映画『ジョンQ−最後の選択−』を巡る対談


(Y) : ヤマ   サイト『間借り人の映画日誌』
(M) : めだか




(M)
 ヤマ様。次の更新、まさか「ジョンQ」ということは・・・ないですよね^^;
いえ、ちょっと、今これで頭を悩ませておりますもので^^;;;
また、父と息子・・・

(Y)
 ギョギョ! 実はそうなんだけどなー(笑)。
今晩アップする明日づけの更新は『クレマスター』と『ジョンQ 最後の決断』
このタイミングで問い掛けられちゃったのって、絶妙きわまりないですな〜。
今晩、お訪ねになってみて下さいな。

(M)
 うわっ!絶好のタイミング。
今夜、楽しみに覗かせて戴きます♪
って、それまでに自分のメモくらいはちゃんと仕上げておこう^^;
デンゼルの演技は流石…と見惚れましたけれど(元々黒人俳優、好きだからなぁ…)、ああいう社会派型の作品だとは思っていなかったので観て驚きました。


(そして、『間借り人の映画日誌』にて『ジョンQ 最後の決断』更新後・・・)


(M)
 読んで、なんだかすごくホッとしてしまった(笑)
多分、ヤマ様が感じたのとは別のところでなんでしょうけれど、私はかなりあの映画にプロパガンダのようなものを感じてしまって引いたのです。
監督の娘さんが心臓病だということなので、相当の思い入れをもって作られた映画なのでしょう。そのためかもしれませんが、私にはなんだかえらく視点が病気の子どもを持つ親側に傾いた印象でした。
子どもの病気で悩んだことのある親にとっては他人事じゃない。きっと世間の(大抵の)親の共感を呼ぶだろうなあ・・・と思ったのですが、私はあの愛情のあり方に退いてしまった^^;
あの女医は良い医者に見える・・・けれども、余計なことを言う医者だ、と思いました。「あきらめない」ということだけが希望ではないですよね。


(Y)
 お読み下さったんですね、ありがとう(にこ)。
僕は、親のあの愛情のあり方そのものには必ずしも引いたりはしないのですが、それを全面肯定して支持してしまうのはどうかなってとこです。

(M)
 う〜ん^^;あの熱意を世間的に模範に持ち上げられますと、私のような親は居場所がなくなりそうです(苦笑)


(Y)
 要点はまさにここなんですよね。
ここのところに居ずまいの悪さを感じることなく、ジョンに同化できる観客のほうが僕にはむしろ不気味だったりします。
人はとことん自分を棚にあげることができるもんなんだなーって今更ながらに(笑)。
それは丁度いま日本で起こっている拉致家族の問題とも似通っていて、当事者である彼らがあのように主張し、表現することは無理からぬことだし、当然のことだろうと思うのですが、だからといってマスコミを始め、外交戦略自体までがひたすら押し流され、同調することに危うさを感じたりします。

(M)
 でも、あの当てのない熱意は、誰よりも本人にとって本当は地獄なのではないでしょうか。
病気の子どもを看るということ、それ自体がものすごい勇気と試練だと私は思います。だから、あの病気との戦いぶりをヒーローと呼んで支持することには私は異論はないです。

(Y)
 同感ですね。その戦い方や表出の仕方、ましてや結果ではないように思いますよね。
死なせちゃった親は敗者なのかって問い掛けを逆にしてみると、ジョンQを勝者として讃える視点というもの自体が御粗末なものだという感じがしてきますよね。

(M)
 流石はヤマ様。私の言いたい事を的確に書き出してくださいますね(^^)。
あの映画は私は、なんだか保険のことといい表面だけを滑ってる感じもするんですよね。
作中で、その親の勇気と、監禁事件の責任や保険制度批判を混同するのは問題が違うように思ったのでついていけませんでした。
なんか、親子の愛という美談に乗せて社会批判してるという辺りが・・・あざとく感じちゃって^^;

(Y)
 僕は便乗している部分のほうがメインだとも思ってなくて、単純についでにこれだけはどうしても言っておきたいっていう思いは受け取りながらも、あくまでついでというか、この際というか、便乗的なものだと受け取りましたね。
だから、あざといというふうにまでは感じませんでした。
でも、そっちに真の狙いがあったのでは? と受け取ると、あざとく見えてしまうでしょうねー(当然)。

(M)
 テレビ番組などで保険批判をするようなシーンが並びましたでしょう。あれで私はそういう印象を持ちました。あそこまでハッキリと批判を出したことで、妙に話が薄く感じられた、というか。そう感じたのは私くらいなのかもしれませんが^^;。


(Y)
 非常に意識的でしたよね。
やっぱりこの際これだけは言っておきたいって思いはあったんでしょうね。一番の目的だったとまでは仮にいかなくてもね。

(M)
 パンフによるとニック監督自身がこれで苦労なさったようですよ。お子さんの手術費は結局自費だとか。

でも、それまでに充分、人質との話で保険問題は出てるわけですし、最後は念押しのようでくどい。

(Y)
 アメリカでの社会保険制度の完全民営化への異議申し立ては勿論あるのでしょうが、国民皆保険を建前にしながらも、実質的には同じ様な状況である日本に住んでいる僕からすれば、事の本質は、民営化いかんではないのだけどなーってとこがあって、作り手の主張としては認識しましたけど、その部分には特に問題意識を喚起されなかったのでした。

(M)
 ジョンが犯罪に走ったのって、私は保険の問題じゃないと思いましたね(笑)
そもそも、ジョンが加入していた保険のランクが落とされていたのが最初の躓きでしょう?
勝手にパートにされて、保険のランクが落とされていて、それをジョンが工場から知らされていなかったというのが問題だと思うんですよ。
これについては後で保険制度と絡めて取り上げさせてください。

で、私の引いた愛情のあり方なのですが、

ジョンの「自分の命を息子に」というその思いがちょっと引っかかりまして。あれが、彼の最初からの狙いだったのなら私はやっぱり引きます(笑)。
でも、ヤマ様が日誌で書かれていましたが、立てこもりした時点でのジョンに自分の命と引き換えという気持ちが本当にあったかどうか。
そういえば私にはなかったようにも思えましたね(笑)。途中で思いついたように見えました。
なんだか、頭に血が昇った、全部行き当たりばったりの行為のようだったので、そうだとしたらジョンには悪い感情を持たないです(笑)(私だって、頭にきたらあれくらいするかもね)

(Y)
 すんなりそう見えたら、僕ももうちょっと共感できたように思うのですが、そういうふうにしか思えないのに、そういうふうには描いていないとこが気に障りましたね(笑)。
まぁ、野暮な難癖みたいなもんですが(苦笑)。

(M)
 すんなりじゃないですよ(-_-;)。奥さんへの態度にしたって何にしたって先の見えない考え無しに見えて、そういうキャラなんだな、って思って観ていたら、あの「最初から・・・」の台詞ですから。あれで、「えっ?」となってしまいました。
あれが無ければ、あの銃弾のこともジョンの他人を傷付けられない優しさからとだけに解釈できたのに。


(Y)
 同感、同感(笑)。

(M)
 一方であの決意は「やっぱり、それしかないよなあ」とも思いましたけれど。

(Y)
 彼を肯定できるようにするためには、それしかない、ですよね(笑)。
ただ最初からである必要もないんじゃないかなーとも思っちゃうんだけどね。

(M)
 そうそう(笑)。肯定できるようにというだけでなく、ジョンが取れる手段としてもそれしかない!ですよね。
適応とサイズの疑問はあるけれど、ジョンはそこまで考えてないだろうし。
最初から必要もないというのは全く同感です(笑)。
医師の心臓外科医の「使える心臓を無駄にはしない」という台詞は・・・息子に使えなかったら他に廻すというつもりだったのかしら^^;


(Y)
 これはジョンの台詞であったような気がしますよ。
機能低下を補うための肥大で大人の心臓でもはまるはずだとか言ってましたね、心臓外科医に。

(M)
 あのジョンの台詞は医学的な根拠はないと思います。
倒れた時に肥大した心臓が肺を圧迫して水が溜まっているという病状の説明もありましたので、やはりあの体格の成人男性の心臓ではサイズに問題があるのではないでしょうか。
血液型の一致で「合うはずだ!」と言い張ってるのも・・・^^;心臓移植はそれでいいようですが、それにしても・・・
医者が承諾したのはジョンの気迫に圧されてかと思いました。

(Y)
 医学的見地からは僕も門外漢ですが、これはまぁ、そういうことなんでしょうね。
でも、ジョンはジョンなりに考えていたらしいことが台詞から窺えたというまでのことです。
多分それは素人考えに過ぎない話ではあるのですが。
それでも、そういうつもりと覚悟を持っていたってことでなけりゃ、ジョン、ちょっと苦しい立場になっちゃうじゃありませんか(笑)。
だから、それなりにフォロー入ってたってことでしょうね。

(M)
 で、計画的なものなのなら、自分の心臓を息子にというのは、息子には絶対に知られないようにやらなくちゃ。
親の命を子に負わせるようなことはしてはイカン。(というのは、私の勝手な考えですが^^;)


(Y)
 これは美学の問題ですね〜。でも、求めるのは酷かなー(笑)。
子に過度の負担を負わせたくないというのもまた親の愛ですよね。
子供が負っていると感じ取れるだけのものを与えてやりたいというのも単に親のエゴとも言えない、愛情の側面もあったりするので、かなりビミョーな問題なんですけどね。
で、結局のところ、僕は親の美学の問題ではないかと留保しちゃってますね。

(M)
 うーん、美学ですか。やっぱり^^;
でも、自殺はイカンです。絶対。
子どもの負担に逃げ道がなくなる。子どもは罪悪感を持ちますよ〜。「ロード・・・」も私は息子の罪悪感に泣きましたね。

(Y)
 これはそうかもしれませんねー。
『ライフ・イズ・ビューティフル』なんかは、どのように御覧になりました?

(M)
 愛する人の死の原因が直接自分にあると観るか、他にあると観るかで負う気持ちのあり方は違ってくると思うんですよね。『ライフ・イズ・ビューティフル』の場合とは違うと思いますが。


(Y)
 というのは、そのとおりですが、これもほとんど自意識の世界の話ですから、人が君のせいではないと言ってくれても、自分がそう思っちゃったら、実際問題として負う必要のないことでも負っちゃうのが人間というもので、なかなか難しいですよね。
それとまた、負ったとしても、苦しむような負い方と力づけてくれるような負い方というのがあって、負うこと自体の善し悪しも一口では言えませんよね。

(M)
 そうですね。前向きに負えるものならば、ヤマ様の『マジェスティック』のように負託と言え、希望の可能性をもたらし得るものになるでしょう。負わせるほうはそれを本来、望むところですよね。

(Y)
 負わせようなんて不遜な心構えを持った途端にしくじっちゃいそうに思いますけどね(笑)。

(M)
 ヤマ様に話を振られてから改めてヤマ様の『ライフ・イズ・ビューティフル』日誌を拝読(笑)
好きな映画なのに辛くて観れない…という映画がいくつかありますけれど、これもその一つでしょうか。

(Y)
 僕の日誌もお読み下さったそうで、大感謝ですぅ〜(深々)。
あの映画は、けっこう気に障る方もいるみたいなんですが、めだかさんはお好きなようで、よかったです(笑)。

(M)
 私がこの映画を好きなのは、妻と子どもの命をというよりも、彼らの心を必死で守ろうとした父親の気持ちが伝わるからです。

(Y)
 僕もこれに同感なんですよ。
でもって、おそらく『ジョンQ』に感動した方々もまた、そういうことで感動したと思うんですね。

(M)
 『ライフ・・・』とジョンQのことはスッパリ切り離していたのですが、考えてみると、本当にジョンQと重なりますね。
ゲッとなりました(笑)。


(Y)
 「ゲッ」はよかったですね(笑)。
映画として、ご都合主義とまでは言わないまでも劇的に作り上げているという点では、どちらも同じというか、むしろ『ライフ・イズ・ビューティフル』のほうがもっと泣き笑いを仕込んでますよね。
わざとらしさっていう冷ややかな観方をするならば、多分『ジョンQ』よりも分が悪いように思うんですよ(苦笑)。

(M)
 うっ^^;確かに(痛)。
特にラストの辺りなんかはジョンQの都合主義の比じゃないですね(笑)

結局は守り方が自分の感性に合うか合わないかの違いだけかも(笑)
私は父親として子どもを守るためにジョンよりもグイドの取った方法の方がしっくり来るんですよ。
で、その理由はといえば、やはりヤマ様のおっしゃるとおり、「手段」なんですよね。
グイドが自分ひとりのできる力を振り絞ってユーモアと機知と精神力を頼ったのに対して、ジョンが誰も傷付ける意思はないとしても人質をとっての強要という他人を巻き込む犯罪に走ったところで、どうしても醒めた目で見てしまう。その気持ちに移入はできるし同情もできるのですが。
院長が言ってましたよね。「要求を飲めば、米国中の保険非加入者が銃を持って病院へ押し込んでくる」って。あくまでこれは予想にすぎませんが、結局、未解決のままですね。
となると、私にとって決定的に違うのは、やはり父親像でしょうか。

(Y)
 そーですねー、めだかさんにとっての決定的な違いとなると、僕には推察できるかどうか心許ないですが、僕的にはやはり手段の違いというか他人の犠牲の上に何かを得ようとする事への正当化という部分が昨今の国としてのアメリカのロジックと全く同じでイヤな感じがしたんでしょうね。
でも、僕は『ジョンQ』にはしっくりこなかったし、『ライフ・イズ・ビューティフル』には泣けました。
面白いもんですよね。
理由づけは僕なりにいくつか出来るようにも思っているんですが、本当のところは、理由付けによって証せるような因果の問題なんだろうかという気もしなくはありません(笑)。

前に、助けられるかどうかの結果による勝者として讃えるのは筋違いというようなことを僕も書いたように思いますが、やっぱりアメリカ的結果主義という感じがどこか気にくわなかったんでしょうね、僕(笑)。
それに一番大きな違いというかな、このあいだ、『酔っぱらった馬の時間』を観ても思ったんですけど、手段を選ばないってことの極みとして、他人に犠牲を強いるってとこまで行っちゃあ、やっぱり釈然としないところが残ります。
結果的に誰もが犠牲と感じなかったからと言って、目的や結果によって、手段を正当化しちゃあ、いかんのじゃないでしょうか(笑)。 そのあたりに妙なプラグマティズム的な形での肯定を下すことに違和感があるのですよね。
そういうことに無邪気になることの延長線上にあるのが、タリバン&アルカイダ粉砕のための核攻撃なんちゅう発想だったりするんじゃないでしょうかね(笑)。

(M)
 誰もが犠牲と感じなかったわけではない。犠牲を無視できるだけでしょう(苦笑)。
移植にしたって、確かにジョンの息子がただ一人の緊急度Status1だったかもしれませんが、待機中の患者はリストにあったとおり他にもいました。
救急車で運ばれてきた怪我人が助かったのを「ジョンが運び入れてくれたからよ。彼はいい人」と人質が言ったのには笑いました(笑)怪我人が病院に入れないという状況を作ったのが当のジョンなんだけどな〜(笑)


(Y)
 これは僕も思いましたねー(笑)。
ただ、そんなとんちんかんを言ってでも彼を助けたいという支持表明をしているとも見れなくもありませんが。

(M)
 なるほど。そういう見方がありましたか!
ちょっと私の見方は意地が悪かったですね^^;
ヤマ様は優しいなあ(笑)

映画のあの親の熱意は多分、理想なのでしょう。というか、親の子への愛のあり方はこうあるべきと思っている人が多いということなんでしょうか?。
親の立場の方もそう自分で思っているのなら、・・・随分と自分に苦しい枷をつけていることだなあ、なんて思いますけど(笑)

(Y)
 課してまでの方はそうおいでないと思いますよ。共振して同調できる方というのは、それによって代償的にカタルシスを得ていると言うことでしょうし、馴染めないと思う方は、自省心というか、過剰気味の自意識が自分とジョンQとの距離を棚上げにすることに抵抗が生じるんでしょうね。

(M)
 この過剰気味の自己意識というの、ビンゴ!ですね(笑)。これ、なかなかやっかいなシロモノ。


(Y)
 基本的に御同輩だと思ってますから(笑)。

(M)
 でも、これがないと逆に入り込むのが難しい作品もありませんか?自意識喚起の映画も多いですけれど(笑)。

(Y)
 はいな。映画の作り手なんかがそもそもそういう連中のたまり場的なとこありますしね(笑)。

(M)
 そうなんだ(笑)。考えてみれば作家なんてのもそういう人が多いかも。物を創るっていうのはそういうことなのかな(笑)
人の真摯に生きる姿を見せてくれる映画は本当に好きです。面白いと思う前に好きになってしまう。

(Y)
 本当にそうですよね。
勝ち組、負け組なんていう勝敗にはあまり興味が持てません。
それより美醜です。僕は、スポーツ観戦も愛好していますが、観戦する立場で勝敗の結果に一喜一憂する気持ちが実はよく解りません(笑)。

(M)
 ゲームの勝ち負けの公平な基準が客観的な点数が全てというなら、主観基準重視(おい;)の自分としてはたいして面白くないです(笑)。
それ以前に、世間のいう勝ち組・負け組の基準がよく分からない^^;

(Y)
 あ、これも同感ですね。
確かに僕は、自分をけっして勝ち組だとは思っていないけど、負け組だとも思ってないですね。
勝ち負けの線引きは、何によってされるんでしょう?
やはり金なんでしょうかね。
もしそうなら、確かに僕は負け組なんでしょうが、かといって『酔っぱらった馬の時間』を共にしなければならないような目にはあっていないわけで、勝ってないことを以て負け組とも思いたくはないですね(笑)。

(M)
 同感です(笑)。

 では、次に話を保険制度のほうに移しましょう。
映画を観た感じでは、ジョンはオプションに高額医療費の扶助を付けていたつもりだったんですよね。ところが、工場が勝手にHMOを格下げしていたため、パート扱いでそれが外れていた。当然、月々の保険料に違いが出ていたと思うのですが、ジョンがそれに気付いていなかったというのがちょっと不思議。
こういうことを事前に知らせれくれない職場というのは困りものですけれど、映画ではそれも普通っぽかったですね。
となると、普段から自分にできる範囲を掌握していなかったジョンの生活能力の低さというのも一つの原因。
奥さんの切羽詰った時の怒りはその辺に対する不満も爆発したような(笑)。

90年代後半で、アメリカの個人辺りの医療費は日本の2倍だそうです。
オプション次第ですが、民間のHMO加入の場合は月の保険料が高くて数百ドル、FFSだと通常でも数千ドル〜。(参考テキスト:アメリカと日本の医療保険制度
それも、雇用の立場で企業が負担していての保険料ですからやはり日本に比べてアメリカは相当に厳しい感じですよね。しかも掛け捨てだからなあ。
HMOは医療費抑制のために出てきた保険で一時はこれで効果があったけれども、結局、医療費はどんどん高額になる一方で今はこれでも医療費を抑えられなくなってるようなんですね。でもこれは日本も同じ事で。
だから、ヤマ様のおっしゃるとおりで、問題は民間か国営かじゃない。
そもそも、解決する問題じゃないと思う。
医療の不平等はアメリカだけのことじゃない。どこの国でも同じじゃないですか。高い技術や効く薬は限定品扱いで一部の者しか手に入れられない。需要に供給が追いつかないか、元手を取り戻さなくてはならないから。手が届く条件は金や地位かもしれないけれど、その条件を社会システムのレベルから一番推進してるのはアメリカでしょ。それなくしては今の強国アメリカもない。
競争社会でどんどん発展していくっていうのは格差が大きくなるということですよね。


(Y)
 実は僕の弟は医者でして、珍しい例ですが、アメリカでの臨床経験もあるんですよね。で、帰国したときに話してたんだけど、アメリカっていうのは本当に金持ちのための国だって(笑)。
ちょっと語弊ありかな、成功者のための国だって言った方が良いかもしれない。
勝ち組に回らなきゃ惨めな国であることは間違いないようですね。
端的に現れているのが贅沢な遊びが比較的安くて、生存権に繋がるような社会保障的な部分のコストが比較的高いと日本側の金銭感覚からは感じるようですね。

(M)
 保険を民営に全て任せるというのは、医療の保障を放棄してるように思われないこともないなあ。

(Y)
 もちろん絶対額としては、贅沢な遊びのほうが高いのに決まってますが、日本で同じ遊びをしようと思えば、その何倍もかかる贅沢が相当安く楽しめるようです。その一方で、医療費に端的な話なんですが、ちょっとした風邪程度ではとても病院などにはいけないくらい自己負担、大きいようですね。保険に入っていても、雇用者負担ありでも、被用者側の保険料が安くはないことは察しが付きますね。一律が嫌いで序列が好きな文化の国ですからねー(笑)。
だから、「それなくしては今の強国アメリカもない」というのは、まさしくそのとおりなんですよね。
僕的には「今の強国アメリカ」なんぞにはホトホトうんざりではあるんですけどね。
強くなり過ぎちゃって、野蛮で下品な国の側面を臆せず晒し押しつけてくるようになりましたからね〜(いやはや)。

(M)
 同感(笑)。
でも、個人のレベルでは今の状況への厳しい批判意見も結構あるでしょ。全然、取り上げられてないみたいに見えるけど^^;。
学問でも思想でも生活でも、極端なものが同時にあるのを認められる国ではありますよね〜。政治はやっぱり雲の上・・・か?
民主主義って何だーっ?(苦笑)

(Y)
 これは本来とっても美しい言葉だったハズなんですが、手垢にまみれ過ぎちゃって「苦笑」とか添えないと使えない言葉になっちゃってますよね(とほほ)。
なもんで、近頃のきな臭い風潮に抗う気持ちを添えて、僕は国を活かす「活国主義」ではなく、民を活かす「活民主義」を標榜したいところですね(笑)。
「人」にしちゃうと「個人」の側面が強くなりますが、「民」だと人々すなわちpeopleですよね。

(M)
 なるほど。”参加型”と頭に付けば、今もとても美しい言葉だし元来そういうものを指してるはずですよね。
それが米国の自由市場崇拝の”新自由主義的”というのが付くと私は蹴倒したくなります(笑)。
ええ、ちょっと過激ですみません(笑)。
米国に倣ってはいけないことは多いのに強国の圧力で準じなければならない・・・というのも時の流れと諦めなくてはいけないんですかねえ。

(Y)
 むしろ諦めちゃいけないんでしょうけど、有効な方法が見いだせないというか、どういうふうにすればいいのかが判らないってとこが強いですね〜。

(M)
 所詮、今の政治は舞台上だしね。民は観客ですわ。映画を観ているようなものね(苦笑)
裏や興行状況はさっぱり分かりませーん。


(Y)
 映画のほうがもうちょっとだけ解ります、はい(笑)。

(M)
 なんにせよ、米国の格差の極端さは日本人には実感ないから保険云々はピンと来ない、想像するしかない部分ですね。
しかし、社会保障の金をどこから捻出するかは日本でも問題^^;;;

(Y)
 やはり所得に対する累進という考え方が最も合理的だとは思うんですよね。
個人所得と雖も、個人の才覚のみであげているものではなく、その境遇を保証している社会システムによって獲得させてもらっているんだから、所得累進負担の部分も併せてセットで考えてもらいたいものですが、いいとこ取りをしたがるのが、人間のさもしさですよね。
しかも、今や社会的移動の流動化は、実体移動を伴わなくても移転ができちゃうようになってますから、頼りはモラルのみってなありさまで、しかも負担者にモラルを求めるにはシステムを運営している人たちのモラルが低すぎて、むしろ芽を摘んじゃうようなとこがあるし。
ほとほと困ったモンですよね。

(M)
 ん〜、これは実物伴わなくても形式上でOKという意味ですか?それとも衣を変えれば誤魔化し可能ということですか?


(Y)
 両方あるんでしょうけど、僕は前者のつもりで書きました。

(M)
 映画でジョンの友人がテレビで話す言葉の「何かがおかしい」というのは突き詰めればアメリカ社会そのものシステム批判になるのかもしれませんけれど、そういうのを考えて入れられたシーンなんでしょうか。

(Y)
 きっとそうだろうと思いますよ。

(M)
 私には映画全体にはそこまで深いものは感じられなかったですけれど、あそこだけ意味深なシーンだけにこの作品がよく分かりませんでした(笑)ちょっとあの友人の台詞は欲張りすぎてる感じ(笑)。

保険制度だけ取り上げてるように見えたところが、なんだか表面だけ等ってる感じで^^;。
あまり深く追求すると地盤が落ちちゃうからこれくらいで停めるのが娯楽というものなのでしょうけれど(笑)


(Y)
 ジョンは犯罪者と言うよりは被害者なんだと。そういう気の毒な犯罪者を生み出したのは、この国の保険制度なんだってことでしょう。
で、どっちに力点があるのかと言うことで、作り手の真情は後段かもしれませんが、映画としては、前段ですよね。つまり、映画としては、ジョンQが悪いんじゃないってことを示すためのものなんじゃないかなー。

(M)
 きっとそう見るべきですよね(笑)。
で、悪くないけれども・・・というリアルさを加えるための最後の裁判なのかしら。
親子愛ものの多いパターンとしては、あそこで裁判までは話が行きませんよね〜(笑)。
・・・最後のシーンからすれば、やっぱり親子愛の話と見るのが普通でしょうか^^;

(Y)
 まぁ、やっぱり普通〜そうなんじゃないですかねー(笑)。
可愛い顔でにこやかにポーズ決める坊やを出すんですから。

(M)
 あのボディビルダーのポーズはなかなか。
あの趣味には意表をつかれました(笑)。

ところで、私、何故か最後のジョンの息子への台詞を聞き逃してしまったようなのです。聞いたのかもしれないけれど、忘れてしまいました。
「金持ちになれ」という台詞、ありましたでしょうか?

他のサイトの感想でこの台詞について触れたものがありまして、(・・?そういう台詞があったかしら?と思って、ご覧になったヤマ様にお尋ねします。
本当にこういう台詞があったのなら、・・・かなり苦い結末だと思いましたね^^;

(Y)
 最後の場面ではなかったように思いますが、その台詞は確かにありましたよ。
遺言的に託すような発し方だったように思いますから、既に命が助かってからのことではないし、多分に独白ないしは観客に聞かせるために仕込んだ台詞というか、要はジョンの無念を表現していたように思いますけど。

(M)
 教えてくださってありがとうございます。
ふむ、最後でないとすると・・・きっとあそこだな(^^)!
私はどうもこの映画はジョンの独白は記憶に抜けてるのが多いようで、特に息子に向けた台詞はボロ抜けです。
真面目に観てたんですけどね^^;親子関係の台詞のところだけ意識が飛んでたらしい。。。
てんから親子物とは観ようとしてなかったのかもしれない・・・と反省(苦笑)。

映画を観る視点を親子関係か、保険か、医療か、経済か・・・興味を置く場所をいろいろもてるところが私にとってこの映画の面白いところでした。
その辺まで突っ込んだ話ができてとても楽しかったです(^^)
ありがとうございました。



( この対談は2002年12月にめだか部屋BBS『水の中でお話しましょ♪』にて交換されたものを採録しました)
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