*切迫早産*

流産・早産について
23週までに妊娠が中断することを流産といいます。多くの場合胎盤が完成する16週以内に起こり、染色体異常が原因のことがおおいです。それ以降は子宮頚管無力症等、母親側の原因が多くなります。
切迫流産とは流産しかかった状態をいいます。
24週が母体外で生きていける境界で、37週以降は正常出産なので、24週から36週での出産を早産といいます。原因は前期破水、子宮頚管無力症、妊娠中毒症、前置胎盤、常位胎盤早期剥離、羊水過多症、多胎妊娠が原因で、過労、転倒からくることもあります。そして、切迫早産は早産しかかった状態をさします。

入院前
張るっという状態がわからなかったので、おなかが夜に1時間程度痛くなる程度が1週間前くらいあって、我慢してたんです。それがいけなかったらしい。
そのときに、通院してウテメリン(陣痛抑制剤)を内服すれば、おそらく入院騒ぎになることはなかったんだとおもいます。くわばら・・・。

入院直前に何をしていたかというと・・・。
今は、全くしていません・・・。というか、できないのですが、昔はゲームが好きで、産後はできないからって、クリアーしようとしていたのです。痛みに耐えながら・・・。ばかでしょ?
わたしの場合時間が決まっていていつもどおり21時すぎに張り出して、それでもつづけてたんです。ゲームを・・・。。
いつもならそのうち治まるのですが、その日に限って治まらなく過度に・・・。主人をたたき起こして、実家に電話してもらって母にとんできてもらいました(近いので)で、病院に電話。やはり、様子がおかしいのと、病院まで1時間へたしたらかかる距離なので、こいとのこと。入院準備を確認して、出発。でも、そのころには痛みもなれたし収まり気味に・・・。帰る気まんまんで病院へ。

救急外来の入り口で・・・
看護婦さんが車椅子持参で待機。そのまま、2−7号棟(産婦人科、特に産科の病棟)に運ばれ、NST。
3分おきの痛みはそんなにともわないが、きれいななみなみが・・・。
内診の結果、子宮口が3cm。
即入院決定。ウテメリンという陣痛抑制剤を静注(静脈に点滴の針を入れ、薬をおとすこと)し、出産をとめることに。このとき、32週。
止まらない可能性が高いがやるだけやってみようといわれ、一人で入院。
ナースステーションのとなりの、重病患者室にいれられます。まだ、本人ことの重大さわかってません。3日くらい入院すれば帰れると思っています。痛くないから。

一般部屋にうつるまで
翌日、陣痛がおとなしく治まるわけもなく、でも、3日で帰れると思っていたわたしは、かばんの中身をだしませんでした。
でも、決まった時間21時にはかならず、張りが出て、どんどん薬の量が増えるばかり・・・。
でも、切迫早産を詳しく知るはずもないわたしは、その時以外はあっけらかんとしていました。
薬の量が最初の4倍になるまでは。子宮口がまた、1cm拡大したころ、いつ帰れるのだろうと、疑問に持ちはじめ、薬の量が安定したころ、大部屋に移されました。っていうか、トイレから帰ってきたらベットがなくなってました。わたしに無断で散歩に出た様子。

大部屋は切迫早産だけの部屋
みんな妊婦!普段大学に通っていたわたしにとって自分以外の妊婦は珍しい・・・。しかも、みんな切迫(今後は切迫早産のことを切迫って言います)。話を聞いて悟りました。皆さん3週間以上ここにいるんです。しかも、予定日わたしより遅い人ばかり。ここで、悟りました。産むまで帰れないと・・・。

帰るには・・・。
ウテメリンが抜ける、36週になって、その後管理入院して、前兆がなければ帰れる。産んでしまう。この3つにあてはまるしかないらしい。
しかし、33週で産んでしまうとベビーはNICU行き。36週までは体重があっても肺機能が未熟なためNICUに一度はいるらしい。36週になるまで、いつでも受け入れができるように、うちのベビーのベッドが確保されていたらしい。
わたしは、36週まで、点滴に1ヵ月以上つながれ、シャワーも浴びることができず、絶対安静、ベッドにおとなしくいなさい状態が続きました。36週に入ったとたんに点滴抜け、シャワーオッケーに。
1週間退院させろコールをし、翌日、診察を担当医にしてもらうことを条件に退院。

通院結果
一週間以内に産まれるだろうとのこと。予約をいれるのも無駄だろうけど一応いれておくとのこと。しっかり産まれなく、受診決定。
東海豪雨の日、そんなにまだ、雨は降っているかないかのときに受診。上に戻ったらしく、まだまかかるとのこと。赤ちゃんとわたしの体格(小さくてきゃしゃなため)翌日から入院して誘発分娩に。このツヅキは誘発分娩で。

切迫早産の原因
不明。母体の原因ではないらしい。どおやら、6ヵ月のときにオペ、7ヵ月で引っ越し。そのあと、荷物の整理、掃除、大学、母親学級、出産準備と、動きつづけたのでおそらく過労かと・・・。








*誘発分娩*


誘発分娩とは
あらかじめ、分娩日を決める場合と、母体と赤ちゃんの状態から出産を 早めた方がいいと判断された場合があり、陣痛促進剤を内服または、静脈に点滴することで、陣痛を誘発します。また、器具(バルーン後で説明)を用い子宮頚管を開き陣痛を起こす方法があります。
このとき、NSTをあかちゃんのためにもママのためにもつけっぱなしにしないといけないのですが、しない病院の報告をうけています。
名東区の病院で聞いてくだされば、メールでどこの病院かお応えします。

決定の日
東海豪雨の朝、まだ、雨が降りはじめていないころ、健診にはいり、なんだか、一週間前より産まれそうにないとのこと、ウテ中?っとふざけて切迫早産中に、みんな、同じ薬だったためにふざけていっていたのですが、その通りになったらしい。
ウテ中とは、ウテメリン中毒のことを言っていて、勝手に私たちがいっていたことです。
ウテメリンは陣痛抑制剤。打ち続けて、外れたとたんに産まれるか、効きすぎて陣痛がこなくなるか・・・。
わたしはウテ中派だったらしい。
赤ちゃんがおおきくなっているらしい。小柄なわたしにあと、2週間はつらいので、明日から点滴を打って誘発分娩とのこと。
退院して1週間。1週間以内に産まれると主人ともども聞かされていたので、実家の母がきたりして、わたし、マンションから暑いし出ようとしなかったのが響いたらしい。久々の外界、宅配ピザが食べたい、あれが食べたいこれが食べたいどこかにつれていけ・・・。運動不足が行けなかったのか、中身が太ってしまった。
その日は、病棟に顔を出さず、そのまま天気が悪いのでかえりました。
昼食を途中でとり、(っていうか、診察中に主人に勝手に学食をくわれ、わたしだけくいはぶれた。)実家に。そのころにふりだしてたかな。
帰宅して、最後の手作り夕食を作っている間にはどしゃ降りになり、うちは高台にあるのですが、坂の下の方は浸かっていたらしい。
明日にはうまれるんかなーっと、腹の中でパラパラを踊る息子に聞いてました。

当日
不謹慎にも東海豪雨にはしゃいでしまったばか夫婦は寝坊。急いで病院に向かうけど、途中で、病院に「渋滞しているので遅れます」と、連絡。実際は、渋滞だけではなく、寝坊もありましたが・・・。
最初、入院は自前パジャマ派だったのですが、破水等のこともあるから、っと、病院のパジャマを使用。浣腸してもらって、トイレに行くと、おしるし・・・・。黙っていても、数日でうまれていたのかもしれません。
最初の内診で4cmとのこと。この状態でだと、本によれば陣痛があるはずなのに・・・。ないんですね。
オキシトシンという、ホルモン剤を入れながら、バルーンという器具で子宮口を広げることに。
血管確保も兼ねて針をいれるので、輸血用の針。
ただ、ウテメリンで血管がつぶれているので、なかなかはいらない。最初に失敗。主任さんがきて失敗。最後には婦長がきて、2回目ではいりました。
実習で採血の練習でなれてるから平気だよー・・・。とはいってはいたのですが、針がちがう。内心はいいかげんにしいやーでした。

誘発
バルーンとは、そのまま風船。子宮の中に入れ、その後、外から生理食塩水をいれ、6cmくらいのボールを中につくり、おそらく無理矢理に近い形で子宮口をあけているんでは?という状態。
薬も量を徐々に増やしながら陣痛を誘発10時に始めて12時にはバルーンが抜けたので、6cm子宮口が2時間であいたことになりました。
バルーンが入っている間は最後の陣痛に比べれば平気ですが、会話が成り立たないくらいになりましたが、抜けたら楽になり、陣痛との間にばかな話が遊びに来てくれる助産婦さんとできるくらいになってました。
そう、そんな状態で産まれるわけがない。6時まで投与していたのですが、6cmから開く様子がなく、人工破水しても、産まれるのは夜中とのこと。
それくらいなら、薬を一端止め、朝から続きをするとのこと。
薬を止める=針を抜くっということなのですが、苦労して朝入れたし明日新たに穴を増やすのは嫌だったので、生理食塩水だったか、ショトウ液だったかそのままいれてもらうことに。
でも、薬が抜けると、一気に陣痛が消えました。
その日、主人も止まってもいいってお許しが出たにも関わらず、おいてきぼりをくらい、隠し持っていた携帯で実家にメールし、最終回だったかその前だったかナースのお仕事がやっていたので、ビデオにとってもらい、友達が大学病院の入社試験だったので、その話や、助教授の車が水没した話を聞いてよろこんで?ました。

出産
翌日、朝すぐくるという主人の言葉は嘘で、来たのは破水直前でした。朝からまた、点滴しはじめたら陣痛復活。夕方までに産まれる・・・。という助産婦の話を信じて、一人で耐えてたんですけど、まだ、耐えれたんですよ。
切迫早産で入院しているとき点滴が外れた日に母親指導があったんです。そのといに、陣痛室にはいったのですが、その時に入っていた人がすでにいて、痛みに弱い人だったっと、看護婦さんが後で言っていましたが、3cmで「くる、くる、くる、いやーきたー"!」っと、大騒ぎで、その日一日病棟中にその人の悲鳴が響き渡ってたんですよ(彼女のことはこの後絶叫マシーンといいます。だって、みんながそう言っていて、ジェットコースターにでも乗っているような感じだって)。そのことを思い出すと、まだ、まだなのか・・・?という、疑問が・・・。
実習生を拒否していたので、食事のときだけ運んできてくれたんです。で、少しだけでも食べてっていうし、看護婦さんもお昼だけ主食をうどんにしていたことを覚えていてくれて、何も言わなくても変更してくれていて、わるいなっていうこともあるし、きっと、まだまだ余裕だったんです。
うどんだけぺろっと食ってしまったのです。やめときゃよかった。
最後の方で吐き気があるひともあるってなぜ、本で書いてあるのに、読まなかったのでしょう。
昼食後にすぐ回診。内診中に主人到着。内診で人工破水をして、体内から温泉が噴き出すような感覚を体感。
そのあとにきた陣痛がすごかった。
やはり、 耐えれるものではなかったらしい。絶叫マシーンが理解できた。でも、叫ぶに叫べないっていう状態でやっぱり耐えていたかも。
1:30に破水して、耐えること2時間。3時ごろ、呼吸が乱れはじめ、腰が割れるようにいたく(結局ひび)酸素が供給されていなくて、心音がさがったとのことで、酸素吸入開始。その後、腰が主人の押えかたでは満足いかず、助産婦お抱え状態で、押さえてもらって、主人には呼吸を誘導してもらいました。しゃべることができないので、説明もできないので、 ここおしてっていえなかったんです。だんな様につきそってもらうひとは、腰を押さえる位置をだんだん下にずらしていってねって、いまのうちから頼んでおくといいかも。
陣痛のがしのいすに移るっときかれても、動く気がしなく、あと、どれくらい?っときくだけ。
その後、4時にはいきみたいということを理解。(それまでわからなかった馬鹿なわたし。)陣痛室で30分いきむ練習して、分娩台に。
わたしは 陣痛の間が1分だったのをしっていたので、(データの解析の余裕があった痛みらしい。)歩いていけとのことだったので、ダッシュで行ったらおどろかれた。
分娩台にのってからは1時間半かかって18:11だったのですが、感じるのは早かったです。
出産前30分くらいでDrが来て、9cmで全開大じゃないのに、産まれるの?と助産婦が聞いている中、出産。
やっぱり、佐野さんわたしがはじめて・・・・?
やはり、健康なお産はそういうこと?
と、おもいながら、出産。
産後も先生、わたしがここの学生だからって胎盤広げて講義開始。
たまんないよ。全く。
いいけどね。こんな経験できないから。

自然分娩
自然分娩は、徐々に痛みがついてくるので、わたしが経験した痛みも、急にこないので、楽だそうです。こんどこそ、切迫にならず、普通にうむぞ!






二人目不妊

ひとり目に運良くスムーズに妊娠したために不妊症と気づかず、2人目がなかなかできないことをさすらしい。

私はたまたま出産後1ヵ月から母乳だったにも関わらず生理が開始。
その後6ヵ月で断乳し、7ヶ月目のときに、不正出血の上、出血が動脈血色だったこと。量が中途半端な量じゃなかったことから、産婦人科に受診。
その時に、多嚢胞性卵巣と診断されました。
どうやら不妊の原因になるらしい・・・・。

1年後、再診にいったらたまたま排卵があと24時間〜36時間でおきるといわれたので、タイミングをあわせて(詳しくは受胎調節の中の妊娠を望む人へのなかにかいてあります)パパと・・・(*^_^*)。
さて、どうなることか・・・。
只今結果待ちです。
想像妊娠かもしれないけど、生理予定日前だけど、体はだるい?(いつもという説も)体温あがりっぱなし、口の中が常にすっぱくなにかを食べてないと気が済まない状態です。
このまま妊娠できたら2人目妊娠日記かきます。


その後、科学流産とわかり、下記に説明してあります。
二人目はその後約1年後にタイミング法をつづけたことで授かりました。




*化学(的)流産*

要は着床失敗?らしい。
症状としては7日ほど遅れて生理が来たというかんじ。
わたしの場合、初期症状がひとより早くくるために、妊娠に気づき、わかったらしい。
特に普通の生理と違うところはありませんでした。

二人目を妊娠するまでに2回ほど繰り返しました。
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