となったことを思うと、死んだ人の魂は浮かばれるんだろうか?と複雑な気持ちになる。度を越した神への信仰は狂人への道でしかないと誰もが知るべきだと思うのだが・・・。
アフリカのトーゴで子供の売春組織が強制捜査されたというニュースがBBCに載っていた。日本でも幼いタイ人の子供たちが性的商品として、騙され、買われて、日本の街や温泉地の家々で売られている。「幼ければ幼いほど人気がある」と業者がテレビで放言していたが、これ以上無責任に放置され続けるなら、戦前の暗い時代の再現のように、クーデターによって自衛隊が政治の実権を握り、種々の悪徳を厳しく処断することを望むしかなくなるかもしれない。特別立法して、軽くとも懲役20年位の厳罰を用意しないと社会が腐っていくばかり、と僕は思う。
No25 8月1日(月) 3:30pm 晴れ。日の当たる部屋の温度は30度。ようやく夏らしくなる
昼間は外に出たくないほど太陽がぎらぎらと照りつけている。でも北側の窓からは涼しい風がそよそよと吹いているから、まだしのぎ易い。有難いことです。今日はアフリカ北部、サハラ砂漠南部の共和国で静かに進行している飢餓のニュースを紹介する。まだ世界的にあまり注目されていないので、記者のヒラリーさんが憤慨しながら記事を書いている。記者も辛いなあと同情した。
「ニジェールの静かな飢餓」BBC:ヒラリー・アンダーソン(南ニジェール、マラディより。2005年7月20日)
数千人の子供たちが飢餓に直面している。旱魃(かんばつ)とイナゴの襲来によって農産物をほとんど収獲できなかったからだ。惨状を撮影したカメラは没収された。世界第二位の最貧国であるニジェールの政府は世界からの援助は望んでいるが、社会的混乱を知られたくないのだ。
数マイル離れた所で、病気の子供たちへの食事を求めている集団がいる。少なくともここではフランス人の医者が五歳以下の飢えた子供たちに緊急用食料を与えているのだ。人々は早朝六時から待っている。最も弱った人々は空腹と猛暑で気を失っている。大部分の人々は、ここ数ヶ月間満足な食事がとれず、これが彼等にとっての初めての外国からの援助なのだ。ここにいる子供たちの約三分の一がひどい栄養失調になっている。我々は辛うじて生きている生後五ヶ月の幼児と出遭った。あまりに小さな子なので、援助団体関係者は未熟児で生まれたのだろうと考えていた。飢餓による彼の容態はとても深刻だった。母親は言う。「私達は収獲に失敗して、食べるものが何もないのです。でもこれは神様が選ばれたことなのです」 ある集団の人々は「家に戻れ」と命令されたと言う。(役人によると)飢餓など存在せず、村に帰れば最低限の食べ物はあるという。
この国では約15万人の子供たちが飢えに苦しんでいる。危機の規模はそれほど大きいのだ。「一月から六月までの間に、我々は一万人の深刻な栄養失調の子供たちを診察しました」国境なき医師団のベルノワ・ルデュが告げた。この数字は大手の援助団体であるMSFのような組織が対応しているダルフール(スーダン)やアンゴラに並ぶものなのだ。砂漠では人々は木の葉を食べ、辛うじて飢えをしのいでいる。飢餓がなくとも四人に一人の子供たちが死んでいく。このような惨状ですら、世界の目が向くことはなく、ようやく関心が集まったころには手遅れになっていることだろう・・・」
静かに始まっている地球温暖化の危機の始まりのような恐ろしい話だ。まずアフリカの国々に苦しみが降りかかっている。それでも人類は、温暖化の元凶である車も、エアコンも、快適な暖房も、ガスも、電気も手放すことはないのだろう。弱く貧しい人々の悲鳴を聞き流しながら、のうのうと悪魔の快楽に耽り続ける。そうしていつか終わりが来るのだろう。その時初めて、喜びも苦しみも、全てが平等となる。これは妄想だろうか?
No24 7月28日(木) 8:00pm 晴れ。昼間は暑かったがもう涼しい・・・
しのぎ易い札幌の夏。でも急に冷えすぎて、既に二回も風邪を引く。これが怖いんだよね。とにかく昼と夜の寒暖の差が激しすぎるのだ。気をつけねば。
ところで僕がフアンの、イギリスの国営放送、BBCのアフリカ・サイトでケニヤで八ヶ月連続でヒットチャートの一位を守った或るラッパーの話が載っていた。ざっと目を通してみたが、想像を絶する苦難の末に生まれた彼の音楽を是非ここでも紹介したいと思ってメモをとったので、やってみます。
「彼の名はエマニュエル・ジャル(EMMANUEL JAL)。僅か八歳で兵士にされ12歳まで前線で戦わされた。その間、飢えと乾きで仲間の肉を食う光景を目撃もした。彼の曲の中で歌っている言葉は《もう恐怖もなく、涙もなく、泣き叫ぶこともなく、人々が母国スーダンに帰り、もう部族の争いも人種差別もない日がくるまで、僕は生きてはいないだろう・・・》

現在25才のJALは内戦が始まった時には4歳だった。この内戦は南部地域の先住民でありキリスト教と精霊崇拝の(黒人の)人々がイスラム法を押し付けようとした北部のイスラム政府に対して起こした反乱だった。政府軍に攻め込まれ、JALなどの子供たち数千人はエチオピアの難民キャンプに餓死寸前まで苦しみながら辿り着く。そしてその難民キャンプこそが反乱軍の養成施設でもあったのだ。親を殺され、家畜を奪われ、全てを失った子供たちは我も我もと兵士になっていった。JALが「政府軍の飛行機ほど怖いものはない」と言うように、戦う子供たちは簡単に殺され、飢えと乾きで仲間の肉を食べる地獄に追い込まれていた。彼も戦闘で撃ち殺した人々のことを「彼等はただ眠っているだけだ。すぐに目を覚ますのさ」と思うようにしていたという。
そして奇跡が起きる。彼等叛乱部隊の幹部と結婚した支援活動家の女性、ミス マッキューンが幼い兵士JALと偶然出逢い、どうしても放っておけなくて、トランクの中に入れて、ケニアのナイロビまで連れ出したのだった。彼の保護者となった彼女はJALを学校に行かせる。しかし彼女は交通事故死してしまう。彼女の死の衝撃によって壊れた心を癒すために、彼は音楽を始めたのだった。JALの初めてのアルバム「GWAA」は八ヶ月間、ケニアで一位になった。この歌は英語、スワヒリ語、アラビア語、そしてディンカとヌエルのスーダン語が入り混じっている。DJ MOZは「とても力強い歌で、初めてラジオで流した時の反響は凄かったよ」と語る。「JALは彼に続く多くの若いスーダン・アーティスト達の道を切り開いた。彼のGWAAはそれほどリアルだったんだ」
エマ マッキューンの死後、彼女の母親と彼女の友人達が彼を庇護し、その一人だったジャーナリストのPETER MOSYNSKIがマネージャーとなった。今年は「CEASFIRE」(停戦)というアルバムを出す予定。これはスーダンの首都、カルツームに住むイスラム教徒の音楽家、ABDEL GADIR SALIMと協同で制作されるという。ようやく政府側と反乱軍側が停戦にこぎつけたのだが、彼等の新作は「この(停戦による)平和が続くことを願う歌」だという。
エマニュエル ジャル!彼の歌をいつか聞きたい。彼が世界のスーパースターとなって、アフリカの人々の苦しみを世界に伝えることを切に願っている。
No23 7月27日(水) 6:00pm 雨のち曇り・・・
心配したほど風が強くなかったので、彼女のお母さんが丹精こめて育てているトマトの実が落ちずに済んでよかった。そういえば二ヶ月前まで暮らしていた鹿野山でトマトやキュウリを育てていた頃は、台風が来ると大変だった。ある年には予想以上に大きくなったキュウリの蔓(つる)を、台風が来るごとに竹竿から切り離して、地面に伏せてやり過ごしたなあ。キュウリだって驚いただろうな。最初は元気だったキュウリ君も二度も三度も上げたり下げたりされて、結局やる気を失って枯れてしまったっけ。可哀想なことをした。とにかく山は台風直撃だったから、放っておけば皆千切れ飛んでしまう。そうそう或る一枚の葉に十匹以上の虻(あぶ)が身を寄せ合って風を避けているのを目撃したこともあった。哀れなことに葉っぱごと、どこかに飛んでいってしまった。小さな生き物は死に物狂いで生きていることも、山で学んだ。
ここ札幌では、家も道路も生き物たちも、全てが長い冬に大地を覆う雪によって支配されていることを感じることが多い。僅かな雨しか降らない札幌でも、川に行けば雪解け水が豊かに流れているし、水不足の心配もまず無いらしい。雨が降らないから大地はからからに乾いているのに、緑はいつも瑞々(みずみず)しい。夏でも水道の蛇口を開けると、冷たい水が流れ出す。夏の札幌の緑豊かな山や公園や住宅の光景は、全てが冬季に大量に降り積もる雪の恩恵を受けているのだろう。道路を見れば、除雪車が削った跡が到る所に見られるし、家の前の公園も、冬には雪捨て場として高い雪の壁に囲まれてしまうらしい。二車線の道路は路肩に積まれた雪で一車線になり、スタッドレス・タイヤでつるつるに磨かれた路面で人も車も悪戦苦闘するらしい。この北の大地では主役は雪そのものなんだろう。そして雪から解放された短い季節に春、夏、秋が駆け足で通り過ぎ、人も生き物たちも太陽の恵みを謳歌して、また長い冬が始まる。なんとドラマティックな一年なんだろう。まあ、そんなことをほざいていれるのも今のうちなんだろな。冬には連日の雪かきで悲鳴を上げているのかなあ・・・。
No22 7月25日(月) 1:30pm 曇り時々晴れ。大型台風が近づいている・・・
昨日、朝というより深夜の、二時半に目覚ましで無理矢理起きて、歩いて二十分ほどの地下鉄琴似駅前まで行く。家から出て、すぐ近くの表通りに出たら、一軒の飲み屋がまだ盛大に宴会をしていた。歩道に置いたテーブルでも数人が飲み、賑やかな嬌声が聞こえる。(ほんとにここは街中なんだなあ)と実感した。琴似本通りでは空車のタクシーが一杯だし、我が家の周辺の静寂を思うと、不思議な気がする。さて何故駅に向かっているかといえば、三時半の集合、といってもここでは僕一人だけだが、で念願の富良野のラベンダー畑を観光バスで見に行くのだ。札幌市内のあちこちで都合十五人の客、少なくて可哀想だったが、を拾って、一路富良野に向かった。で、着いたのが六時半。当然店もやっておらず、僕たちが一番乗りだった。でもこの為に早起きして来たんだよね。八時も近くなると、観光客がわさわさ押しかけてきて、見事なお花畑をしんみり楽しむ雰囲気ではなくなってしまうからだ。だから早朝の一時間余りが静かで、濃厚なラベンダーの香りが漂う奇跡の空間を唯一独占できた時間で、なんとも贅沢な一時だった。これだけ広大な土地が一色に染まるほどのラベンダー畑は一見の価値がある。そばでどこかの小母さんが「鳥肌が立った」と溜息をついていたけど、そのくらい凄いお花畑でした。「北海道の真髄」という言葉が自然に頭に浮かんだ。そして大いに感心したのが、これだけの素晴らしいお花畑を維持、管理するのにどれだけ大変だろう、と頭が下がるというのに、入場料も駐車場料金も一切とらないのが、東京周辺のがめつい商売を見慣れた僕には、奇異で不思議な光景でもあった。ただ物品の売り上げだけで良しとする姿は素晴らしい。これだけでも北海道が更に好きになった。そして拓真館という美瑛、富良野の広大で優雅で神々しい光景の写真で、この地を世に広めた前田さんのギャラリーに寄り、ホテルで朝食バイキングを食べ、ゼルブの丘のお花畑をも見て、大地のパッチワークのような丘が連なる不思議な光景を見学して、旭川から高速で帰ってきた。ただ有名な旭山動物園まで6キロという表示がある所まで行ったのに、見れなかったのがちょっと残念。まあ、ツアーだから仕方ないけど。とにかく観光客してきました。でも噂には聞いていたけど、あちこちに中国語、韓国語の案内があって、数台並んだ観光バスが見ると、韓国語の表示がフロントガラスに貼ってあったりして、ずいぶん彼等に人気があるんだなあと感じた。何故か、北海道だけは異常に外国人に人気があるのだ。

No21 7月22日(金) 4:30pm 晴れ。暑い。でも湿度57%だから楽・・・東京は凄いんだろうなあ。
今朝目覚ましをかけ忘れたら猫のみゃー子が、五時過ぎた途端に、背伸びしてベッドの僕の耳元で「(こら早く起きろ)みゃーミャーみゃー」と叫んで起こされた。お前は目覚まし猫か?まったく、たまには寝坊させてくれ!規則正しい生活を続けていると、規則正しくしか生きられなくなるのが怖いよお。
そして今朝はちょっと時間調整してエリーと発寒川まで散歩に行った。いつもは早過ぎて、誰もいないから詰まらないのだ。いたいた小母さん、お姉さん、オジサンたちが老若男女、大中小の犬を連れて、公園を右往左往している。犬にはまった人達はほんとに律儀に決まった時間に散歩するもんだなあと、自分はさておき、感心する。でも平和で心和む光景。しかし時代の変化を感じさせるように、家の前の北風公園でも、発寒川河川公園でも、東屋(あずまや)で寝泊りする人が現われた。これ以上増えていくと、空気が変わっていくんだろうなあ。さてどうなることか・・・
だいぶ前に気になって取っておいた新聞記事を、扱いが難しいのだが、ちょっと紹介します。7月12日付けの読売新聞の朝刊で(1936年2月26日の2・26事件で処刑された)「将校ら17人の遺書発見」という(トップ)ニュース。69年経って、初めて公開されるというのだ。69年!なんと長い時間だろう。処刑前に世話になった看守にあてた遺書で、長い間暗闇に眠っていたらしい。その遺書は、この69年前の、日本が軍隊に支配されていき、満州侵略、対中戦争、アメリカとの太平洋戦争と地獄に転落していった時代の空気そのものだった。「大君(おおきみ)に 御国(みくに)思ひて 斃(たお)れける 若き男乃子(おのこ)の心捧げん」(栗原安秀中尉)「流れ星惜しくも消えしあかつきに 差し出(い)で給え朝の御光(みひかり) 謝御厚情 花淵警視殿」(中島莞爾少尉)という辞世の句を読むと、なんとも複雑な気持ちになってしまう。彼等の神国(しんこく:当時信じられていた)日本への燃えるような熱愛に、とても付いていけないが、それでも同じ日本人として、彼等の心情に感動する気持ちもある。ただ「間違っている」「彼等のような危険思想が日本を破滅に導いたんだ」と糾弾するのは簡単だけど、僕自身は、自分自身をラスタファリアンと思っている癖に、彼等の熱情を理解もし、またサムライとして尊敬もする気持ちが心のどこかに潜んでいる。しかし、このような身も滅ぼすような熱情は、イギリスで自爆テロを起こしたイスラムの若者達にどこか通じるものも感じてしまう。だから戦後日本の常識としては、「彼等は全て間違っている」と断罪することになるのだろうなあ・・・。でもそんな常識の範囲で社会が円滑に運営できる時代はもう過ぎてしまったような気がする。これから世界は波乱万丈の時代になることだろう。いつかこの熱狂的な人々との平和共存が成り立つことを祈るばかりだ・・・。
No20 7月20日(水) 6:00pm 曇り時々晴れ・・・
今日は涼しい一日。朝の散歩で発寒川に行き、夕方の散歩でまた行く。よく飽きないものと思うけど、川はその都度表情を変えるから、何度行っても飽きることはないのだ。特に夕方には、せっかく水辺の鳥達の為に用意しながらいつも忘れてしまうパンの耳を、忘れないようテーブルの上に用意したから、久しぶりに持って行くことが出来た。でもでもなあ、もう先客にたっぷり貰ったのか、ちっとも寄り付いてくれない。「おいで、おいで」と叫んでみても、背伸びして羽の手入れをするばかりで、暫らく経ってから、ようやく「まあ、うるさいから食べてやるか」という風に二、三羽だけがお義理で食べにきてくれた。やれやれ、人気者の、故郷に帰りそびれた鴨達にパンをやるのも大変だとは・・・。仕方ないので、残りはエリーの夕飯に加えられた。毎日のように愛犬を散歩させる人達が往来する発寒川の河川公園。真昼でも涼しい川風が頬を撫でる憩いの場所。本当にいい所です。
それに反して、僕が贔屓にしているBBCニュースで、さっき不気味な記事を読んでしまった。ウエールズかの、イギリスの片田舎で動物虐待の事件が数年来増え続けているのだ。それもグレイハウンドの手足を切断して森の中に放置して殺した男が懲役六ヶ月(僅か)に処せられたり、哀れなボクサーが一本足を斬りおとされ、水も食事も与えられずに瀕死の状態で発見されたりと、残酷極まる虐待事件が頻発しているらしい。僕には、このような人間失格の行為の蔓延は、日本での幼児を性的虐待しようとする人非人達の横行とシンクロしているような気がしてならない。目の前でやられたら、「ぶっ殺してやるのになあ」と怒る僕がいる。ほんと奴等のような非人間は法律で保護する値打ちもない。ダーティ・ハリーのようにさっさと頭をぶち抜いてやるべきだ。
映画「ベロニカ・ゲリン」知ってるかなあ。アイルランドの女性新聞記者の名前で、子供まで犠牲者が出るコカインの氾濫に義憤を感じて、巧妙に姿を隠して実業家として偽装する極悪人を執拗な調査であぶり出し、遂には張本人の屋敷まで押しかけて、ひどい暴行を受け、「告訴するな」と脅迫され、足を撃ち抜かれ、それでも「私は負けない」と、脅迫に怯えながらも、極悪人の告訴に踏み切り、その結果暗殺されてしまった人なのだ。それでも彼女の死をきっかけに「街から密売人を追放しろ」という大衆行動が起こり、抜け穴だらけの法律も国会で厳しいものに代えられ、極悪人も逮捕されて28年の刑となり、15%も犯罪が減ったと言われた。そう実話をドラマ化したものだ。そうボブ・マーリイの如く、死によって偉大な力を発揮する人がいる。悲しいことだけど・・・。人の世の不思議を久しぶりに感じてしまった。
No19 7月19日(火) 9:30am 晴れ。今日も暑そう・・・
我が家は早起き。五時には起きてエリーの散歩に出かける。今朝は雨がぱらぱらと降ったので家の前の公園でオシッコとウンチをさせただけで帰る。食事後に蓉子さんが二回目の散歩に行ったので、僕は公園でジョッギング&ウオーキング。そうなんです。最近の僕は身体を鍛えることに凝っているんです。10キロ減量を目指して始めた食事制限(といってもご飯と揚げ物を控えるだけ)と朝晩一時間程度の散歩で、まず5キロは痩せたが、それからが難しい。運動量を増やすしかないとジョッギングも交えて頑張っている。そして腹筋を鍛えたり、バーベル持って腕の筋肉も鍛えようかしらと、次第にエスカレートしていくのが怖い。最後には三島由紀夫のようになって、ホモで右翼になるんじゃねえだろうな?と思う。まさかね・・・。
さっきBBCニュースのアフリカ篇でケニヤの僻地の村で起こった虐殺事件の記事を読んだ。61人の村人、それも女と子供が殆んどらしい、が近隣の対立部族の襲撃で犠牲になったらしい。逃げ場がないよう村を包囲してから一軒一軒しらみつぶしに殺害したというのだから、平和な札幌に暮らす僕には、想像を絶する憎悪を背景に感じてしまう。ケニヤの首都ナイロビから遠く離れた寒村で、銀行もなく、財産といえば牛だけで、放牧した牛によってどうにか暮らしを立てている村人達。生きる為に水場を求めて、他の部族の土地を通っただけで殺し合いが始まるような野蛮な生活環境を何千年も続けてきたらしい。だから21世紀の文明生活を送る僕たちにはとても理解しがたい事件だが、法の手が及ばない無法の地が無数にあるのがアフリカという土地なんだろう。やめろ、止めろ、殺し合いを止めろ!と言っても、犠牲者側の復讐を止めることは出来ないし、またそれに対する報復も起きていくのを傍観するしかないのだろう。せつなくやるせない無残な現実があまりにも多すぎる・・・。そしてこのアフリカの僻地で起きた残虐な事件も、環境変化で生活が大変になる一方の結果起きたことを想うと、やはり悪化し続ける地球温暖化による大災害の前触れのような気もしてくるのだが・・・。
No18 7月18日(月) 11:00am 曇り時々雨・・・
朝には久しぶりの雨が降る。市街の道端の並木の足元に植えられた花々もさぞ喜んでいるだろう。しばらく晴天続きでからからだったから・・・。少し涼しくなってほっとする。でも長い関東暮らしでの猛暑の体験に比べれば鼻歌まじりの暑さです。
昨日は珍しい映画を見た。ビデオだったが、猛烈な反ブッシュ批判で話題になったジョン・ムーア監督の「華氏911」だ。或る程度の予想はあったけど、アメリカ大統領という存在が莫大な富を築く手段として露骨に暴露されていたのには驚いた。まぎれもなくイラク侵攻は石油利権強奪の為ということがよく分かった。アメリカの強盗行為を美化する為にでっち上げられたイラクの大量破壊兵器の存在やテロリストを退治すると称して無辜(むこ)のイラク市民を無造作に殺害している現状を思うと、アメリカに追従して自衛隊をイラクに派遣した小泉のやり口の汚さが見えてくる。僕はずいぶん前から、2001年9月11日の世界貿易センターへの攻撃以降、世界中のイスラムの人々にアメリカが残酷な報復をするに違いないと確信していた。そして思った通りに現実が進んでいく。それにしてもブッシュ親子がサウジアラビアの支配者達の番頭のように仕えているとは知らなかった。その一族の一人であるオサマ・ビン・ラディンがアメリカの敵ナンバーワンだなんて、悪夢のような展開だよね。これで彼が捕まらない訳が分かるような気もする。もしかするとアメリカ政府が保護しているんじゃなかろうか?とさえ思いたくなる。そして大統領選挙前にこれだけ彼等、大統領親子の犯罪行為が暴露されても、恥知らずな開票操作で当選してしまったブッシュに、そのまま政治を牛耳られているアメリカ。こんな狂った国が世界をリードしていくんだから、地球温暖化に関しても悪い方向にしか行くことはあるまい。じわじわと値上がりを続けるガソリンの値段。僕の予想では、もう下がることはないだろう。そして一リットル200円、300円、400円と非現実的な値段になった時、バビロンは崩壊を始めるのだろう。その後にどういう生き方をするのか、誰もが問われることになろう。それがもしかすると、旧約聖書で予言された、最後の審判というものかもしれない。これから想像を絶する時代が始まる・・・
No17 7月17日(日) 1:30pm 晴れ。今日は夏日・・・or 真夏日?
今日はぐんと暑くなった。もう家の中では裸に近い格好でうろうろしている。ようやくスイカを食べたくなるほどの暑さになって、嬉しいやら悲しいやら・・・。昨夜は久しぶりに8月17日のONSENS LIVEの打ち合わせでトモちゃんとミカちゃんが家にきた。やっとポスターが出来たが、フライヤーがまだなので、何となく中途半端な気分。ポスターだけ配っても、またフライヤーを配らねばならないので、話だけして小一時間でお開きになった。ちょっとのんびりし過ぎないかい?とつっこみを入れたい気分だけど、主催者側のペースに合わせて協力するしかない異邦人の僕。まあ何とかなるんでしょう。怒涛の追い上げに期待するしかないか・・・。
そうそうさっきまで行灯行列をしていた札幌西高の学園祭に彼女と彼女のお母さんと三人で行ってきた。行灯作りに頑張っていた全クラスがイベントも全力投球でやっていて、手品の部屋ありスリラー・ハウスあり喫茶室あり、その他色々ありで、学生や父兄や市民の入場者でごった返していて、またまた学生パワーに圧倒されて帰ってきた。ただし食堂で食べたザルそばが不味くて、「失敗したねえ・・」「もう昼ごはんの楽しみが無くなったわねえ」とぶつぶつ言いながら帰宅する。まあいいんだけどね・・・。
さきほどYAHOO・PHOTOに最近撮った札幌の写真を掲載しました。興味がある人はゆっくり鑑賞してください。スライド・ショーにするといいでっせ。なんとなく札幌の街の良さが伝わってくると思います。
No16 7月16日(土) 10:30am 晴れ。今日もまた暑くなりそう・・・
しかし札幌の暑さは関東の人間には鼻歌混じりで暮らせるような快適な暑さなのだ。日陰は涼しいし、夜はタオルケット一枚では寒いほど冷えるから楽勝なのだ。そんな暑い一日だった昨日は、何故か随分走り回ってしまった。というのは最近の成り行きで、食事制限と本格的運動という本気のダイエットを始めてしまい、彼女の勧めで万歩計まで付けることになったから、今まで以上に歩くことになった。そして昨日は彼女のお母さんの病院への送迎のついでに、病院前の広〜い公園で8000歩以上も歩いてしまう。そして家に戻った僕は、しばらく乗っていなかった250ccバイクで小樽までドライブに出かけ、小樽で美味しいパンをお土産に買い、往復二時間のライディングを楽しみ、帰ってすぐに、また夕方の散歩発寒川まで出かけて、それも遠回りして、結局夜には15000歩以上になっていた。次第に一万歩クリアにこだわるようになったから、何だか万歩計に支配されているような気もするが、まあいいでしょう。
夜になると、また面白い催しがあり、それも見学に出かける。彼女も昔通ったという公立高校、札幌西高の学園祭があり、夜、学校の周囲を行灯(あんどん)行列するのだ。沿道に群がる見物人にどの組の作品が良かったかアンケート用紙を配るもんだから、「二年三組お願いしまーす」と浴衣を着た色っぽい女の子たちが可愛い声をあげながら通っていく。全学年の全組が頑張って作った力作、珍作、傑作が次々に目の前を通り過ぎるのは壮観だった。そして57回目という古い伝統が生きている札幌を(素敵な街だなあ)と感心した。人間関係が希薄な関東で長く暮らしていた自分にとって、まだまだ新鮮な出会いが多いところなのだ。行灯行列の写真を載せておきます。

No15 7月13日(水) 9:30am 晴れ。暑くなりそう・・・
ようやく夏らしい天気が戻ってきて嬉しい。ここ暫らくは秋というより、むしろ冬と言いたくなるような寒さが続いたから、関東の熱帯夜に慣れた我が身には調子が狂う日々だったのだ。やっぱり夏は夏らしく、冬は冬らしくがいいよね。ずーと冬だと困ります。
最近の僕はダイエットに凝っている。千葉で引越しを手伝いにきてくれたお坊さんの遠藤氏や塾の先生の在原氏や昔の病院仲間の川崎氏とお別れの時に撮った記念写真を見て、あまりの太りように愕然としたし、喘息の薬を貰いに医者に行くたびに、「もっと痩せれば薬も要らなくなりますよ」と言われるので、一念発起して10キロ減量に挑戦中なのだ。大好きな揚げ物とご飯を食べないようにして、まず5キロ減る。これからの5キロを落とすのは更に困難だろうが、身体が軽くなった快感を味わった僕は、昨日からジョッギングも始めた。そして今朝は蓉子さんの提案に乗って、遠く北海道神宮まで往復10キロの犬の散歩を敢行して、最近つけている万歩計の数字が一万歩を越えてしまったのだ。札幌移住でなんだか健康的生活を送っております。
今思っているのは、毎日眺めている近くの里山、三角山(正面から見ると三角形)の山登りに近々挑戦したいなあということだ。素晴らしい見晴らしという話なので、登頂に成功したなら、早速この日記上で絶景の写真を紹介しようと思っている。でも身体を動かすことって楽しいよね。家の前の北風公園では小さい子供たちが嬉しそうに走り回っているし、ブランコに乗った少女は水平になるくらいばんばん大揺れさせている。子供ってエネルギーに満ち溢れているんだよねえ。見ているだけで楽しくなる。ここ札幌に来てから、僕はなるべく口を動かす、つまり人と話すことと、身体を動かすことを心がけている。そのうち札幌ハーフマラソンに参加するのかなあ・・・。
No14 7月11日(月) 4:00pm 雨のち曇り・・・
朝、雨が残っていたので、エリーの散歩は北風公園でおしっことうんちして終わりだった。だから午後は早く出て、遠くの発寒川まで足を延ばす。ヨークシャー・テリヤをつれた綺麗な女性と話をした。向こうの犬が雌のエリーを気に入って近づいてくるもんだから、僕もお近づきになる訳だ。ありがとう、エリー!冬の散歩には足の裏に塗るシモヤケ薬のことを聞いたのが収獲だった。とにかく冬の季節の雪の中での散歩を不安に思っているもんだから、人に逢うと、まずそのことを訊く。前に逢った林さんは「全然大丈夫ですよお・・・」と言ってたので安心していたけど、今日の人は「抱いて帰ってくることもありますから、帰りの距離を頭に入れていないと」と言った。抱いて、ねえ・・・、大女のエリーは無理だよなあ、セメント袋位の重さがあるんだから・・・。さてどうなることでしょうねえ?
昨晩は我がホームページのチャットで大盛り上がりだった。前回話したnestaさんが友人のGreen Manさんと現れて、信仰や彼の仕事や懐かしいスーパー・ジェリーの話で盛り上がる。かみさんに「明日早いんだから、もうやめなさい」と文句がきたので、ようやく終わったけど、同時進行のチャットは刺激的で最高ですよ。皆さんも一度は参加してみてね。そして「メールちょうだいね」と頼んだnestaさんから、朝起きると、早速メールがきていた。実は彼は空手の先生なのだ。彼の道場ではボブ・マーリイが流れて空手の稽古が行われているという。いいねえ・・・。目黒に道場はあるから、気になる人は遊びに行ったらどうかなあ。近いうちに、彼の道場のホームページと、彼のブログにこちらもリンクさせるつもりです。ブログがいいんだよねえ。彼のような天下無敵の武道家がこんな純粋で優しい気持ちの持ち主であることに、ちょっと不思議な気持ちにさえなるが、そういえば「ラスタの教え」を残してイギリスに帰っていったラス・ガッドも同じような純粋で優しい精神の男だったなあ。久しぶりにいい男と出逢ったような爽やかな気分の一日だった。でも「ジャー・ヒロって凄い名前ですよねえ」と何度も言われたように、nestaという名も気合が入ってるよね。でも彼は名前負けしていないような気がする。
No13 7月10日(日) 7:30am 曇り。これから雨の予報・・・
昨日は久しぶりの晴天で、気持ち良い夏らしい一日だったのに、もう今日は雨だという。残念。それでも連日の大雨に攻め立てられている九州、四国に比べれば天国のようなものだ。山に暮らしていた頃は、雨が何日も続くと、家の庭がまるでスポンジの上を歩くようにフワフワして不気味だったことを思い出す。山道の崖崩れも珍しくなかったし、特に集中豪雨は山暮らしには脅威だった。その点、ここ札幌はまず大雨もなさそうだし、たとえ降っても平地だから崩れるものもない。そんな安全さが有難い。板垣という昔の札幌市長の文章に、札幌市民の90%が札幌で暮らすことに満足しているという調査結果が紹介されていた。90%とは凄い数字だ。でも日々暮らしていると、その数字が間違っていないような気がする。我が家の前の人気抜群の北風公園を愛する人たちが多くて、ゴミを拾いながら散歩する人たちがよく目に付く。だから多少ゴミが落ちていても、翌朝には綺麗に片づけられてしまうのだ。それを見て思うことがある。要するにゴミを捨てる人より拾う人の方が多ければ、どこでも綺麗になる筈なのだ。だから僕が長年暮らした東京、神奈川、千葉のゴミタメのような駅前広場や公園も、ゴミを捨てる人だらけだから、たとえ拾う人がいても多勢に無勢で負けてしまうのだろう。だから街を綺麗にするなら、捨てる人は精神の病に罹った病人だと思って、心清らかな人たちが文句も言わずに、ひたすらゴミを拾っていれば綺麗になっていくのだろう。それが捨てる人への怒りに代わってしまったり、何とか捨てさせないようにと無駄な努力をしたりという方向にエネルギーを使うもんだから、いつまでも街は綺麗にならないのだろう・・・。
昨日は発寒川で林さんという女性の犬の散歩仲間と長話をしてしまった。こちらの人たちは犬の散歩のついでのお喋りを楽しむ人が多い。北風公園でも十人前後の人たちが集まって、犬は犬同士で、人間は人間同士でお喋りを楽しんでいる。これもなかなか味な風習だなあと感心している。僕自身も孤立無援の札幌に来て以来、なるべく出逢った人とお喋りをするよう心がけているので、そんな犬友達がぽつぽつと生まれている。それも山に囲まれた緑の都市、札幌の嬉しい風習のお蔭なのだ。
ロンドンの同時多発テロが今後何をもたらすのか、世界中が息を呑んで見守っている。イギリスは過去に残忍な植民地運営を続けた国。イスラム教徒への復習をどんな形で起こすのだろう?また戦争が始まる・・・?のだろうか・・・
No12 7月8日(金) 10:30am 晴れ。
しばらく雨が降り続き、寒い寒いと奇怪な夏を怪しんでいたから、ようやく太陽が顔を出してくれて、僕たちも草木も大地も山も川も皆喜んでいる、ような気がする。やはり夏にはスイカを食べたくなる位の暑さが欲しい。昨日までは(もう夏も終わりなのかなあ・・・)と淋しい思いで暮らしていたから、今日の太陽は拝みたくなるほど嬉しいお日様だった。それで嬉しくなって、朝の散歩で離れたJRの琴似駅まで繁華街を通って大遠征した。途中で仔犬を連れたお兄さんとお喋りして、エリーと一緒に記念写真を撮らせてもらう。何だか気持ちが浮き立つような我が家の朝。でもロンドンの同時多発テロを思うと心に棘が刺さったような気持ちでもあり、複雑な気分。破滅に向かって、また一歩歯車が進んだような気もする。
僕が2001年のアメリカでの同時多発テロの直後に書いたエッセイで予言したように、アメリカとイスラム諸国の狂信者同士の戦いが世界に災いをもたらしているのだ。アメリカが泥沼のベトナム戦争から、いさぎよく負けを認めて、退却の決断をしたように、アメリカ軍のすべてをイスラム諸国から撤退しない限りテロの炎は世界を激動し続けることだろう。そんな簡単な現実を世界のどの指導者たちも認めることもなく、ブッシュに鼻面を引かれて、国民をテロリストの生け贄に捧げている。今のままであれば、近い将来我が日本でも大規模なテロ行為が間違いなく起きることだろう。その破滅への歩みを誰も止めることは出来ない・・・。我々に出来ることは、ただ人込みを避けること。家の外にはなるべく出ないこと。できれば田舎に暮らすことしかないのだろう・・・。
No11 7月4日(月) 6:00pm 晴れて寒い?
今朝はセーターを着たくなるほどの、もう涼しさというよりは、寒さだった。昨夜から冷たい風がびゅーびゅー吹きだし、どんどん気温が下がってしまった。もう秋を通り越して冬のような寒さ。札幌の人たちも「こんなことは初めて」と言っていたから、やはり異常気象なんだろう。それでも晴れてきて、午後には結構暑くなってしまった。そして日が翳ると、また冬の寒さに逆戻り。一日で夏と冬が交代するなんて聞いたことがない・・・。不思議な天気。
昨夜は初めて掲示板で大盛り上がりした。毎晩十時に顔を出すことが少しは知れてきて、昨晩は鹿野山にも来たことのあるドレッド・ギャルのさよこさんとナインマイルのボブのお墓参りをしたというnestaさんが顔を出して、ルーツの話で盛り上がった。さえこさんは「すごい」「すごい」チャットはすごい」「私何度すごいって言うんだろう」と興奮していたけど、東京と埼玉と札幌とで同時進行の会話が楽しめるんだから、やっぱ「すごい」です。みんな興奮しながらお喋りを楽しんだよ。皆さんも是非参加してみてください。そのうち何十人も参加して、皆がわいわい言ったら最高だよね。とにかく特に都合が悪くなければ(家にいれば)、必ず十時には掲示板に入室するのでよろしく。トレンチタウン・ボイスの名物になりそうな気配ですよ。そのうちオールナイトでお喋りもいいかもねえ。
No10 7月2日(土) 8:30pm 晴れ。少々暑いかな?
関東に比べたら、空気が乾燥しているから、晴れても日向(ひなた)は暑いけど、日陰に入れば空気はひんやりしていて全然ノープロブレムなのだ。皆さんも夏の北海道に来るべきですね。
ところで今朝、驚くべきメールが飛び込んできた。ネットサーフィンをしている内に「トレンチタウン・ボイス」に辿り着いた若い、まだ十代の、女の子が僕の体験記「諏訪瀬に旅する」に触発されて、今年の夏に遥々諏訪瀬島に行こうと、心に決めたというのだ。僕はしばし追憶に耽ってしまう。そう、僕と蓉子さんが一緒に諏訪瀬に行ってから、既に二十年の月日が流れている。そして今、僕の文章を読んだ若者が島に行こうとしている。文章の力、ホームページの力を尽々感じてしまった。でも現代日本とは正反対の自然そのもののような島の存在に魅せられる人が現われるのも、今の時代を象徴しているような気もする。でも嬉しい話だった。僕の感動を受け継いでくれた人が現われたのだから・・・。そのうち彼女の話が聞けるかなあと楽しみにしている。
さて話は代わって、我が家の犬と猫は、札幌で一緒に暮らすようになって、まったく姉妹(双方とも女だから)のような関係になってしまった。その仕掛け人は猫のみゃー子で、毎日毎日エリーに擦り寄って、スキンシップを繰り返す内に、お互い空気のような存在となって、まったくいがみ合う心配がなくなった。今では大事なパートナーなのだ。猫の愛情表現は身体をすり寄せることと、多少猫を知っていれば、誰でも同意すると思う。そして我がみゃー子は、通り過ぎる時は必ずのように、エリーの身体に擦り寄って、尻尾で鼻を撫ぜていく。始めは困ったような顔をしていたエリーもすっかり慣らされて、今では当然というような顔をしている。もうお互いに犬と猫という人種(?)の差を忘れてしまったようだ。可笑しいよねえ。これはみゃー子の、変な言い方だけど、カリスマ性のような気もするのだが・・・。彼女が人間だったら、もっと面白かっただろうなあ、と馬鹿なことを思った。
No9 7月1日(金) 8:30pm 晴れ時々曇り。 札幌はもう秋めいたように空気が冷たい・・・
札幌の人たちに言わせても「今年は変だねえ」という天気らしい。晴れているのに気温が上がらないのだ。でも何故か関東より紫外線が強い気がする。刺すような光線が降り注いでいるのだ。だから街を歩く人たちも、勿論若い娘はTシャツ姿だけど、若いお母さん位の人たちは長袖シャツに日傘を差したり、また今日見かけた女性は、紫外線よけのサンバイザーを目深にかぶり、長袖長ズボンのまるで宇宙人のような風体で街を歩いていた。これも夏の札幌風俗とも言えるのだろう。
今朝は思い切り早く起きて、発寒川までエリーを連れて散歩に行った。途中出逢った雌の柴犬を連れたおばさんと何となく知り合いになって、一緒に河原まで行くと、その人の犬仲間が次々に来て、僕もそのファミリーに加わってお喋りをした。しかしそれでは運動にならないので、別れを告げて河川公園を散歩すると、また小さいチワワを連れた若い女の人と話してしまう。何と札幌の人たちはオープン・マインドなんだろうと感心した。千葉や東京ではまず有り得ない交流がここにはある。素敵なことだよねえ。それに味をしめた僕は帰り道に、我が家の前の北風公園で同じゴールデンリトリバーを遊ばせている母親と娘とお喋りをして、それからようやく家に戻ったのだった。エリーも他の犬たちと交流が出来て面白かっただろうし、僕も札幌風の人懐っこい人たちとの交流が出来て面白い散歩だった。結構やみつきになりそう。
昨夜は若い娘さん三人と男の子一人が我が家を訪問した。八月十七日のあけぼの開明舎でのAKIRAさんのライブを企画した熱烈なAKIRAさんのフアンの人たちだ。その一人の女性は、あの「アヤワスカ」に衝撃を受けて、アマゾンに二回も行って、しっかりLSDより遥かに幻覚作用が強いというアヤワスカ体験をしてきたと聞いて、僕は思わず尊敬してしまった。それでまだ23歳というのだから、こういう人たちがしっかり未来への道を切り開いて行くのだろう。そんな彼等が企画する「あけぼの開明舎」の夜はきっと素晴らしいことだろう。僕も参加できることを喜んでいる。
No8 6月30日(木) 9:30am 晴れ。でも高原のように空気が冷たい・・・
昨日は冷えすぎて、調子を崩したのか、鼻がむずむずする。一度暑かった頃に、タオルケット一枚になってしまった。そして夜は寒いというのに、普通は着ないパジャマでタオルケットという無精なスタイルで寝るもんだから風邪っぽくなった。札幌の夏初体験の僕には、寝方さえもとまどってしまうのだ。
先週、彼女の一族共々顔見せも兼ねて、「札幌ビール園」に行った。ずいぶん昔に行った時には、まだ工場の一部のような所で生ビール(大)を十杯近く(以上?)呑み、ジンギスカンを山のように食べたのを思い出す。(今はダイエット中なので控えめです)そうそうそこで「探偵物語」の撮影に来ていた(のだろう。あの黒い帽子と真っ赤なシャツと細身の身体が強烈に印象に残っている。)松田優作を見かけたのだから、大昔の話だけど・・・。そして今では、工場はレストラン部門に吸収されたようにして移転したらしく、更に周辺に観光バスがずらりと並ぶ大駐車場やカニ食べ放題の海鮮レストランやソフトクリームのキオスクや案内所など、大発展していたのには驚いた。札幌最高の観光名所なんだよなあ。でも地元の人まで「美味しかったよねえ」と誉めていたほど、ビールもジンギスカンのマトンも最高でした。札幌に来る人は絶対ビール園に行くべきだと思います。そうそう、今年から始めたそうだけど、外のバーベキュー・ガーデンでは懐かしのフォークソングをおじさんが弾き語りをしていましたよ。とにかく千葉の山の上で五年間も暮らしていたこちとらには夢のような場所でした。

今日の夜には、八月十七日に札幌市内の「あけぼの開明舎」(廃校になった曙小学校をそのまま使っているイベント・スペースらしい。素晴らしいよねえ)音楽室(!)で作家のAKIRAさんのライブ・ショーを企画している人たちが、協力を求めて、我が家を訪問する予定になっている。札幌移転以来初めての活動している地元の若い人たちとの出逢いだから、楽しみ〜!どんな話が飛び出すかと期待している。
No7 6月27日(月) 2:00pm 曇り。寒いと言いたいくらい涼しい・・・
「北海道では夏になっても冬は消え去ることなく、どこかの日当たりの悪い小路に隠れている」と時々思う。そう、夏とは思えないほどの冷気が夕方から降りてくることが多いからだ。そして今朝は正(まさ)しく、日陰暮らしの冬将軍が大手を振って、札幌の街を練り歩いたような寒さだった。昨日も多少涼しかったけど、それでも夕方の発寒川までの散歩ではタンクトップ姿だったのになあ・・・。今朝はTシャツ一枚では寒くて外に出れないほど。「えっ!これって夏?}と小首を傾(かし)げたくなる。やっぱり北国だわ。
蓉子さんは現在近くの障害者リハビリセンターで毎日働いている。リハビリセンターといっても、実態は重度の脳性小児麻痺の人たちが暮らす施設なのだ。そこで暮らす人々の話を聞き、いつも驚くのだが、昨夜聞いた話には特に心打たれるものがあった。まだ若い女性、といってもやはり車椅子で言語も不自由で、全身を痙攣させながらでしか話せず、それも慣れた人が注意深く聴かないと理解できないような哀れな話し振りの人なのだが、その女性の一番の愛読書が「聖書」で、また毎晩三十分賛美歌を就寝前に歌うというのだ。僕は感動してしまった。今の神様を信仰する以前に、人間としての最低限の社会ルールや礼儀や慎(つつし)みを全て忘却したような野蛮な若者達を考えると、同じ世代の人とは思えないほどの崇高な魂(たましい)が彼女に宿っているとは・・・。そして一生を同じような障害を持つ人たちと共同生活しながら暮らし、私物といえば僅かなスペースに置かれた身の回りの物。そして聖書。悪徳の限りを尽くして神の怒りに滅ぼされたソドムとゴモラの再来のような現代社会の中で、恐らく神様は片隅にひっそり生きる彼女を見守っていることだろう。もう本当の信仰は、そういう純粋な精神の持ち主しか持ち得ないのかもしれないなあ。
毎週、晴れた日曜日には発寒川(はさむがわ)の河川公園はバーベキューに興ずる家族連れや若者たちで、(禁止されているらしいのだが)いつも賑わっている。そこまでの通りでは、各家々が競い合うように華麗な花々を咲かしている。今は夏野菜の数々が手回しよく立てられた竹の支柱に蔓(つる)を伸ばし始めている。あまりに長い冬に比べて、あまりに短い夏を、皆が駆け足で必死に楽しんでいるような気にさえなってくる。そういえば札幌のカラスも、冬に鍛えられるせいか、千葉のカラスより数倍逞しく、ふてぶてしいような気がする。一昨日の朝には、隣家の小さな排気口にある雀の巣を、それにしがみついて嘴(くちばし)でつついていたから、思わず「こらっ」と追い払ってしまった。月曜日と木曜日の「燃えるゴミ」の日には、生ゴミを失敬しようと、まだゴミが出ない前から首を長くして待っている。そうそう、数週間前には近所のお店で買ったソフトクリームを舐めながら歩いていたら、「ヒュッ」と羽音が聞こえたくらい近くをカラスが飛んだ。「あれ」とか思ったが、後で考えると、どうも僕のソフトを狙ったらしい。いや危なかった。
我が家のみゃー子も夜の外出時間が次第に延びてきた。今まで一時間だったのに、一時間半になってくる。どこをどうしていることやら。街に慣れるのは結構なことだが、「朝帰り」にでも(鹿野山では珍しくなかった)なったら、我々は心配で眠れなくなってしまうだろうなあ。そしてまた猫がいない、というのも不思議な感じだった。野良猫は、誰かに餌を貰っていない限り、長く厳しい冬の季節を生き延びることは出来ないそうなのだ。本当にたまーにしか猫を見かけることがない。それでも不思議なことに、鹿野山で生き別れした野良猫の「黒ちゃん」そっくりの黒い猫が我が家の窓の外にうずくまっているのを、彼女のお母さんが見たらしい。まさか黒ちゃんの生霊(いきりょう)ではあるまいなあ・・・。
No6 6月21(火) 10:00am 晴れ。夏といえども札幌は爽やか・・・
ようやく次の金曜日にインターネットが繋がる予定。「メモリーが消去される事もあるので、バックアップをやっておいてください」と言われたが、半人前のパソコン使いの僕としては、放置するしか手がない。もし完全にパアになれば、また一から始めなくてはなあ。溜息が出そうだけど、「それが人生さ・・・」とやらねばならないだろう。七転び八起きのホームページ奮闘記も書かねばならないのかな。
とにかくインターネットに繋がっていないと、日記も張り合いがないのだ。書くことは色々あるが、読む人もいないと思うと、気力が湧かない。まあ、そんな愚痴はさておいて、最近の札幌生活について報告しよう。一昨日の土曜日には、彼女の古い友人に逢いに、留萌(るもい)まで車を走らせた。今までの体験でいうと、札幌市内でさえ、まず停まってしまうような渋滞はまず稀で、どこでも車は流れているし、道路が広くて、真っ直ぐだから、快適に車を走らせることが出来るので、郊外から田舎方面へのドライブは、誰かが「北海道には高速道路はいらない」と言ってたように、平均80キロ近い速度ですいすい走れて、気持ちがいいのだ。ただし、雪が積もる季節になれば、別なのだが・・・。「冬には車に乗らない」という地元の人が多いらしい。市内の道はスタッドレス・タイヤで磨かれて、鏡のようにツルツルだし、路肩に積み上げた除雪の雪で、片道一車線の道は車のすれ違いに苦労するらしい。聞いただけでゾーとするような状況に一変するらしいから、さて札幌初心者の僕たちの運命は?
留萌で驚いたのは、人口27000人の町が激しく過疎化していることだった。十年前に訪れた時には家族揃って迎えてくれた友人一家も、今回は彼女の友人の奥さん一人で家を守り、旦那さんは出稼ぎで関東に、娘たちは仕事で札幌に暮らしているのだった。家族のぬくもりを失った広い家にたった一人で暮らすのは淋しいことだろう。長引く不況がこういう形で現われるんだなあと胸が痛くなった。それでももう一人の友人も来てくれて、ホタテとツブ貝を殻つきのまま網で焼き、マトンと野菜を鉄板で焼く、それも炭で焼くという、最高のもてなしを受けて、幸せな一日だった。連れていったエリーは、落ち着かずに、所構わず吠えていたけど、それでも初めて海も見れたし満足したことだろう。違うかな?
札幌の一部の企業ではサマータイムを始めたそうだ。テレビのニュースでやっていたのだが、朝一時間早く、すなわち8時に、仕事を始め、夕方は4時に仕事を終えるというもので、省エネルギーと経済活性化という面からも効果があるようで、「どうせなら全国的にやればいいのになあ・・・」とも思った。どうも北海道は精神的に独立精神が強いようで、革新的な試みをどんどん進めているのに感心する。北の大地が人々の心を豊かにするのかなあ・・・。

雪解け水が悠々と流れる発寒川(はっさむがわ)。清らかで美しい街、
札幌を象徴するような光景。ここを毎日エリーと散歩する。
No5 6月13日(月) 6:00pm 晴れ時々曇り・・・
金、土、日と盛大に盛り上がった「よさこい祭り」の幕が閉じ、札幌の街は普段の静けさをようやく取り戻した。金耀と日曜の二回、中央ステージがある大通り公園まで出かけて、その熱気を体験してきた。参加チームが300で、各チーム150人や200人は当たり前というんだから、凄い!各テレビ局は一日中ライブで放映している。行政当局のクレージーなほどの取り組みようは、将来リオのカーニバルのような世界中の人々が集まる世界的イベントにしたいのだろうなあ、と思わせるほどなのだ。でも悲しいことに、彼女から「すごい!すごい!」とは聞いていたけど、関東にいる限り、その熱気が殆んど伝わってこなかったように、どうも盛り上がっているのは北海道だけで、まだまだゴールはず〜と先になるのだろう。それでも上位チームの踊りは本当に見ごたえがあった。その彼等だって、プロではなく一般市民なのだから、ちょっと不思議な気もする。恐らくイベントが終わった途端に、もう来年に向けて毎日休みなしで練習を始めるのだろう。その情熱は、今の日本人に一番欠けているものだから、尽々北海道は不思議な所だなあと思う。
不思議といえば、荷物を運んでトラックで来たときには、千葉では真冬に咲く、コブシの白い花が、四月だというのに、満開だったし、その一週間後に家族で来たときには、チューリップの花が咲き乱れて、とても印象的だった。そして今は、ツツジと藤とあやめが到るところで咲いている。千葉では時間差があるが、ここでは一気に咲いている。それも不思議な気がする。乾ききった砂漠に雨が降ると、一斉に草花が咲くように、長い雪の下での忍従の日々から解放された草花は、同じように一斉に咲くとも言えるだろう。季節がぎゅっと凝縮されている。
No4 6月3日(金) 8:30pm 曇りのち雨・・・
夏のような暑い日が続いていたが、今朝はぐっと寒くなった。このあたりが北海道らしい変わり身の鮮やかさだなあ、と妙に感心する。昨日のような昼間は暑い晴天の一日でも、朝晩には冬の気配さえ感じるほど冷え込む。暑がりの僕には有難い気候だけど、年寄りにはきつそうだ。
我が家の犬や猫は、もうすっかり札幌に順応して、毎日楽しそうに暮らしている。やっぱ人間でも、犬や猫でも、刺激の多い都会生活が好きなんだなあと、妙に納得する。田舎者だった、つい二週間前を忘れたように、町の徘徊を楽しんでいる。同じく僕も、まだ見知らぬ都市の姿を手探りしながら、イメージを浮かべている。今月からは観光都市札幌は「よさこい祭り」を筆頭に、多くのイベントが予定されているらしく、まだ観光気分の抜けない僕たちは住民であると同時に観光客でもあって、まだ生活の苦労を先延ばしにして、とにかく覗いてみたいなあと祭りを期待している。僕にとっても、とにかく色々新規の計画はあるのだが、とにかくインターネットが開通しなくては話しにならないとあって、今月半ばになりそうな接続工事を首を長くして待っている状態なのだ。まあ、あせっても仕方ないけどね・・・。昨日高校時代の友人から携帯に電話をもらい、(ああ、忘れ去られていないんだなあ)と、(嘘)、妙に感動した。
我がホームページも、思い切って、大変更しようと考えている。出来れば、BBSも付けて、全国のブラザー・シスターたちともっと交流を密にしたいなあとも願っている。色々と勝手なことを書き込む「荒し」の侵入を嫌って、以前は腰が引けたのだが、北の住人となった今、方針変更をしてみるつもりだ。そして、恐らく近日中に、以前から準備していたインターネット版「小説教室」もチャレンジしてみようとも考えている。月々月謝を貰って、半年単位で一作の短編小説を完成させるという予定で、社会に衝撃を与える力強い表現者を多数生み出せれば最高なんだけどなあ・・・。とにかくやってみます。第一期生10人を夏頃に募集しようかなあと思っている。よろしく!皆の前から姿を隠した分、刺激的なことをどんどんやってみたいなあと思っているジャー・ヒロでした。
もうぼんやり生きるのは止そうよ。どんどん「ノー!」と言わないと、未来の子供たちの人生を奪ってしまいかねないほど地球が危ないことを、大声で言おうよ。日本に暮らしている限り、あなたの街の清掃事務所に行けば、環境汚染の進行と資源の枯渇がどれだけ深刻か感じることができるよ。もう必死でやらないと間に合わないんだよ。麻の解禁で頑張っている弁護士の丸井先生が主張するように、麻を環境保護の切り札として大々的に利用するという、歴史的な時代転換をする時代が目前にきているのだ。

(初めのトラックでの往復)大洗港を出航。何だかうら寂しい光景だった。

北の大地が見えてくる。(とうとう来てしまった・・・)という、期待と不安が入り
混じった、何とも言えない複雑な気持ちで苫小牧の岸辺を眺める。
No1 5月29日(日) 9:45pm 晴れ。朝から暖かい・・・
20日午前4時に犬、猫共に千葉は鹿野山を出発して走りに走って約900キロ、15時間で青森に着く。最後まで車に慣れずに心配した猫のみゃー子が意外に度胸を決めて車内でも落ち着いてくれて安心したのだが、車は平気と思っていた犬のエリーが結局落ち着くことなく、東北自動車道のパーキングに停まる毎(ごと)に外に出して気分転換をさせるなど気を使ってしまった。そして一時間半ほど待って乗ったフェリーが函館に着いたのが深夜の零時前で、「しばらく仮眠してから走ろうよ」とフェリー港の構内で駐車して寝ようとしたが、気が立ったエリーが、作業の人の気配を感じるたびに吠えて吠えて、とても寝られる雰囲気ではない。フェリーに乗った4時間の間に熟睡出来たので、そう辛くはなかったが、このまま一気に札幌までおよそ270キロの道程(みちのり)を走り抜ける自信はなかった。仕方なく寝床を求める流離(さすらい)の旅を続け、ようやく有名な大沼公園への脇道に入った先の人気のない小さな空き地で休憩した。それでも時折嫌がらせのように吠えるエリー。そのたびに「熊?」とか思ったりもして落ち着かぬ苦行の夜を過ごしたのだった。
白々と東の空が明け染めて、ようやく走り出す。北海道の大地は明らかに本州のいわば箱庭のように何もかもが小さく密集した風景とは対照的に広大で荒々しく路上から眺めただけでも、厳しい冬と戦うために創られた家々の野武士のような風貌が印象的だった。海辺の道を走り、中山峠を上る。そこにはまだ冬が居座っていた。白い雪が溶け残り、里には春が来ていることを一瞬忘れさせるような光景が続いていた。そして深い霧に包まれる。霧に閉ざされた周囲には、いかにも北海道らしい、親子で散策する馬たちのいる牧場がほのかに見え隠れしていた。そして札幌に着く。そこは雪解けの水が清らかに流れる市内の幾つかの河で象徴されるような、不思議な清潔感溢れる町だった。広々した道路や里山が近いこともあるからか、それとも冬の厳しい風雪との戦いで浄化されたからか、何か透明な空気のようなものを感じた。「ああ、いい町だなあ・・・」素直にそう思う。
21日の午後に札幌到着以来八日が過ぎた。まだまだ終わってはいないが、室内に山積みになったダンボールの山がようやく片付き、インターネット開通は来月も半ば以降になりそうだが、とにかく申請書をようやく昨日送り、片付けも一段落した気持ちになる。胸に抱いて外に出るとブルブル震えて怖がっていた猫のみゃー子も、窓や戸口から外を観察を続けて自信が生まれたのか、昨夜ふと外に出たと思ったら、しばらく帰ってこずにやきもきした。そして一週間以上振りの外散歩を堪能してから、今までまるで婆さんのように家に閉じこもり、布団の上で丸くなっていたのが、隙あれば出てやろうと、昔ながらの活発でお転婆な遊び人ギャルに戻ってしまった。これからの展開も心配だが、とにかく元気になってくれて、よかったよかった。
家の前は「北風公園」という市民憩いの場の公園で、金網に囲まれた草野球場と大きな砂場と、冬は子供がソリで滑る人工的な小山と、気分よく配置された草木が絶妙に構成された「優れもの」の公園で、朝から晩まで利用者たちの声が途絶えることがない。最初は魂消(たまげ)たほどの賑わい振りだった。そして早朝には運動する人達と犬の散歩の人達で賑わい、昼は幼児を連れた若い母親が芋の子を、砂で、洗うようにひしめき、夕方は学校帰りの子供達の歓声が響いている。そんな人の気配が一日中聞こえるものだから、すっかりウルサガタになったエリーがぶつぶつ吠えて、始終怒られていたのも、ようやく納まってきた。そして今朝、初めて地元の犬の飼い主と言葉を交わした。車椅子でチビ・ブルドッグを散歩させているオバサンで、例の金網越しに会話した。エリーも直ぐに犬達の社交界に入ることだろう。ようやく定着の兆しが見えたのは嬉しいことです。それにしても、右から左に、すぐにインターネットが使えると思ったけど、意外に時間が掛かりそうで、僕にとっては、全国の仲間とのインターネット上での再会が実現して、初めて気持ちが落ち着くことだろう。メールのやりとりも出来ないのは、淋しいこと。ここしばらくは孤立感を味わいながらの日々が続いてゆく・・・。
No2 5月30日(月) 9:30pm 晴れ。25度もある!そう北の大地も暑いのだ・・・
どうも「北海道も異常気象」のようだ。とにかく昨年は夏が猛暑で冬が数十年振りの大雪という派手な気候で、そのつけが来たように、近くの発寒川(はっさむがわ)では雪解け水がまるで洪水のようにトウトウと流れているのだ。その川で泳ぐ勢いで水に浸かろうとする阿呆エリー。びしゃびしゃになって帰ってきた。氷のように冷たい水だというのになあ・・・。エリーもだいぶ街の空気に慣れてきたので、外の騒音にもまず吠えなくなったし、外で出会う無数の犬達や、彼等の匂いとの遭遇にわくわくしながら散歩している。面白くて仕方ないようだ。今はチューリップが到(いた)る所で咲いており、また札幌の人たちは長い雪の中の生活の疲れを癒(いや)そうとするかのように、僅かな土地さえあれば、少しでも草花を植えて、花を咲かせようとしている。近くのホームセンターは、そんな訳で、土や肥料や道具を求める人達でいつも混雑しているし、今日は電動車椅子に乗った中年男性が土を二袋背中に載せて帰るのを目撃した。何かに飢えているかの如(ごと)くの「ガーデニング熱」とも言えるだろう。どこか不思議な感じさえする。
猫のみゃー子はみゃー子で、外に遊びに出るのが面白くて面白くて仕方がないようで、昼から外に出ようと、我々の隙を狙っている。数日前まで抱いて外に連れ出すと、気味が悪くなるほどぶるぶる震えていたのに、今も足元でミャーミャー鳴くほど「出たがり」になってしまった。それでも慎重に観察しながらの外出で、先ほど、まだ明るい内に一度出した時には、外の道路方面をじーと観察しながら、周囲の匂いを嗅いだり、隣の彼女のお母さんの部屋の扉の匂いを嗅いだりして、結局道路までは辿り着かなかった。今みゃー子が物にしたのは、隣家の小さな畑で、その周囲だけは安心して散策しているらしい。だから道の向こうの「北風公園」などを物にするには、まだまだ長い時間が掛かることだろう。以前の住まい、鹿野山で自由きままに過ごしたように、北の地、札幌で暮らせるかどうかは判らないが、それでも精一杯自分の縄張りを確保しようと模索するみゃー子がいじらしい。生き方という意味でも見習うべきだなあ。
何故かは知らないが、ここ西区には美味しいラーメン屋とパン屋が多く、それだけは美味しいものに恵まれなかった山暮らしに比べると嬉しいことなのだ。すぐ近くまで山が迫り、また市内には緑豊かな公園の多い、この町は住環境に恵まれている。でも、それはまだ冬の経験のない余所者(よそもの)の戯言(たわごと)かも知れないが・・・。道路には除雪のブルが引っ掻いた跡が残っているし、片道一車線のゆったりした道も、彼女のお母さんの「雪が積もると、すれ違いに苦労するんだよねえ」という言葉を思うと、生活の全てを支配する雪の猛威をとことん味わってからこそ言えることが多そうだなあ。
インターネットに繋げられるのはいつのことか、まだ見通しがつかない。まず申請書をOCNには送ったが、結構時間が掛かりそうだ。そんな状況で書き続ける「札幌日記2005」も、いつか皆に読まれるとは信じているが、何となく手ごたえがないことも確かだ。パソコンもくたびれてきてるしなあ・・・。色々問題が続出しそうな年ですね。でも、よろしく!
No3 5月31日(火) 8:30pm 晴れ時々曇り。結構暑かった・・・
暑い中にも底冷えのする冷気が肌を刺して、車で走っていると窓を半分閉めないと寒いし、停まると開けないと暑くなる。千葉では味わったことのない北の気象。でも過ごしやすいのは確かだ。そして今日は、後片付けも一段落したので、冬は市内のスキー場として有名な藻岩山(もいわやま)の頂上まで彼女と母親と僕の三人で観光ドライブをした。そして、今は「ボーイズ・ビイ・アンビシャス」(青年よ大志を抱け)の言葉で有名なクラーク博士の銅像がある(北大から移転した)羊が丘展望台まで行って、ジンギスカン食べ放題で満腹したのだった。それにしても札幌はまぎれもない観光地だよなあ・・・、どこでも観光客が群がっているし、羊が丘では一族揃って和歌山から来た人達が教会風の建物で結婚式を挙げていた。そう、恥ずかしげもなく、がらがら空き缶の群れを引いて、国産車(なのが哀しいが・・・)のオープンカーに乗っていたっけ。ほんと、何が良くてこんなとこまで来るんだろうなあ・・・、と思う。
みゃー子は朝から出たくてむずむずしていたが、ようやく先ほど外出許可が下りて、現在外で散策中。まあ、もう心配しなくなったけど、でもいつかは、たまに見かける野良猫とも遭遇するだろうし、苛められるかもしれないし、油断が出来ないのだが、それもこれも全てがジャー・ガイダンスと受け入れるしかないのだろう。生活の全てを管理されている犬のエリーと比べて、猫のみゃー子の運命は我々にも分からないとも言えるだろう。安全第一に考えるなら、外に出さないのが一番だけど、それでは鹿野山で満喫していた自由気ままな生活の楽しみの全てを奪うことになる。欲求不満でいらいらしながら暮らすことになれば、きっと僕たちとの関係も不愉快なものになっていくだろう。生きている限り、最低限の自由は絶対必要だと思う。そして、その代償として、危険との遭遇の可能性を我慢しなければならないのだろう。そう、この現実は、ただ猫だけの問題ではなく、親と子供の関係にも当てはまることだと思う。管理されすぎた状態からは、不毛な結果しか生まれないだろう。自由の代償は時には残酷なものだが、それでも自由、魂と肉体の自由こそが生命体としての人間に活力と可能性をもたらす、と僕は信じている。だから、猫のみゃー子は今夜も自由を楽しんでいる・・・。