宮島には明治時代までニホンザルがいたといわれていましたが、どうやらそのサルは人間が楊枝屋の看板として飼っていたものや神社に奉納したものたちであったようです。
これまで、宮島に野生の群れがいたという証拠は見つかっていません。
江戸時代の旅行ガイドブックである「厳島図絵(下の絵)には、楊枝屋とセットで描かれたサルが見られます。当時楊枝屋の屋号は「さるや」を名乗るのが通例でした。宮島の楊枝屋は生きたサルを看板につかていたのでしょう。
明治時代に入ると、楊枝屋のサルもいなくなり、寂しく思った人が厳島神社にサルを奉納したという記録が当時の芸備日報に載っています。
このサルが後に野生のサルと勘違いされて、宮島にサルがいたという話が生まれたようです。大経堂の楊枝屋とサル 色楊枝屋の屋根にいるサル
宮島名産色楊枝 弁慶の七つ道具に猿、鹿、御幣。あるいは宮島八景に猿と鹿の10本セットで多色刷りのパッケージに入れられて売られていた。楊枝の材料はウリハダカエデで、宮島では「白箸の木」と言われている。
厳島神社の神饌にこのウリハダカエデの白木の箸が使われることからそのように言われている。
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| 大願寺境内でシカザル人形を作り続けていた店も後継者がいなくなり、姿を消した。この民芸品も町中にサルがいたという証拠とされているが、それは楊枝屋の看板に飼われていたサルとシカとの間に見られた関係かもしれないし、空想の産物である可能性も高い。このシカザル人形はそれほど古いものではなく、おそらく明治時代以降のものであろう。宮島では江戸時代の看板猿に対するノスタルジーがあって明治9年に岩国の住人が厳島神社に猿を奉納している事実がある。その猿も人の手に負えなくなり、翌10年には捕獲され、宮島から猿の姿は消えた。 | ||
今、宮島には100頭ほどのニホンザルが暮らしています。このサルたちは1962年香川県小豆島から(財)日本モンキーセンターによってつれてこられた47頭の子孫です。
これは、有害鳥獣駆除によって捕獲された群れの一部で、残りは東京の多摩動物園などに送られています。
目的は二つありました。
第一の目的 宮島のサルの復活です。宮島には明治時代までサルがいたと信じられていたからです。しかし、実際には野生の群れはいなかったと考える方が自然です。 第二の目的 サルは見知らぬ土地で、どのようにして自分たちの暮らしの場(遊動域)を開拓していくのかということを調べ るためです。
残念ながら当初の目的は十分果たせなかったようです。しかしながら、野生生活をしているサルと間近に観察できるという利点を十分生かし、行動や生態学的な研究は進みました。
さらに、その成果を生かした、野外博物館活動も行い、ユニークな自然教育の場として利用されています。
現在の状況
| ただ、問題が無いわけではありません。1989年以降、日本モンキーセンタ宮島研究所が廃止され、新たに宮島野猿公園として再出発しましたが、最近の不況のせいもあって、専門研究員は不在となり、サルの管理もほとんどなされていません。 1991年の台風19号、99年の台風18号による森林の破壊などの悪条件がかさなり、サルの遊動域は町のある北寄りに変化しつつあり、秋の実りを求めて大聖院境内に出没することもあります。また、移殖時の約束である個体数管理もできる状態にありません。こうした状態を放置すると早晩、猿害問題が表面化し、とりかえしのつかない事態を招くでしょう。 世界遺産に登録された貴重な文化遺産を守り、自然教育の素材であるニホンザルの暮らしを守るためにも、専門家の指導による適正な運営が求められています。 広島フィールドミュージアムはこれまでの経験と実績に基づいて、助言と協力を惜しまないことを約束します。 |