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「歌い語り・ベロ出しチョンマ」にすっかりハマッてしまい、「全国津々浦々・出前語り」を始めました。ピアノと小さな
スペースさえあれば立派な舞台になります。お客さまのご紹介でステージが決まっております。原作のすばらしさ を、本物の身近な文化として、私の力で伝えていくつもりです。大人から子供まで絶対に満足できる舞台です。ご紹 介など戴ければ幸です。 ![]() ![]()
泉鏡花、芥川龍之介、浜田広介、伊藤左千夫、宮沢賢治、上田秋成の名作を日替わりで連続上演しました。私は
「奉教人の死」でバテレン役、「セロ弾きのゴーシュ」の楽長役と「グスコーブドリの伝記」のクーボー大博士役でし た。 ![]()
この爺さま役に取り組むのは9年振りのことでした。 この役は、作曲家の三木稔氏が、友人の故友竹正則さんのた
めに書いたもので(いわゆるあて書き)、私は、当時、音楽監督であった友竹さんに怒られながら、彼の芸を盗み稽古 したものです。友竹さんとは不思議なご縁で、それは、「ラ・マンチャの男」の神父、「屋根の上のヴァイオリン弾き」の 居酒屋亭主モールチャ、「人生はこれからだ」の詩人、「ファンタスティックス」のハックルビーと、すべて友竹さんの持 ち役であったものを、友竹さんの死後、私も演じたと云う不思議さです。今も、友竹さんの芸術性には遠く及びません が、私なりの爺さまを作りたいと思っております。
《 1993年シアターコクーンでの上演プログラムから − 演出家;ふじたあさや − 》
「うたよみざる」は、昔話の「さるむこ」を鮮烈な現代のドラマにした川村光夫の同名の戯曲から”音楽劇化”した作
品である。初演1983年、1992年度には文化庁芸術祭賞を受賞した。
三木稔の作曲は、抑揚ある東北弁の台詞を生かした、親しみ深い歌に加え、二十弦筝、笛の他に、ガムランの打
楽器を用いるなど、アジア的広がりを持ったもので、作品のテーマを世界的視野の中に位置付けることに成功してい る。
世界と日本、伝統と現代、地方と中央、演劇と音楽、芸術性と大衆性、対立するさまざまな要素がクロスするところ
に、この「うたよみざる」がある。 ![]()
「ナベとポプラ 第1章」に引き続き、自主コンサート。お客さまにワインを楽しんでもらい乍ら、私の”歌い語りの世
界”を味わっていただきました。演出は、友人のデザイナー・寺田きよみさんです。 ![]()
いたる所から聞こえてくるクリスマスソングを後にし、2度目のチャリティーコンサートのため、バンコク空港に降りた
ったのは12月19日のことであった。三年振のタイは、高層ビルが増え、町中は、トヨタ、ニッサンなど日本の高級車 ばかりが目につき、以前よりはるかに近代都市の様子を呈していた。変わらないのは、車の大渋滞と屋台そして野 良犬の多さであった。気温33度、ピンクと白ブーゲンビリアが雑草のように咲き誇っていた。
バンコク市内で行った2度のコンサートは、タイの日本人会、ロータリークラブの方々のご尽力のお陰で大成功であ
った。満席のお客様は、もちろん日本語のわからぬ方も多かったが、通訳の方が、一曲、一曲タイ語で歌の内容を説 明して下さり、「あわて床屋」「花咲爺」などわたしの得意とする物語歌も、とても興味深く聴いていただけたのが、あ りがたかった。
恐らく上流階層であろうタイシルクを身にまとった老若男女に囲まれ、高級レストランで御馳走になったりして最初
の5日間を過ごし、6日目の朝、バンコクから飛行機で1時間のウドンターニに向かった。ここは、タイの東北部に位置 するラオス寄りの町で、ベトナム戦争当時は米軍基地の町とし賑わったそうであるが、今は静かな高原の町という風 情である。さらにそこから車で1時間半。レンガを砕いたような赤土、背の高さの砂糖きび畑、土ぼこりまみれのひょ ろひょろした名も知らぬ木、草もない所に佇む馬かと見まごうほどに痩せた牛。こんな奥地にと思う所に、今日のコン サート会場バーンスィン村小中学校はあった。
私達が車から降りると、質素な白いブラウスの少女たちが、はにかみながら、真っ赤なバラの花を一輪づつ手渡し
てくれた。運動場の片隅の木陰い作られたステージには、タイと日本の国旗が飾られ、「ようこそ」の日本語の垂れ 幕まで用意されてあり、私達は、子供たちと先生の暖かい気持ちを一身に感じていたのである。
しかし、ここでちょっとした事件が起こった。教室に置き忘れたカバンから財布を盗まれてしまったのである。コンサ
ートが無事終了し、帰る時になってその事に気がついた。校長先生は子供たちを集め、「捜してあげて下さい」と呼び かけて下さった。子供たちは、真剣に学校内のあちこちを捜しまわってくれている。時々、心配そうに私の顔を見つめ る子供もいる。しかし、すっかり気が滅入ってしまった私は、さっきまで心からの笑顔をかわしていた子供たちとも、も う笑い合えなくなってしまっていた。結局、財布は出て来ず、私達は何か気まずい思いのまま、子供たちとさよならし たのであった。
そして次の日、校長先生が1時間半の山道をホテルまで訪ねて来て下さった。財布が見つかったというのである。
昨日あれほど捜して見つからなかった教室に、早朝、置いてあったという事であった。財布の中身は、日本円、カー ド、パスポート類は全くそのまま、はじめ8000バーツは入っていたタイのお金は、何故か1000バーツだけが残され ていた。タイでは、7000バーツあればオートバイが買える。自給自足の貧しい村では、7000バーツは、さぞ大金で あったろう。はるばる日本からやってきた無名の音楽家から、7000バーツ盗んだ君、君は大悪人かも知れない。し かし君は、財布の中身を抜き取った後、その辺に捨てたりせず教室にもどしたのだ。タイバーツをすべて取らず、10 00バーツ残したのだ。今、君は思わぬ大金にほくそ笑んでいるかも知れない。でも、これから先いつか、自分の過ち に苦しんだり、逆に、やけっぱちになる時がくるかも知れない。その時に思い出して欲しい。自分には良心があったの だという事を。決して会う事のないであろう君へ、私は将来の幸運を祈りたい。
2泊したウドンターニから戻ると、バンコクは相変わらずの喧騒。そして更に24時間後、真冬の成田に帰ってきた。
冬休みを海外でという家族連れで、成田は大混雑。わずか9日間のタイであったが、30年分生きたような、少々、浦 島太郎の気分であった。
2003.1.6
・メモ
コンサートの数 : 5回 ( ホール2、野外2、体育館1 )
集まった寄付金 : 156,849バーツ ( 日本からの寄付金はバーツに換算 )
寄付先 : タイ盲人協会へ69,000バーツ
F.T.Fへ87,849バーツ ( 浄水設備を複数設置予定 )
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