PC覚え書 N0.44                

    平成 21年9月〜12月



12月27日(日)

鳩山首相、結局首相職を辞めないみたいね。日本って法治国家だと思っていたんだが、どうもそうでもないみたい。
これじゃ、中国、韓国と同じだね。彼の場合、政治資金規正法に違反しているのみならず、脱税をやっていたことも
確定されたわけだからね。検察は当人の関与の証拠はないととして不起訴としてしまった。前者は法を厳格に適用
すると、たとえ当人が不正記載に直接関与していなくとも、規正法違反で議員の資格を失い、自動的に首相職から
外れることになるという。

また一国の総理大臣が脱税やっていて、それを知らなかったからで済まされるなら、今後誰もまともに税金を払う気
にならないだろう。税務署から何億という巨額の脱税の指摘を受けても、それを後払いさえすれば許されるというん
だから。贈与税(これ確か150万以上で対象となるハズ)の申告など誰もしなくなる。

彼の本来の主義から言えば、秘書の誤りは責任者である議員がそのバッジを外すいうということになるんだろうが、
バッジ云々どころか首相の職務さえ下りないっていうのはとんでもないハナシ也。擁護者にはそれぞれ彼を庇う理
由があるんだろうが、「鼻くそと屁理屈は何処にでもくっつく」と言うからね。サムライの家系を言うなら筋を通すべし。
武士に二言なし。

だいたい自分個人の金銭の出入りを自分で始末できない男に、一国の政治を預かる宰相が務まると思うのがおか
しい。・・・などとどうしても人を金銭感覚から評価してしまうのは、こちらが関西人だからなのかな。しかしどう見ても
前政権の国債の大量発行を糾弾していた人物が、それ以上の赤字国債に頼ってどうなる。個人の経済的な自立な
んて一度も考えたことがない(Or必要が無かった)人物が、国の財政の最終責任者であるというのもな。

彼は政治家になる前には専修大学の助教授をやっていたのじゃなかったか。人にはそれぞれ身を立てる処がある
わけで、彼の場合は実務そのものに身を置く政治家よりも、自分の打ち立てた理論をあれこれもてあそべる学者の
方が性に合っていたのじゃないのかな。

・・・なんて書いてみたが、中国じゃ共産党やトップ幹部の批判はご法度なんだよね。まことに日本っていい国だと思
う。今の民主党、この国を何処にもって行こうとするのかが見えてこないのが不安の種。この日本を駄目にするのじ
ゃないかと思うと、ついそのリーダー(NO。2?)に対する見方も厳しくなる。


政治資金規制法
共産党非難許さず(yomiuri 091226)





12月20日(日)

韓国では鳩山首相は対米関係をぎくしゃくさせたことで、日本の盧武鉉じゃないかと見られているみたい。もっとも
盧が出てきた当時の韓国は、二人の女子中学生が米軍車両に轢かれて亡くなるという事故があったりで、メディア
は反米一色という雰囲気だったからね。国民もかなり親北反米に傾いていたことも事実。こうしたセンチメントがあ
ったことが混迷の度を更に深めることになった。

一方、今の日本は「反基地」はあっても「反米」は殆どないからね。民主党政府も宜野湾で揉めても、そのまま反米
路線を歩むなんてことは先ず考えていないだろう。次の参議院選挙がこの夏にあることだし。先の選挙に勝ったこ
とで天下を取ったという現実を一番良く知ってるのは当人たちだから無茶はやるまい。来年度の予算もそうだが、
選挙に勝つ為なら何でもやるというのが今の民主党だろう。政権政党にはそれが出来るし、また許されている。

ところで、宜野湾問題には朝鮮半島の北と南がそれぞれの思惑で各自各様の評価をしているようす。確かに朝鮮
有事の際に沖縄の米軍基地は南北どちらにとっても重要な意味をもっているわけだ。米軍は日本本土のみならず
朝鮮半島や台湾有事に対応する為にもそこに存在しているわけで、海兵隊を丸ごと県外、ましてやグアムに持って
いくなんて不可能だろう。

もっとも鳩山首相は日本から米軍基地を撤廃して、必要な時にだけ駆けつけてもらうという考えみたいね。首相と
いう職務にある今はそうした考えを「封印」すると言っているのだが、そういう思考をする人物であることは確認され
たわけだ。言えることは、いざという時、助けてコールをしても米軍はやって来るわけ無い。自国民を核の脅威に
曝してまで、追い出した日本を助けに来ると考えるのがおかしい。それでなくとも今の片務条約の下、どこまで米軍
が介入してくれるのか問題視されている。


asahi.com :(2009.12.20)




12月13日(日)

内閣府は毎年外交に関しての世論調査をやっていて、今年の結果速報がニュース報道になって幾つかのメディアの
サイトにでている。対米感情が良いのは当然だろうが、韓国に親しみを感じると答えた回答者の数が去年より6.0%
増えて63.1%になったとある。中国も親近度は上がっているのだが、いまだ38.5%。

日本では反韓、反中教育などやっていないし、そうした政府の意図もないので日常の生活やメディアの取り上げ方に
目に見える形での不快感や脅威を感じることがないと、あるポイントまでは自然と親近感や好感度は上がっていくん
だよね。中国に対しての親近感が未だ低いのは日本に住む中国人の問題や毒餃子、「尖閣諸島」などがまだ生な形
で存在してるということなんだろう。

中国といえば小沢訪中団が騒がれていたな。国会議員140人を含む総勢600人超のお供を引き連れての北京詣でと
いうからとんでもないハナシだ。全人代の代表は日本的な国会議員とは全く違うので逆の形を想定できないが、オバ
マと一緒にアメリカの民主党の議員200人ほどが中国に行ったなんてことがあったら、大騒ぎだろう。

小沢が自己の権力をひけらかしかっただけというアメリカの識者の見方があったが、果たしてそうかな。むしろ中国
側からの働きかけがあったと見るべきだろう。流石の小沢も最初はそこまで大掛かりには出来ないと思っていたハ
ズ。中国側に押し切られたというところか。実際、その後直ぐに、習近平国家副主席と天皇陛下との会見が無理やり
アレンジされたという事実が明らかになっている。これが中国流。

韓国人もそうだが中国人の個人的な付き合いは日本人と違って濃密なんだよね。彼の国では商売も人間関係が第
一で、権力者との関係が無いと上手くいかないというのは日本でも常識になってきている。個人に頼っているので、
流れが変われば直ぐに無に帰することになる。日本の企業家は随分非道い目にあっているが、こちらは目に見える
形で結果がでてくるのでまだいい。政治家の方は個人ベースで完結してしまうので不祥事が公にされることがない。

いつの日か五星紅旗が六星になるようなことにならないといいが。それも小さい星が一つ増える形で。今の政権、な
んか危ういんだよね。アメリカとの対等外交を求めるのもいいが、中国に対しては全くの無警戒にみえる。中国とも
対等外交で遣って欲しいものなり。

asahi.com (2009.12.13)
外交調査 (内閣府、2008年度)




12月6日(日)

週末に三菱自動車がプジョーと提携するというニュースが入ってきていた。最近の三菱は電気自動車(i-MiEV)の開
発、販売で世間の耳目を集めているが、この車をOEMでプジョーに出すというニュースが出たとたんに提携バナシ。
先にダイムラーとの提携関係を先方から切られているから、今度は再婚ということになるな。それも復たび欧州メー
カー。問題もありそうだが、どうなるかな。

ところで、↓で現代自動車の日本撤退について書いているが、この会社、今はウオン安のお陰もあって世界中でそ
の販売シェアを伸ばしている。2008年に販売台数では既に世界のビッグ5になっており、ゆくゆくはビッグ3を目
指しているそうだ。その現代、元はと言えば三菱グループが育てたんだよね。音頭をとったのは商事なり。

三菱自動車が技術を提供し、商事が完成車を海外に持っていった。初期に作っていたポニー、これは三菱のラン
サーの技術が元になって出来たもの。エンジンはそのまま使っていたのじゃなかったか。車の前部にあるエンブレ
ムは日本車らしく見せるよう(orホンダ車と見まがうよう)、わざと斜め「」としたのはアメリカの販売代理店の要請
だったとか。

また韓国人は今でも車はステータス・シンボルと見ているから、みなが必要以上に大きな車に乗りたがるのだそうだ。
そこで現代自がどうしても大型車が欲しいと言って三菱に作らせたのがグレンジャー。日本では三菱規模のメーカー
は大型車など作ってもペイしないのだが、現代に引きずられた。この三菱車、日本ではデボネアと称して売られた。

今は現代の一部門となっている起亜自動車もマツダの技術援助を得て育った会社だった。南米ではよくキアの故障
車がマツダの販売店に持ち込まれたという。キアとマツダは違うと言っても、現地では理解してくれなくて困っている
というハナシが新聞記事になっていた。この両者をつないだのはフォード。しかし現代自と三菱、マツダの立場はす
っかり逆転してしまったな。

車では大宇の軽自動車Ticoもスズキのアルトそのものだったな。エンジンの排気量が少し大きくされていた。たしか
当時の大宇造船が組立てを担当したハズ。スズキの製造技術を韓国に移植させるべく、二千人ほどの韓国人技術
者や職工が日本のスズキの工場にやってきた。これはGMが間に入っていたのだっけ。

韓国は自動車だけでなく、産業や文化、スポーツなどのありとあらゆる分野で、様々な形で多かれ少なかれ日本の
影響を受けている。今でも韓国でのアンケートでは日本が一番嫌いな国になるのだが、同時に一番学ぶべき国にも
なっているのはこういう処から来ているみたい。片やなんでも日本のマネをするというのが、日本での嫌韓のひとつ
の理由になっている。しかも日本が多分にその立場を脅かされるようになっているのがマズイわけだ。


世界ランキング (マネー2009.2.4)
プジョーと三菱自 (ロイター 2009.12.5)
Nikkei:コラム (nikkei2009.8.10)





11月29日(日)

北の将軍さまの後継者と目される三男、「金ジョンウン」の漢字名が正雲から正銀に変わったという。そういえば、
昔、父親の方も長く正一と記されていたのが途中から正日に変更された。あれって何ういうことなんだろうね。北で
は漢字を使わないので漢字名など無いというのなら、海外でどのように漢字表記されていようと、そのまま放ってお
けばいいわけだが、ある日突然ホントはこっちが正しいんだよと言い出すっていうのもな。やっぱり漢字名があると
いうことなんだろう。

もともとハングルというのは日本の仮名のような単なる表音文字ではなくて、漢字の発音記号として作られたものだ
から、殆どのハングル名前は漢字変換できるんだよね。こういう状況で、親子揃ってその漢字名が海外で知れ渡っ
たのを待っていたかのように、「実は・・・・」と正字をこっそり持ち出してくる。韓国や日、中での当て字が間違いと分
かった段階で、直ぐにこっちが正しい漢字名だと言い出せばいいだろうにと思うのだが。

ところで韓国では人口の20%のが金さんだというが、朝鮮半島には北も南も金さんが多い。女真人も金には執着
というかこだわりがあるようで、自分たちの作った国には「金」という国名をつけている。12世紀の完顔阿骨打の金
帝国もそうだが、ヌルハチの満洲帝国も当初は金(後金)と称していた。それに愛親覚羅氏のアイシンが金(Gold)
という意味だから、「金」にはかなり思い入れがあるようだ。これってツングース系民族の特徴なんだろうね。

今気づいたが韓国からの出稼ぎ歌手に桂銀淑という女性がいたな。彼女の名は日本でも漢字の現地読みで発音
されていてケイ・ウンスクとなっていた。このウンがジョンウンのウンと同じ「銀」ということみたいね。韓国からの出
稼ぎというと呉善花の初期の書き物にはそんなハナシが多かった。日本に来ると本国では既に需要がなくなった、
もう若くない女性でも仕事があり、コックやマッサージ業といった韓国では蔑視されている職業でも、実力さえあれ
ば尊敬され、時には「先生」と呼ばれるようようになるのが魅力なのだという。

こうした現実が当人にも居心地がよく、韓国女性の日本への流入は止まることなく、そのまま居ついてしまう女性
が多いというハナシだった。韓国経済も実力をつけてきて、最近は少しは事情が変わったかと思ったが、そうでも
ないみたい。先日、ラジオで日韓のワーキングホリディ事情について語っていたが、外務省のHPを見ると韓国か
らは随分来ているようで、競争率もかなり高いようす。片や日本から出る方は、日本が受け入れている数の数分
の一でしかなく、規定数をも満たすことがないとか。

また最近、現代自動車が日本からの撤退を決めたというニュースもでている。日本で韓国車が売れないってこと
は日本人がメイド・イン・コリアを信用していないということであり、加えて人目に付くところに韓国製品を置きたくな
いってことなんだよね。そうなると日本における韓流ブームって、実際のところはどうなっているんだろうと考えこま
ざるを得ない。一方でNHKが韓国ドラマなどを良く流していたりするのだが、実需があってのことなのかどうか。

北朝鮮:「正銀氏」地方で指導(mainichi 091129)
日韓ワーキングホリディ (外務省)
韓国ワーキングホリディ




11月22日(日)

小泉首相の時代からNHKのチャンネル数を減らすというハナシがあったのだが、どうも11年春を目処に現行の
BS、3チャンネルを二つにすることになったようだ。世の中のデジタル化への一斉切り替え時期に合わせたよう
す。BS-hiを切り捨てるのかなと思っていたが、新たに組み替えるということだから、単純にBS-ハイビジョンが無
くなるというコトではないみたい。

NHKはBSの他に地上派2チャンネルを持っているから、番組の使いまわしというか再放送が非常に多い。もっとも
その方が有難いところもあるんだけどね。お陰で先日は北京の「銀座」、王府井通りの今を見ることができたのは
良かった。随分変わっただろうなとは思っていたが、表通りのビルや風景、それに道行く人まで自分の知っている
世界とは全く違っているのには参った。日本も戦後20年で全く変わってしまったから、そんなものかも。

こちとら1984年から95年ぐらいまでだからね、暇を見つけては、この街にせっせと通ったのは。といっても均すと
年に一回にもならないんだけれども。初期は「糧票」(食糧配給券)がないと街で饅頭(肉まん)や麺包(パン)も買
えない時代だった。そんなものの存在すら知らなかったのだから、ホントにどうやって食べたり、移動したりしていた
のやら。また外賓(外人はそう呼ばれていた)は通貨も兌換券だけで、人民元など使えなかった。仕方ないので勝
手に街で入手していた。

また最近は日本でも北京のガイドブッが色々出ているので、今の方が昔よりも名所旧跡やそのヒストリーなどに詳
しいかも。これも近頃知ったことだが、王府井街は清代には八旗軍の練兵場として使われていたという。なるほど、
あの道幅なら騎馬軍団が駆け抜けていく姿もイメージできそう。北端にあった華僑飯店(ホテル)、先日、最近北京
に行ってきたというJTB嬢と話していたら、まだそのままあるという。「金日成死亡」の現地新聞の見出しを見てびっ
くりしたのもここ。誤報だったけどね(86年)。

盧溝橋を架けたのが満洲人(女真)だったことも、当時は知らなかった。もっとも完顔氏の金帝国で、後の愛親覚
羅氏の金(後金、大清)じゃないけど。ガイドブックによるとこの橋、1192年に完成となっているが、鎌倉幕府創建
の年ということになる。欄干の上に並ぶ獅子像はモンゴル時代だとか。マルコポーロ・ブリッジと言われるからには
彼が渡った(東方見聞録)、その橋ということなんだろうが、自動車時代でも使えるほど頑丈で、橋幅も広いんだよ
ね。只、今はバイパスもできて、橋は観光施設になってしまったみたい。


NIKKEI NET(091119)
NHK 世界ふれあい




11月15日(日)

フランス人って結構自尊心が強いというか、エエかっこしいのところがあるのだが、その割には植民地人との結婚
にはあまり拘りがないようだ。これはラテン人の血なのかな。スペイン人やポルトガル人は中南米をはじめ、世界
中を混血だらけにしてしまった大先輩だからね。

片やイギリス人は植民地でローカルの女性と結婚することはあまりなかったという。例えばパーティなどの集まりで
もローカルの女性を妻を持つ亭主は何か居心地が悪いというか、気まずさを感じていたようなハナシを何度か読ん
だことがある。ロカール妻は現地のイギリス人社会には受け入れられなかったようだ。それでもイギリスはその国
民が植民地人と結婚することは認めていたということなんだろうね。

それと比較すると満州帝国(清朝)が満州人と植民地の漢人との結婚を認めたのは、その帝国が滅びる寸前の
1902年のことだから、これはどのように見ればいいんだろう。もっとも漢人でも入関前に漢人八旗として満州一家
に組み込まれ、占領軍として中国に乗り込んできた支配層では満州人との通婚もあったというが、これはあくまで
例外。モンゴル諸部との間では清朝初期から皇族でさえ嫁をもらったり、送り出したりしているのだからね。

末期には義和団事件で西洋の武力に敗れ、清朝滅亡の危機に瀕したことで、その前の戊戌の政変で打ち倒した
康有為の変法自強の日本風の国体改革政策を省みざるをえなくなったということか。また孫文の興中会も「滅満
興漢」のスローガンを掲げて独立運動を始めていたしね。

清朝存続の為にも満州人と漢人の間の差別の溝を少しでも埋めていこうと考えたわけだ。本地の満州は既にロ
シア領同然というありさまになっていて、モンゴル帝国(元朝)のように北の本地に帰るにもその土地が無かった時
期だ。その後、日露戦争で勝った日本がロシアを追い出し領土権を清朝に戻すことになる。もっとも沿海州は戻っ
てこなかった。

ところで、戦前の日本人はどうだったのだろう。どうも外地でのローカルの住民との結婚は少なかったのじゃない
かな。政府は禁止していたわけじゃないんだけどね。むしろ朝鮮半島には政策的に日本女性を送り込んでいたぐ
らいだから。たしかに混血児の問題が殆どないんだよね。今でも騒がれているのはダバオ(ミンダナオ)やバギオ
(ルソン)に多くの日本人がいたフィリピンぐらいだろう。




11月8日(日)

ネットで新聞を読んでいたら、大相撲の白鵬が鷹島(長崎県)のモンゴル村を訪れた記事があった。鷹島について
は以前に何か書いていた気がして探してみたら、去年の日付け(2008.1.13)に見つかった。この産経の記事に拠る
と鷹島と唐津を結ぶ橋が出来たということだ。位置確認の為にネット地図を見ていたが、どうも県境や市町村境が
判明しずらいので地図帳を引っ張り出す。

地図を見てびっくりというか、当該の東松浦半島で唐津市に三方を囲まれた形で玄海町を見つけた。ここもつい最
近プルサーマルで話題になった土地。この辺り昔、バイクでうろついていたことがあった。秀吉の渡海軍の大本営
たる名護屋城跡を訪れた後、再び国道を走っていたら突然、原子力発電所にぶつかり驚いたことがあった。

このプルサーマル、ホントは関電の敦賀原発が10年も前にやるハズだったんだけどね。しかしどうしてこんなに揉
めたんだろう。原発というとちょっとでもコトが起こると、直ぐ大騒ぎするグループがいるからね。新潟の中越沖地
震(2007)での東電の柏崎源発もそうだが、IAEAが問題なしと太鼓判を押したのに再稼動は遅れにおくれた。

プルサーマルとは、つまるところ資源の再利用ということだからね。日本のような資源のない国にはどうしても必要
な原発技術だろう。巷では、今や古新聞だけでなく、ダンボール、プラスチックまで分別収集で再利用を進めてい
るのだから、国や産業界も原発の廃棄物だって利用できるものは大いに使わないと。

こちとらCO2に起因する温暖化問題など全く信じていないが、鳩山内閣はそのCO2削減に熱心だということだ。原
発反対はだいたいどこの国でも左翼が音頭をとっているのだが、日本でもたしか民主党や、もっと左よりのところ
に活動家が多かったはず。ここは鳩山内閣の支持派として、CO2発生を減らす意味でも原発に理解を示して欲し
いところ。

そういえば、ドイツもこの間の選挙の勝利で、メルケルのキリスト教民主同盟も連立の組み換えになって、脱原発
政策が見直しになるという。しかしドイツも
ご都合主義の国だなと思う。まあ戦前の、あの時代に独ソ不可侵条約(
1939)を結んだ国だからね、仕方なしか。当時、その影響で日本では平沼内閣が倒れた。平沼赳夫はこの平沼騏
一郎の親族というが、そんなところも面白し。


大相撲@「モンゴル村」 (sankei 091108)
九州電力 (sankei 091105)
プルサーマル(日本原燃)
ドイツ右派連立 (asahi 091025)



P.S. ↓(2008.1.13)では鷹島を佐賀県と誤認していた。




11月1日(日)

随分前にモンゴルはソ連が作った「満州国」だと書いていたが、当初は清朝崩壊後にモンゴル側が独立工作の動
きのなかでソ連に働き掛けた、というのが最近の研究から分かってきた事実とのことだ。もっともその後の流れは、
ソ連の16番目の共和国とみなされるほどのモスクワの傀儡国家にされてしまったわけだから、あながち全くの誤り
というわけでもなさそう。

本家の満州国にしても、溥儀が
玉祥によって北京の紫禁城を追われた段階では、日本政府は彼を満州に連れ
ていこうなんて考えていなかったわけだからね。むしろ彼が望んだイギリスが匿うことを拒否したことで、日本を頼っ
たわけで、その後故国である満州に日本のバックアップを得て戻ったのだが、こうした独立の過程がモンゴルのケ
ースと似ているわけだ。日本の方がソ連とモンゴルの先例を見て、後追いをしていたわけだが。

モンゴルが辛亥革命後の漢人政府の下に組み込まれるのを拒否した理由は、清朝の入関前、創業期に彼らがチ
ンギス・ハーンの時代から引き継いできた「伝国の玉璽」を手渡した満州帝国に兄弟分として組み込まれていた点
にあるようだ。モンゴル人にとって清はモンゴル帝国の継承国となった満州人の帝国であって、中華帝国ではない
と今でも認識しているということだ。

日本人はなまじ漢字が読めるだけに、政治、文化、宗教、民族など多くの分野で多面的な広がりを持つ清朝の有り
様から、中華的な一面だけを眺めてきたような気がする。日本人が清朝と本気で向き合うようになったのはアヘン
戦争後のことで、欧米の帝国主義の脅威を膚で感じるようになってからのこと。既に北方の異民族国家である清の
入関時の驚きは消え去って久しい。

明治の新政府が1000年ぶりに(Or義満以来)大陸政府と国交を持つことに決断した時、交渉相手として出てきたの
は「太平天国の乱」を鎮められなかった八旗軍に代わり、その私兵でもって押さえつけた李鴻章や曽国藩などの漢
人官僚だった。当時の日本人の見た清は過去の中華王朝の伝統を引き継いだ漢人と漢語、儒教で代表される部
分だったことも、その後、清を多様な満州帝国としてでなくその一部であった中華帝国そのものと見誤らせることに
なったのかも。

満州帝国からの独立後の民国や共産中国はかつての支配者の本地を内地化してしまい、今ではそれまでの占領
軍であり支配民族であった満州人は満州族と矮小化させられている。もっとも土地と国を取り上げられ満州族とな
ったことで、彼らは今も漢人国家で生存を認められているところもあるんだけどね。

それでも300年も漢人を苛めたとなると、どんな復讐劇が待っていたことやら。身分証明書の民族識別では「満洲」
を隠している満州人がゴマンといるという。文革時代などとんでもない目にあった人が多かったというからね。それ
は漢人政府の反日ぶりを見れば一目瞭然。日中戦争なんて15年間、それも中国は戦勝国だったにも関わらず、
未だにこの有様。普通、いつまでも恨み言をいっているのは敗戦国の方なんだが。


清朝史



10月25日(日)

明日が伊藤博文暗殺から100年目にあたるということだ。産経の記事によると韓国では安重根は抗日の英雄という
ことで、この時期なにかと張り切っているようす。しかしテロリストが国家英雄というのもなんだかな。彼らは
閔妃
殺には過敏に反応するが、自分たちがやった方には英雄に祭り上げるわけだ。ご都合主義は彼らの常であって驚
くべきことでもないが、やはりちょっとおかしい。

もっとも北は金日成王朝創建時の栄光のストーリーに夾雑物が混じるのを嫌って、安のテロの意義など全く認めて
いないのが韓国にとっては寂しいというか、辛いところ。そういうことを思うにつけ、彼らは日本から韓国の歴史観と
は合わない発言や記事が出るたびに「歴史歪曲」だとか、「妄言」なりと切り捨てるのに、北の政府やメデイァには大
甘なんだよなとの感を新たにする。

ところで、朝鮮人というのは女真人とはどう違うんだろうね。どうも漢化された女真というか
靺鞨が朝鮮人なりと言っ
ても誤りじゃないと思えるんだが、どうなんだろう。山東半島からもかなり人が入っているのも事実だが、南方から黒
潮に乗って日本にやってきた連中の一派が半島に渡ったり、直接向こうに辿りついたのが半島南部には多くいて、
そこに満州から南下してきた北方民族(ツングース)が被さったわけで、北に行くほど血液的には女真人に近くなっ
ているわけだからね。

もっともその北からの流れは日本列島にもやってきているから、言語系統はモンゴル、満州、朝鮮、日本と似たも
のになっている。シャーマニズムもそうだしね。さすがに温帯の日本列島にはオンドルは朝鮮海峡を渡ってこなかっ
たが(Or定着しなかった)、半島では南方系の高床の下にオンドル穴を通している。満州では床がないから部屋の
側面に沿って固定椅子のようにオンドルを通してるが、こちらが本家。

実際、高句麗なんか、韓国はその出自を中国と争っているが、朝鮮半島の北部まで下りてきたというか、今風に言
えば侵略、占領していたわけで、明らかに満州が本地だろう。もっとも「満洲」の名称はチベット仏教の文殊菩薩か
ら採ったもので、ヌルハチが最初に使ったわけだから、古代に使用するのは相応しくないな。朝鮮半島の人の出入
りも良く見ると結構面白い。


伊藤博文暗殺 (sankei 2009.10.25)





10月18日(日)

文春の11月号で坪内祐三が自分のコラム枠で書いていたが、今の内閣は団塊世代内閣なんだそうだ。小泉内閣
の後に一世代飛ばして安部に政権移り、経験不足と若さ故に失敗したと見ると、福田、麻生へと逆回転。今回、民
主党の政権で、ようやく団塊世代に番が回ってきたということだ。

坪内によると自民党にはこの世代の議員が殆どいないのだとか。彼がそのことに気づいた10年前には、新井将敬
と鈴木宗男ぐらいだったいうが、その二人も今はいない。後に鳩山邦夫が出戻り、舛添要一が加わったぐらいだと。
どうも反体制の全共闘世代には自民党は人気がなかったのだろうとのこと。

団塊世代は坪内には一回り上の世代になるということで、子どもの頃からいつも圧倒的な存在感を感じていたとい
う。それは社会のどの活動ジャンルに於いても見られる数の力が生み出す集団の存在感であり、また全共闘運動
をはじめ社会や、文化、風俗などでの新たな地平を拓いていった立役者集団に対して一目置かざるを得ないという
感慨であったりしたようだ。

たとえば、「ファッションや音楽が彼らの前と後ではまったく変わってしまった」と書いて、この世代によって漫画やT
シャツ、ジーンズが生活の中に入りこんでいったことを上げている。そういう肯定的な団塊世代観があるからなんだ
ろうが、彼の場合、当初民主党を冷ややかに見ていたというが、「この団塊世代内閣はちょっと面白そうだ」と期待
を込めて文末を締めている。こういう見方をする人もいるんだ、と思ったことだった。

しかし、その反体制派が作った団塊世代内閣は必然的に反米になるわけだが、アメリカを敵に回して大丈夫かな。
普天間基地の移設問題にせよ、インド洋での給油中止にせよ、アメリカから「それは日本政府が決めること」と言わ
れて、うかうかと乗ってしまい、「それ見ろ、対米対等外交だ!」なんて浮かれていると、後で江戸の敵を長崎で討た
れることになるよ。

それは経済分野になるか、文化的な問題になるか、対中国か、対北朝鮮かなどは知らねども、ひょんな処でアメリ
カの同意が貰えずに日本の意思が通らなくて立ち往生なんてね。民主党が重視するという国連活動でいじわるされ
ることもある。外交も所詮は力関係だからね。理念だけで自分の望むように世界が動いていくものでもなし。


asahi.com (2009.10.18)




10月11日(日)

鳩山首相が北京での日中韓の東亜サミットで
、持論の「東アジア共同体」構想を提起したという。といっても、この
共同体の枠組みというのは多国間会議という形で既に出来てるんだよね。つまるところ、アセアン10カ国+日中韓、
それに印、豪、
新西蘭。この国々でECに似た共同体を作ろうというのが、鳩山首相が目指すところ。ただ、どのメデ
ィアも指摘しているのが、アメリカは自国抜きでの東アジアにおける共同体など絶対に認めないだろうということ。

それに中国もインドを初めとする三カ国の参加には抵抗するだろうな。中国の目的ははかつての中華世界秩序の
復活であって、そこに日本が加わることには同意してもインド以下の三カ国が入るとなると、帝国の版図での異分子
の比重が大きくなりすぎる。特にインドが入ることで外に向かうベクトルが大きくなりすぎて、北京を中心とした旧満
州帝国(清朝)を一回り膨張させた形での中華帝国は、その全体のまとまりが取れなくなる。

また日本はアメリカと軍事同盟を結んでいる立場であり、その仮想敵国としての最大のターゲットは嘗てのソ連から、
今では中国に移っている。これがEC並の共同体を作るとなると、NATOに対応するEATO(東アジア条約機構)といっ
た軍事同盟もセットになって付いてくる。そしてその仮想敵国はロシアとアメリカになる。となると日米安保条約は自
然消滅し、先の大戦前夜のように日本は再びアメリカと敵国として向き合うことになるのかも。NATOではアメリカは
主たる構成国だが、EATOの仮想敵国というのがなんとも・・・ね。

もともと日本は古代の卑弥呼の時代はともかく、遣隋使、遣唐使を送っていた時代でさえ大陸の覇権国家から冊封
など受けていない。だからその元首は向こうの皇帝と張り合って天皇などと勝手に呼称していたんだが、その遣唐
使船も菅原道真が廃止(894年)してしまっている。つまり日本はその後、明治維新まで1000年以上の間、大陸のど
の王朝とも正式な国交をもたず、孤高の生き方をしてきた国だ。明の永楽帝から日本国王に冊封された足利義満
など幾つかの例外はあるけどね。

日本人は聖徳太子の時代から、大陸とは着かず離れずの関係が一番と知っていたんだよね。中華帝国の一員に
なろうとするなんぞ、鳩山首相は第二の義満になろうとしてるのかな。もっとも小泉元首相も、形は違えど東アジア共
同体を目指していたんだよな。どうして今の政治家は大陸指向なんだろうね。日本は昔からちいさいながらも、ひと
つの世界というか小宇宙を作ってきた国なんだから、孤立を恐れるなと言いたいところ。

yomiuri (2009.10.10)




10月4日(日)

2016年のオリンピックはリオに決まったということだ。南米では初めてというのが最大の決め手だったんだろうな。他
の候補都市は東京のように二度目というのもあるが、シカゴとマドリッドは本国のアトランタやバルセロナが最近やっ
たばかりだ。それにしても、マドリッドが意外と健闘したのは、IOCにサマランチの影響力が未だ残っているということ
なんだろうな。普通なら2012年のロンドンのすぐ後に、同じヨーロッパでということにはならないだろう。

IOCそのものがローザンヌに本部があるように、欧州勢の影響下にある組織ということもある。そもそも近代オリンピ
ックを復活させたのも仏人のクーベルタンだしね。何より東京にとって不味かったのは、去年北京が終わったばかり
だということ。欧州に行けば、中国も日本も一緒にされるからね。アジアはもう暫くはいいだろうと考えるのが普通だ
ろう。

IOCの委員なんてそうコロコロ代わるものじゃない。みんな北京に行っている。そして彼らの大部分は日本と中国の
違いなど殆ど分かっていないからね。良くも悪くも北京大会の強烈なインパクトに充てられて、殆どの委員がアジアは
もうイイやと思っていて当然。普通の日本人だってラテン国家のスペインとアングロサクソンのイギリスの違いなんぞ
分かってないのだから、お互い様か。

ところでこの北京だが、大陸の王朝で北京に都を置いたのは女真族(今で言う満州人)の金が最初で、ここは中都と
呼ばれていた。その後、明が初期に南京に都を置いていたことがあったり、中華民国の首都が南京とされたという例
外はあるが、元、明、清ときて共産中国は1949年の建国時に北京を首都としている。つまりここ850年ほどの間、
ほぼ一貫して北京は大陸に興亡した国家の首都であったわけだ。

但しそのうち漢人国家の首都であったのは明の永楽帝の遷都以後の240年と今の共産党政府の60年だから300年
にしかならない。首都ならずとも明朝初期や辛亥革命以後の民国時代を加えても、漢人がこの地を押さえていたの
は370年。一方、金の前の契丹人(モンゴル系)の遼を加えた過去1000年として括ると、圧倒的に北方民族が支配
していた時代が長かったことになる。

こうなると北京の領有権という問題がでてきてもおかしくない。一番長くここを支配したのは満州人で金と清(後金)と
の二つの王朝がここに都を置いている。もっとも最後にその地を手に入れたもの勝ちで、漢人(共産中国)のモノな
りというのも一理ある。ただ、そう言う彼らは明代の書物にその名(釣魚台)が記載されているという理由だけを振り
かざして、実効支配抜きで尖閣諸島の領有権を主張している。此の辺り、なんか矛盾があるような。




9月27日(日)

↓(9月13日)の「韃靼漂流記」を読んでいた時に気づいたのだが、この三国の船乗りっていうのは苗字を公式の場
で名乗っているんだよね。「漂流記」というがこれは後世の付けたタイトルで、詰まるところは幕府のお役人が書き
記した帰国漂流民からの聞き取り「調書」だからね。公文書である調書で口述者の名に苗字が付いているというこ
とは、彼らが江戸に出てきた時点で、福井藩は苗字を名乗ることを認めていたということなんだろうな。

江戸時代、武士以外の一般人も苗字を持っていたということは今では常識になっているが、大っぴらには苗字を名
乗ることは許されていなかった。苗字帯刀は武士の特権で、農民や町方でも庄屋や名主は苗字を名乗ることも認
められていたというところまでが教科書知識。藩によっては庄屋の帯刀も認めていたところもあったようだ。そんな
状況で普通の船乗り稼業の者が苗字を名乗れたということは、それなりの理由があったはず。

思うに、彼らが清国(満州帝国)の最高実力者(ドルゴン)の出した勅許により日本への帰国が許され、北京から漢
城(ソウル)までを清が、釜山までの途次を宗主国の命令に従い朝鮮が公式の客人扱いで送り帰したという事実が
あったからなのだろう。釜山までくると対馬藩の倭館があり、後は日本のルートを通って帰ってきたわけだ。

当時既に所謂鎖国令が出ていたにも関わらず、異国からの帰国が問題とならず、加えて福井藩は苗字を名乗るこ
とも認めているのは、彼らが大陸を新たに支配した新興の清の情報を持ち帰ったというところにあるのだろうな。南
部の明の遺臣(漢人)たちから、徳川幕府に派兵要請が来ていた頃だしね。

三国衆が釜山から博多を経て越前にたどり着くまでには幕府の手を煩わしているはずで、福井藩の処置は当然幕
府の意向を反映していると見るのが当然だろうな。それに越前藩主は三河以来の松平姓の徳川一門で親藩なんだ
から。もっとも全てはこちらの思い過ごしで、只の兵右衛門と与三郎では調書としての収まりが悪いと、聞き取り方
の役人が隠れ苗字を名前の上に付けて置いただけなのかも。

ところでこの三国、今はもう地方自治体としては無くなっているんだね。ネット情報だと2006年の広域合併で坂井市
になっている。どうしょうもないな、お上のすることは。

三国




9月20日(日)

16日、鳩山内閣発足。さっそく「政治主導」「脱官僚」の掛け声の下に民主党連立内閣の面々が霞ヶ関に乗り込んで
いって、なにかとメディアを騒がせているようす。関が原後に家康から土佐二十四万石を貰った山内一豊が長宗我
部領に乗り込んでいったみたいなものかな。それとも、米系ファンドが敵対的TOBで手に入れた日本企業の役員を
総入れ替えするようなものか。新しいオーナーは役員主導のトップダウンでの経営を謡い、従業員はそれまでのボト
ムアップの遣り方に拘っているというところか。

当初は勢いというものがあるから、新しい経営陣も言い出したことを貫こうとするだろうが、日本の社会や組織は結
局はボトムアップで物ごとが動いていくのが一番自然体というか落ち着くんだよね。上からゴリ押しすると、社員は上
からの指示、命令なしでは何もしないということになるしね。企業は利益を出すことが目的だから、いつまでも労使が
喧嘩ばかりしているわけにはいくまい。まあ落ち着くのを待つしかないのかも。

清朝は漢人には服従の印に満州風の弁髪を強制したのだが、人口の少ない満州人にとってあれは分かりやすくて
良かったのかも。民主党も当初はトップ官僚には「踏み絵」を踏ませるつもりだったみたいね。ただ官僚の身分は法
律で保障されているとかで、有耶無耶になったようだ。この法律って戦時中にできたのだったか。というのも昭和初
期には民政党と政友会の間で政権交代がある度に、事務官僚も共に入れ代わっていたからね。

小選挙区制になって選挙の度に政権交代ということになり、それまでの改革が全て元に戻るということになると、国
民が政党政治に愛想を着かしてしまった戦前の愚を繰り返すことになるかもね。今回も、もう一度国営の郵便局を
作るというのもな。宅配業では国営時代は民間に勝負にならなかったし、一方、銀行や保険となると片や国営で破
産がないのだから、信用力抜群で金が集まり過ぎて民間では相手にならない、というか官による民間いじめになる。

また高速道路を国営化するというのなら、競合するJRや日航、ANAなども国営化するか補助を出さないとおかしい
のじゃないかな、などなど疑問も多い。もっとも政権交代しなけりゃ大掃除できない部分があるのも事実なんだけど
ね。現実社会では、理屈の世界と違って何事もすべてが上手くいくわけじゃないから、仕方ないことなのかも。先ず
はお手並み拝見というところかな。




9月13日(日)

この16日には鳩山内閣が誕生ということになっている。1月11日(↓)に週刊文春の選挙予測を書いているが、当時
既に民主党が280議席で圧勝、片や自民党が149議席の大敗という数字を出していたんだね。正直なところホントか
なぁと半信半疑だったんだが・・・。その後は自民の自滅傾向と国民の政権交代への期待がいや増し、結果はそれぞ
れ308議席と119議席ということになった。

世の中、変わるときには代わるんだね。あの徳川幕府も倒れたのだから、自民党政府が民主党に代わっても不思議
はないのだが、嘗ての圧倒的な強さを誇っていた時代を知っている身としては、一つの時代が終わったような気がし
ないでもなし。もっとも中国で共産党政府がひっくり返るとは違うのだから、それほど大騒ぎするほどのこともないんだ
けどね。

国民党政府が共産党に変わった時に、党首の毛沢東がやったのは『建国宣言』だからね。この10月1日(国慶節)で
建国60年になる。実際のところ若い国なんだよな。いつの国慶節だったか、大連にいたことがあったな。たしか上海
から船で渡ったのだったか。隣の旅順が外国人に解放されたのはつい最近のことで、当時は入域禁止だったが、アジ
ア顔を利用して勝手にローカルバスに乗って行ってきた。ハンガリー製のバス(イカルス社製)だったな。

今、国会では議員控室の引越し騒ぎをやっているようだが、清が入関したときも瀋陽から北京への引越しが大変だっ
たみたいね。満州人は人口が少ないこともあって、ヌルハチは瀋陽に都を移すまでに何度か遷都をしているが、その
度に配下にした部族を挙げて移動している。入関時(1644年)の清の皇帝は順冶帝だが、彼も女真の習いに従い、
一族郎党引き連れて北京に移っている。もっとも、先に入ったのはかの有名な摂政王ドルゴンで、当時32歳。

驚くべきことに、この時の大移動は日本人の立会い人がいるんだよね。松前への航路の途次に遭難して、ポシェット
湾(今のロシア領)にたどり着き、そこで殺戮を免れて生き残った三国(福井県)の船乗りたち15人がその目撃者。代
表の国田兵右衛門と宇野与三郎が、江戸で幕府の要人に述べたハナシが記録されている。ここに瀋陽から北京への
三十数日の道中、満州人の引越しの列が引きも切らなかったという記述がある。彼らは北京でドルゴンにも会ってい
るというのが凄いというか羨ましい。

『日本の者共、北京へ参り時分、韃靼より引越候男女、三十五六日路の間、引も切不申候。』 
『右のキウアンス(九王子・ドルゴンのこと)は王の叔父にて御座候。年三十四五に見へ申候。細く痩せたる人には御座候。 
 此の人第一の臣下にて、上下共におそるる事、歴々の衆も、直々物申うす事成不申候由に御座候。』

(「韃靼漂流記」園田一樹著・東洋文庫) 


この本を読んでいて、司馬遼太郎が昔、中央公論に「韃靼疾風録」を連載していたのを思い出し、早速手に入れた。
主人公の桂庄助は平戸の侍になっていて、漂流してきた王族(愛親覚羅氏)の姫君を送り届けるべく三国衆より十数
年早く海を渡っている。物語が終わりに近づく頃に主人公はドルゴンと共に山海関を越えているので、彼らより半年
ほど早く北京に入っていることになる。司馬はこの分厚い小説で三回ほど上記本に触れているから、本来なら両者は
ドルゴンを通じて北京で出会っていてもいいのだが、その記述はない。三国衆が北京で日本人(庄助)と会えば必ず
記録に残るだろうが、その彼は後世の小説の主人公だったとというのは確かに不味い。


開票結果 (Asahi)
自民“無血開城” (Sankei 2009.9.11 )




9月10日(木)

パソコン修理完了