| 顔 |
人物名 |
人物の歩んだ歴史 |
 |
上杉謙信公 |
ご存知戦国の雄で、毘沙門天を信仰した仁義厚い武将でした。ライバル武田信玄との川中島合戦は、歴史に残る大激戦として今にその名を伝えています。
|
 |
上杉景勝公 |
上杉家2代目当主で、時代の波に揉まれながら、越後から会津若松そして米沢へと移ったが、豊臣時代は五大老の一人として国政に預かった。また米沢藩主として現米沢市の基礎となる城市の基盤整備を行いました。 |
 |
上杉鷹山公 |
上杉家10代目当主で、九州高鍋藩秋月家に生まれ、9歳で上杉家の養子となりました。17歳で上杉家を嗣ぎ、窮乏の極みにあった米沢藩を、自ら大倹約を実践し、また農業・産業の振興、学問を奨励し今の米沢の基礎を築きました。内村鑑三が代表的日本人としてその本に紹介し、世界的にその名を覇せました。
|
 |
直江兼続 |
謙信公・景勝公と仕え、慶長3年(1598)には米沢城主となり、その後米沢の町割り屋敷き割りや、水路整備を行うなど今の米沢の土地基盤をつくりました。また文武両道に秀で学問所の創設や、現存する火縄筒銃)の鋳造なども行いました。 |
 |
伊達政宗 |
独眼竜と戦国武将から怖れられた政宗は、永禄10年(1567)、米沢城に生まれ、24歳で豊臣秀吉の命により、仙台岩出山城に移封されるまでの青年期を、遅れてきた風雲児としてここ米沢に在し活躍しました。 |
 |
上杉茂憲公 |
上杉家14代当主で、米沢藩最後の藩主となり藩籍を奉還しました。その後米沢を去るにあたり、米沢に私財17万両を寄付し義社をつくり、民の助けとしました。また後には沖縄県知事として私財を投じて善政を敷き、沖縄発展の基礎となる人々を育てました。 |
No
Printing |
前田慶次 |
週刊少年ジャンプに連載され人気が高かった、「花の慶次」の主人公で、加賀百万石の前田利家の甥にあたります。文武両道に優れ、直江兼続との親交により、上杉景勝公の家臣となりました。全国の諸大名などとのその逸話やその奇行は数えきれず、今に伝えています。
|
 |
雲井龍雄 |
米沢の袋町に生まれた明治維新の志士であり、正義感が強く慶応3年大政奉還に伴い、王政復古に米沢を代表し参画しましたが、その後明治新政府の旧薩摩・長州藩主導を批判し、反政府活動の疑いで、27歳で小塚原にて処刑されました。 |
 |
伊東忠太 |
米沢の座頭町に生まれ、東京帝国大学造家学科に学び、日本の建築学を確立しました。京都の平安神宮を始め、明治神宮や靖国神社、米沢の上杉神社など有名な堂塔・社寺や公共建築物百ヶ所以上を設計しました。米沢名誉市民で米沢有為会の生みの親でもあります。
|
 |
我妻 栄 |
米沢の鉄砲町に生まれ、東京帝国大学法科に学び、30歳の若さで教授となりました。民法の百科事典と言われる「民法講義」を出版し、昭和21年には日本国憲法の制定に寄与しました。米沢名誉市民。
|